第5章 二頭のブラックドラゴン
第84話 次の目的地は……
シルフとの契約を終え、バルゴ風穴を後にした魔王軍は3日程渓谷を歩き、やっと宿場町ハンスへと到着した。
ハンスはマリクから渓谷を過ぎた所に位置する宿場町である。
渓谷は普通に移動して1週間はかかる距離であり、途中には簡素な休憩所しかないため、この道のりを乗り切った者達は、このハンスにて久しぶりの手の込んだ食事に舌鼓を打ち、ふかふかなベッドで旅の疲れを癒すのである。
そのため、ハンスには多くの宿屋や大きな公衆浴場の他、様々な娯楽施設が充実していた。
そして、その一角――美味しい料理と酒が自慢の酒場『エシャロット』で1週間以上ぶりのまともな入浴と多彩な食事にて旅の疲れを
旅の途中は、敵の襲撃の可能性を考え入浴はシャワーで短時間に済ませ、食事は備蓄した食糧の残りを計算してメニューを考えるため、1回の食事は必要最小限の量に抑えてある。
それでも他の旅人などに比べれば、非常に充実した内容なのではあるが、魔王軍の料理番たるアンジェに言わせると、もっと豪勢にしたいというのが本音らしい。
「それにしても残念でなりません! 風の記憶で確かに魔王様の未来を見たはずなのに全く覚えていないとは――」
セスは店主おすすめのチーズケーキを頬張りながら、悔しそうな表情を浮かべていた。
このチーズケーキには自家製のチーズが使われており、種類はベイクドチーズケーキに分類される。
甘すぎない味付けで、甘いものが苦手な人にも好評であり、一口食べれば濃厚でしっかりしたチーズの風味が口の中に広がるのだ。
チーズ大好きなトリーシャは、既に3つ目に突入しとても幸せそうな顔をして食べている。
「セス! ご飯食べてるときは、話さない! ほら! チーズケーキ食べながら渋い顔してるから、店の人が心配そうな顔でこっち見てるだろ!」
「それがセスの悪い癖です。食事中に本を読むのに夢中になったりして、自分が今何を食べているのか分かっていないのです」
セスは物心ついた時には、既に本の虫になっており食事中にも本を読む癖が抜けていない。
そのため、食事内容には無頓着であり、生きていくのに必要な栄養が摂取できればいいと考えている。
結果、食事を用意するアンジェとしては、自分の作った料理をないがしろにされている状況であり、これが原因でセスとの仲はあまりいいとは言えない。
セスには再三注意を促しているが、最初は守ることが出来ても数日たつと元に戻ってしまうのであった。
そのため、食事中のセスVSアンジェの仲裁役がアラタの日課でもあった。
アラタに注意されて、セスは口の中のチーズケーキを水で一気に流し込む。リスのように膨れていた頬は元通りになり、いつものイケメン顔に戻った。
すると、心配そうにアラタ達のテーブルを眺めていた周囲の女性陣の口から「はぁ……ん」と、ため息が漏れる。うっとりした表情のおまけつきで。
(あのため息は絶対、セスに見惚れて出たやつだ……くぅ! イケメンは何しても絵になるなぁ。俺が同じことをやったら、呆れたため息だけが出るんだよ、きっと)
テーブルの正面に座るセスの顔を見て、悔しい思いを募らせる魔王ではあったが、自分と比較して顔面偏差値の差は歴然なので、そこまで深く嫉妬することはなかった。
彼とイケメン勝負をする気など、初めて顔を合わせた瞬間には既に全くなかったのである。
だが、そんなセスには全く浮いた話がない。旅の道中、様々な女性から声をかけられていたのだが、その全てをやんわり断り、こうして賑やかな町に立ち寄った時ですら、どこかに1人消える事もない。
大抵は、ロックやドラグと一緒にいて本を読んでいたり、アラタが読書中の『魔王物語』のネタ晴らしをしそうになるなど……いつもいる。
(…………もしかして、あいつはそっち方向に興味があるのだろうか? だとしたら、その標的は? ロック? それともバルザス? 意外性でドラグ? でなければ、まさか……俺なのでは?)
ぶるぶる震えながら、頭を抱えしょうもない推察を1人で繰り広げるアラタであったが、セスは単に本や旅に夢中なだけであり、今のところ女性との恋愛方面に興味が無かっただけであった。
しかし、セスのこの行動をアラタと同じように考える人はいるわけで、それにより一波乱あるのだが、それはまた後々の話である。
風の記憶で見た内容を全員が忘れているのは残念であったが、その時のシルフの説明で記憶を消した理由に納得がいったため、しょうがないというのが魔王軍内で出た結論であった。
ただ、シルフが契約時アラタに言った事と、「何となくいいものを見たような気がする」という全員一致の認識があったため、そんなに悪い未来ではなかったのだろうと思う事にしていた。
「さてと、次は大地の精霊ノームのいるジルグ鉱山跡だな。ここからだと……結構遠いねえ……」
「最短距離を通っても1ヶ月以上はかかるでしょう。いつも通り、魔物を狩りながら資金を得て進んでいきましょう。ジルグ鉱山跡の最寄りの町は……エトワールですな。宿場町として大きな町です。ここで十分な準備をしてジルグ鉱山跡を目指しましょう。それにジルグ鉱山跡のすぐ近くには、アストライア王国管轄下のシェスタ城塞都市があります。そちらの動きにも注意が必要となるでしょうな」
「……よし、当面の目的地はエトワールだな」
アラタとバルザスを中心に、次の目的地が決定し皆が頷いていた。――ただ1人を除いては。
ドラグだけは、異論があるとばかりに険しい表情をして仲間達を見ていた。
「皆様方……何かお忘れではないでしょうか?」
彼の問いに他のメンバーは「一体何のことだろう?」という思いであった。それを感じたドラグは少し、憤るような悲しいような表情を浮かべていた。
「思い出してください! ブレイズドラゴンとの会話を! あの伝説のブラックドラゴンが我々を待っているんですぞ!」
ドラグの悲痛な訴えにハッとするアラタ達の反応を見て、ますます悲しそうな表情になる竜人族の将がそこにいた。
((ヤバイッ! すっかり忘れてた!))
ブレイズドラゴンとの接触から2ヶ月近くが経過し、さらにはシルフとの契約も無事終わり、アラタ達の意識は完全に次の精霊との契約に飛んでいた。
ブラックドラゴンが自分達に会いたがっているという話は完全に記憶の隅へと追いやられていたのである。
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