第92話 老いし竜の願いは

 急速に体内から口部に伝達される老竜の魔力は臨界に達しようとしていた。それを目の当たりにし、ブネは焦りを見せている。魔王軍の連続攻撃でダメージが蓄積していたことに加えて、魔術に耐性のある鱗もその機能が低下していたのだ。

 この状況でドラゴンブレスが直撃すれば致命傷になりかねない。そう判断したブネは距離を取るため空中に退避する。

 その瞬間を老竜は見逃さなかった。

 ドラゴンは巨大な翼を用いて空を飛ぶが、その巨体ゆえ飛翔する瞬間と地上に降りる瞬間はバランス調整のため動きが鈍くなる。

 特に、ブネは飛翔の際にかかる時間が少し長いのだ。その事をこの老竜は知っていた。


「ルシール!!」


 直後、放たれたドラゴンブレスは飛翔途中のブネに直撃した。

 腕を十字にクロスし、防御の姿勢を取ってはいたが、渾身の一撃の前にそのような行為は無力に等しく、その身を竜の熱線が焼いていく。

 声にならない悲鳴を上げるブネに容赦なく超高温の吐息が降り注ぎ、徐々にその存在を消滅させようとしていた。

 あと少しで脅威である十司祭の1人を倒すことが出来ると思った瞬間。


「ね……姉さん……」


 ブネが消え入りそうな声でつぶやくのを、老竜は老いた聴覚にも関わらずはっきりと聞いた。


(……!!)


 突如、老竜のブレスは消失してしまった。深手を負ったブネはそのまま飛び去り虚空の彼方へ消えていく。

 そして、全ての力を使い果たした老竜は、崩れるようにその場に倒れたのであった。



 数分後、アグノス山より離れた空に傷ついたその竜はいた。

 予想以上に魔王軍の戦闘力が高かった事と、あの老竜の思いもがけない反撃によって想定外のダメージを負っている。

 だが、この傷ついた黒竜――ブネの目的は達成されていた。

 かつて最強のブラックドラゴンと呼ばれた、あの老竜は先程の戦いで残されていた全ての生命力を使い果たした。

 もう空を飛ぶ力も残ってはいないだろう。そして、その先に待っているのは、老いと蓄積されたダメージによる確実な〝死〟だけだ。


「ふふふ……ははははははは……あははははははははははははは……」


 ブネの口から歓喜の笑い声が周囲に木霊する。しかし、その黄金の瞳を擁する目からは大粒の涙がとめどなくこぼれ、広大な空に散っていくのであった。



 一方、ブネが飛び去った後のアグノス山では、傷ついた老竜にアンジェが回復術を行っていた。

 傷は少しずつ塞がってはいるが、その速度は遅く当人は今もぐったりしている。

 その原因を、この場にいる皆が理解していた。

 この竜は既に高齢であり、既に寿命が近づいているという事を。そして、その老いた身体に残された全ての力を使い、自分達を救ってくれた事を。


「……ありがとうメイドのお嬢さん……もう大丈夫よ……。それに新しい魔王軍の皆さん、こんにちは……。本当なら、もっとゆっくりちゃんとお話をしたかったのだけれど、どうやら私に残された時間は、あとわずかのようです」


「そ……そんな……」


 ドラグは今にも泣きだしそうな顔をしていた。以前からずっとブラックドラゴンに会う事を楽しみにしていた彼であったが、その竜の瀕死の姿にショックを受けていた。


「新しい魔王さんはどなた? 近くに来ていただけるかしら? ……ごめんなさい、もう目も良く見えないの」


 老竜の声は次第に弱々しくなっていく。アラタは巨大ながらも衰弱したその顔の近くにやってきた。老竜の元々美しかったであろう黄金の瞳は白みがかり、その輝きは今にも消え入りそうだ。


「俺です。武藤新むとうあらたといいます。先程は助けていただいてありがとうございました。お陰で、俺達は全員助かることができました。……あなたのおかげです」


 アラタの感謝の言葉に老竜は目を細めていた。その表情には何処か満足したような様子が窺える。


「……こんなお婆ちゃんでも、あなた方のお役に立ててよかったわ。……魔王さん、もっと近くに来ていただける? ……あなたに渡さなければならない物があるの」


「渡さなければならない物?」


 アラタがすぐ近くに来ると、老竜は懐から人の掌大の球体を取り出し、彼に手渡す。

 その球体は、一見ただのガラス玉の様ではあったが、淡い紫色の光を放っていた。


「これは、一体何なんですか?」


「それはドラゴンオーブといって、1000年生きたドラゴンの体内で生成される魔石の様なものよ……竜族に対して一定の奇跡を起こす事が出来るの」


「奇跡?」


「ええ、それを使えばこの老いた竜の身体を強力な武器に変える事も可能よ。あなた方に、ここまで来てもらったのは、そのドラゴンオーブで私を武器に変換してもらうためだったの」


 その言葉に、アラタ達は衝撃を受けていた。自分を、武器にしてほしい等というのは正気の沙汰ではないからだ。

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