第76話 風の記憶――魔王無双⑥

 その時、聞きなれない声が戦場に響く。


「うえっ! アラタ、頼むから早くこれを取ってくれ! 気持ち悪い!」


 それは男性の声のようであった。声の聞こえた方向と内容からすると、アラタの付近に声の主がいるようではあったが、皆が何度も目を凝らしてみても誰もいなかった。


「どうなってるの? 一体誰が喋っているの?」


 魔王軍の中で比較的目の良いトリーシャであっても、声の主の居場所は特定できなかった。

 だが、声の主は彼らの前に既に姿を現しており、彼らもしっかりと認知している。

 ただ、それが会話をするなどという発想がなかったため、見逃していたのである。


「ああ、はいはい。すぐ取りますよ……っと!」


 グランソラスの刀身に魔力を送り込み、まとわりついた粘液を吹き飛ばす。その直後の事だった。


「すまん、助かった。……それと、あのヒュドラの粘液は毒があるから気を付けろ!」


「ちょっと! そういう事はもっと早くに言ってもらえます?」


「まぁ、お前なら状態異常に耐性があるし、あの程度の毒なら問題はないだろう」


「全く! 他人事だと思って無責任だなー」


「何を言うか! あの毒性のある粘液まみれの身体に打ち込まれる私の気持ちにもなってみろ!」


 魔王軍の面々の視線の先では、剣と本気で会話する魔王の姿があった。その剣から声が聞こえなかったら、魔王の奇行に皆ショックを受けていただろう。

 いや、別の意味で皆ショックを受けていた。アラタの持っている漆黒の剣が、流暢りゅうちょうに言語を操っているのだから。


「俺……疲れてるのかな? 剣がアラタと話してるように見えるんだが……」


「私にもしっかり見えてますし聞こえてますよ。あの黒い剣が話をしているのが」


「「…………………………」」


「「はぁぁぁーーーーー!? やっぱり剣が喋ってるーーーーーー!!」」


 かつてない混乱に陥る魔王軍の若者達。魔物が喋るのは、まぁ分かる。生き物ではあるから。一応、爆弾岩もどきも断末魔限定で叫ぶし。

 しかし、無機物の剣が喋る事実は受け入れがたいものがあった。そもそも、何故武器である剣が喋る必要があるのだろうか? 全く意味が分からない状況が彼らを襲った。

 そのような中で、唯一バルザスは冷静であった。この戦いにおけるアラタの一挙手一投足を見逃さんとばかりに、食い入るように見ている。


 アラタとグランソラスが会話しているのを見て、双頭の蛇の魔物改めヒュドラはあざけ笑っていた。


「話す剣とはまた珍妙だな。……だが、そんななまくらでは、何度我に切り込んできたところで傷1つ付かんぞ」


「…………今、なんつった? 私を『なまくら』と言ったように聞こえたのだが?」


「確実に『なまくら』って言いましたよ」


 剣ゆえに、外見からその感情を判断することは不可能であったが、怒気を含んだ声から、ヒュドラの言動がよほどかんさわったらしい。


「アラタ! 何をボーっとしている! とっとと奴を斬れ! 粘液だろうが、伸縮性に富んだ身体だろうが、私にとっては関係ない!」


「はいはい、分かりましたよ。全く……一応、魔剣なんだから、もっと威厳を持って欲しいなぁ。……まぁ、俺もあの蛇野郎にはイラついてるけどな!」


 再びアラタはヒュドラへの接近を試みる。今度はやや遠距離から斬撃波を放つ。

 だが、ヒュドラの首は、先程と同様に斬撃の威力を軽減しダメージには至らなかった。

 また、斬撃波は飛距離がそれ程ある訳ではなく、攻撃対象との距離が開くほど威力が低下する。それも、ダメージが通りにくい原因となっていた。


「ふははははははは! どうした? 威勢がいい割には、攻撃がぜい弱だが?」


「………………」


「ふんっ! 口の方も随分と大人しくなったみたいだな。ならば、ひと思いに殺してやる!」


 ヒュドラは、首を素早くくねらせると、双頭のうちの片方の口をおもむろに大きく開けた。

 その瞬間、甲高い奇声のような音が放たれる。周囲に広がる不快な高音に、魔王軍の皆の顔が歪む。


「何……これ? 気持ちわる! 頭に……響いてくる!」


 聴覚が特に優れているトリーシャは、たまったものじゃないという表情だ。

 そのような中、アラタの周辺では異変が起きていた。地面に次々と亀裂が入り、割れた大小様々な岩が更に細かく破砕されていく。

 ヒュドラの口からは、超高音の振動波が発せられており、アラタの周囲では振動波による破砕現象が発生していた。

 振動波の攻撃対象であるアラタも、当然その攻撃にさらされているが、身体の表面に展開した魔術障壁で難を逃れているのであった。

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