第163話 怒れる魔王と黒竜の輪舞③

 その時、アラタを制止しようとトリーシャが鉛のように重い身体を引きずって彼の側までやってくる。


「マスター、待って! ブネはもう気絶してる! 勝負はついたのよ、もうこれ以上やる必要はないでしょう?」


「必要ならある。十司祭は倒さなければならない敵なんだ! 止めを刺すに越したことはない」


 アラタの目に迷いはなく、その目を見てしまったトリーシャの心はやるせない気持ちで一杯になり、アラタを背中から抱きしめる事しかできなかった。


「分かる、分かるよ、マスターの言いたい事! でも、こんなやり方は違うよ! こんなの、マスターらしくない……これは私の大好きなマスターが一番嫌うやり方だよ。だから、お願い、いつもの優しいマスターに戻って!!」


 トリーシャの懇願と共に目からは大粒の涙がとめどなく溢れ頬を伝い地面に落ちて行く。彼女の泣き声が静まり返った戦場に響き渡る。

 それがどれくらい続いたのだろう、時間にして数十秒か数分であったかもしれない。だが、この場にいた者にとってはそれが永遠のような長い時間のように感じられた。

 アラタを抱きしめるトリーシャの手にそっと温かい手が添えられる。その手は傷だらけで所々出血もしていたが、トリーシャはこの手の温もりを知っていた。

 時々、自分の耳や尻尾を慎重に優しく撫でてくれる優しい手、とても大好きでどうしようもない人の手だ。


「マス……タ……?」


「ごめん、トリーシャ。本当にごめん……でも、それでも、どうしても許せない奴がいるんだ」


 ここでトリーシャはずっと気にしていながらも怖くて聞けなかった事をアラタに尋ねる。


「マスター……アンジェとセスは……どうしたの?」


 アラタの手が一瞬ビクッと震える。そして、躊躇ためらいながら重い口を開いた。


「………………2人は…………死んだよ。俺の目の前で殺された……俺がもっと強ければ……最初から力を解放して戦えていれば、そんな事にはならなかった。今さら戦えるようになったところで2人は生き返らない…………でも! 落とし前だけはつける!! この俺の手で!! そうしないと、死んでも死にきれない!! ……だから……ごめんなトリーシャ……」


 アラタはトリーシャの抱擁を優しく解くと、この場から既に姿を消していたアサシンの男を追って飛び去って行った。

 トリーシャはその場に座り込み、彼女を心配したセレーネとドラグが何とか身体を動かし、その場にやってきた。


「トリーシャちゃん……」


「大丈夫か、トリーシャ?」


 トリーシャは顔面蒼白になっており、その目からは涙が枯れることなく流れ続けていた。


「どうしよう、セレーネ、ドラグ。……マスター、魔力を全開に出してた……死ぬ気よ。それに、触れた時にマスターから自分でもどうにもできない怒りと悲しみの魔力が流れてきたの。……どうしよう、このままじゃマスターが死んじゃう! マスターがいなくなっちゃう! どうしよう!!」


 ドラグは取り乱すトリーシャと地面に横たわる黒竜、そしてアラタが向かった町の北側の方を見ると、何かを決心したような面持ちで2人に今後の自分の行動を話す。


「拙者はこれから魔王殿を追います。2人はここでブネを見張っていてください。必ず魔王殿を連れて帰ってきます」


「でも、ドラグ……そんなボロボロの身体じゃ……」


 セレーネはトリーシャとドラグ、それに妹に目を向け話し始める。


「3人でアラタちゃんの後を追いましょう!」


「! ですがそれでは……」


「いいのよ。もとはと言えば私に覚悟が足りなかったせいで、攻撃を中断して2人を危険な目に遭わせしまったんだもの。……ごめんなさい」


「肉親が苦しんでいる姿を見れば仕方のない事です」


「それは言い訳にはならないわ。それを承知で魔王軍に参加したんですもの。でもその覚悟を貫くことが出来なかった、甘かったのよ私は……だから……ここでルシールに止めを刺してアラタちゃんの後を追いましょう」

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