第80話 風の記憶――黒騎士②

 目の前にいる男はあくまで風の記憶が見せるヴィジョンであり、現実の存在ではない――にもかかわらず、これだけのプレッシャーを放つのだ。

 もし、実際にその場にいたのなら間違いなく卒倒していただろう。


「……私達は、この先こんな化け物と戦う可能性があるのか……」


 セスの口から不安に満ちた言葉がこぼれ落ちる。それに対し、周囲が沈黙を通すのは、皆が彼と同じ考えを持っていたからに他ならなかった。


「どうした? それでおしまいか? そんなんじゃ、俺は殺せないぞ! くかかかかかかか!」

 

 空に向かって嘲笑う絶望の根源。それは空にいる何者かに対する嘲笑であった。

 皆が、その対象を確認しようとした瞬間、男の周囲に凄まじい衝撃波が叩き付けられる。

 男は素早く後方に跳び退き、衝撃波を避け再び空に向かって嘲笑を飛ばしていた。衝撃波が直撃した地面には、鋭い斬撃の痕が刻まれている。

 

 アンジェ達が、その斬撃を放った主を見定めようと空を仰ぐと、そこには1人の黒いローブに身を包んだ魔闘士がいた。

 だが、その者は普通の魔闘士と比較してあまりにも異質な存在であった。

 黒を基調としたロングコートと黒銀の鎧に身を包み、頭部には鎧と同色の兜を纏っており、まさに『黒騎士』と言える外観をしている。

 兜は頭全体を覆うタイプであり、その表情を窺う事は出来なかったが、そこから覗く双眸そうぼうは、深紅の光を放ち遥か眼下にいる敵を鋭く睨んでいた。

 その姿は眼下にいる男に負けず禍々しい雰囲気を醸し出していたが、決定的に違うのはその魔力の質であった。

 魔力の規模こそ、嘲笑の男と同等ではあった。しかし、周囲に滲み出る魔力の雰囲気はどこか落ち着くものがあった。

 

「いつまでそんな所で見物している気だ? とっとと下りてこいやーーーー!!」


 そう言いながら、男は銀色の右手に魔力を集中させ黒騎士に振うと、5本の爪先から紫色の刃が放たれる。

 5つの刃が当たる直前で黒騎士はその場から掻き消え、次の瞬間にはその身は大地の上に立っていた。

 だが、それも一瞬の事であり、再びその姿は残像を残し、その場から消え去った。

 アンジェ達がその姿を探そうとするとけたたましい衝撃音が響く。既に黒騎士は嘲笑の男と鍔迫り合いをしていた。

 激しい音を立ててぶつかり合う、漆黒の剣と深紅のダガー。それぞれの武器に纏わせた魔力が反発し合い、火花を散らしている。

 その鍔迫り合いに競り勝ったのは、黒騎士の方であった。単純な力比べなら黒騎士に分があるようだ。

 だが、後方に吹き飛ばされた男は、その身を翻し空中の何もない空間に両足を着け、反発力を利用して加速しながら再び襲い掛かる。

 男もまた、グリフォンのような高度な魔力操作による空間戦闘術をマスターしていた。驚くべきはそのスピードと身体能力であり、崩れた体勢を一瞬で立て直したばかりか、同時に反撃に打って出たのだ。

 瞬きをするぐらいの一瞬の判断ミスが命取りになりかねない極めて高度な高速戦闘である。


「死ねよやああああああああああああああ!!」


「ちぃっ!」


 至近距離から、弾丸の如く加速し急襲する男の攻撃を漆黒の剣で受け止める黒騎士。

 その威力は高く、防御し両足で踏ん張りを利かせながらも、徐々に後方に押し出されていく。

 途中、下肢と腰の回転により攻撃を受け流し、同時に上段からの袈裟懸けを放つが、それすらも常人離れした反応速度で男は銀色の腕で受け止めるのであった。


「くかかかかかか! 今のは惜しかったなぁー。だが、さすがの魔剣でも、この腕を傷つけるのは難しいようだな」


 男の嘲笑いは止まらない。銀色の右腕を見せびらかすように構える。


「この腕を見てるとなー、昨日の事のように思い出すんだよ。そう……俺の右手をてめえが引きちぎった、あの時の事をな!!」


 最初は静かな口調だった男だが、次第にそれは荒くなっていく。黒騎士への憎悪と共に魔力も増幅されていくようであった。

 

「なっ! まだ魔力が上昇していく!? 一体どれだけ上がるんだ?」


 男の禍々しい魔力は、怒りを伴いさらに上昇していく。そのプレッシャーを前に魔王軍の若者達は、絶望感に自分達の心が侵食されていくような感覚に陥っていくのであった。

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