第96話 はらへりへりはら

 日は既に落ち、夕飯も終わり各々自由時間を楽しんでいた頃、テントの中から元老竜の女性が出てきた。

 少しふらふらしており、まだ状態が悪そうである。


「ブラックドラゴン殿、大丈夫ですか?」


「ええ……大丈夫よドラグちゃん……ありがとう」


 尊敬する黒竜に礼を言われて感涙する竜人族の将であったが、名前を「ちゃん付け」されて少し気恥ずかしい思いをしていた。

 それは彼だけに限った事ではなく、彼女は全員に「ちゃん」を付けて呼んでいた。

 あのバルザスでさえ「バルザスちゃん」と呼ばれ、それを聞いた皆は爆笑していたのである。バルザス自身はというと、ドラグ同様少し恥ずかしそうにしているのであった。


「何だか身体の調子がおかしいのよ。お婆ちゃんだった時でも、お腹の中がこんなに空っぽになったような感じや全身の脱力感はなかったわ……」


 それを聞いてピンときたアンジェが、夕飯のシチューを温め直して彼女の所に持ってきた。

 その食欲をそそる香りが彼女の鼻孔をくすぐった瞬間、彼女のお腹の音が大きく鳴った。

 ドラゴン時代には、そのような経験がなかった彼女はびっくりしてお腹を押さえてしまう。


「どうしてお腹が鳴るのかしら? それにその料理を見たら、唾液がいっぱい出てきて口の中がとんでもない事になってるわ」


「それは間違いなくお腹が空いている証拠です。空腹が満たされれば元気になりますよ。はい、スプーンを持って……熱いので口の中を火傷しないように気を付けてください」


 子供に教えるようにシチューの入った器とスプーンを渡し、アンジェはシチューに息を吹きかけて熱を冷ますやり方を見せていた。

 そして、元老竜はシチューをスプーンですくい、息を吹きかけて少し熱を取るとゆっくりと口の中に頬張る。

 

「!! 美味しい! すごく美味しいわ、アンジェちゃん!」


「お替わりもたくさんありますから、ゆっくり食べてください」


 空腹であったのと、初めて口にするシチューの味に感動しながら勢いよく平らげていく。

 その様子を見ていたアラタは、自分がソルシエルに召喚された日の事を思い出していた。


「そう言えば俺も似たような事してたな。屋敷から逃げて、さんざん森の中走り回って腹減って……あの時もアンジェが食べ物持ってきてくれたんだよな……あのサンドイッチの味は今でも忘れないよ……滅茶苦茶美味かった。それで勢いよく食べてたらむせ込んじゃってさ……」


 そう言った瞬間、目の前でむせ込み水で飲み下す元老竜の姿に、お約束の何たるかを教わったような気がするアラタであった。

 お腹が空いていた彼女は、最終的にシチューを5杯食べデザートのプリンも笑顔で完食した。

 自分の作った料理を溢れんばかりの笑顔で食べてくれた事に、アンジェも終始ご機嫌であった。

 作った側としては、苦労して用意した料理を喜んで食べてもらえる事に何よりもやりがいを感じるらしい。


「私、忘れていたわ……人はご飯を食べないと生きていけないのよね。ドラゴンは大気中のマナを直接取り込んで生命の維持ができるから、食事を必要としていなかった。……でもご飯を食べるのっていいわね……身体の内側から満たされていく感じで……幸せになるわ」


 食後のお茶を飲みながら、しみじみと語る元老竜にほっこりする一同。彼女の加入により魔王軍内の空気が一層柔らかくなった感覚を皆が実感していた。

 そのような空気の中、元ブラックドラゴンの呼び名をどうしようかという話題になる。

 そもそもブラックドラゴンはドラゴンの種族の名であって、固有の名前ではないのだ。

 しかし、この話は一瞬で終了する事になる。


「えっ? 名前? セレーネよ」


「「………………」」


「私にも名前くらいちゃんとあるわよ。妹にも名前があるのだから私にも当然あるわよ?」


「…………そりゃそうだ」


 ド天然のお姉さんからの正論ツッコミに一瞬言葉を失う皆であったが、名前が判明した事で呼びかけやすくなったので、あまり気にしない事にした。

 こうして、元最強のブラックドラゴン――セレーネ姉さんが魔王軍に加わったのである。



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