第61話 危ない2人

 アラタの夢の件が落ち着いた所で、彼は先程からずっと気になっていた事を彼女に問いかけようと試みる。


「あのさ、トリーシャ。さっきから君が言っている『マスター』って何なんだい? どうやら俺の事を言っているみたいだけど」


 その瞬間、トリーシャはハッとした様子でアラタを見つめる。

 すると、急速に顔を赤らめて俯いてしまう。しばらく、その状況が続いたが、彼女は少しずつ顔を上げると『マスター』の件に関して口を開くのであった。


「その……神魔戦争以前のルナールは、奴隷の扱いを受けていたの。特にルナールの女性は貴族の男性からの評判が良かったらしくてルナール専門の娼館がたくさんあったらしいわ」


 〝奴隷〟や〝娼館〟といった、あまりイメージの良くない事柄の連続に、1000年前のルナールの状況が最悪であった事をアラタは知った。

 だが一方で、トリーシャの美しい容姿に見惚れた経験のある自分としては、大昔の貴族の男連中の気持ちが分からないでもないのが歯がゆいところではあった。


「そんなルナールを奴隷の状況から解放してくれたのが魔王グラン様だったらしいの。だから、今でも魔王グラン様は私達ルナールにとってかけがえのない存在なのよ」

「……そうだったのか。魔王グランって、神様と戦う以外にも色々やってたんだな」


 もはや魔王というよりも正義の味方のように人助けをしていたグランに、自らの理想像を重ねていた。

 そんな人物が自分の数世代前の前世だったというのは未だに実感がわかない。だがトリーシャにとってはそうではないらしい。


「だから、グラン様の生まれ変わりで新しい魔王様であるあなたは、私にとって大切なご主人様なの……」 

「……だから、〝マスター〟……か」


 彼女の話から自分をマスターと呼ぶ理由は理解したが、素直に認める事は出来なかった。

 彼女が認めているのはグランであって自分ではないのだから。例え、自分が彼の生まれ変わりであったとしても、同一視されるのは違うと思うし納得がいかない。


(俺はグランの代わりなんかじゃない。俺は……俺だ、だから……)


「トリーシャ、ごめん。俺は君にマスターなんて呼ばれる人間じゃないよ」


 アラタがそう言うと、トリーシャは「分かっている」と言わんばかりに頷き、自分の気持ちを語り始めるのであった。


「マスターがそう思うように、私も最初はそう考えるようにしてた。この魔王様はグラン様とは違うんだって……だから以前、私が寝ている時に尻尾を触られていた時は、正直怖かった」


 彼女が言い終わる前に、額を地面に擦りつけながら土下座を披露する犯罪者予備軍の少年の姿がそこにはあった。


「その節は、誠に申し訳ありませんでしたーーー! あれからは私、心を入れ替えて尻尾を触らないように心がけている所存であります!」


 そんなアラタの発言を聞いて、クスクス笑い出すトリーシャ。その表情には嫌悪感はなく、ただ面白くてしょうがないといった印象だ。


「ふふふふ! それじゃ、今でも私の尻尾に興味津々だって言っているようなものじゃないの?」


 その指摘に自らの恥の上塗りを自覚した魔王は、ますます顔を上げづらくなるのであった。だが、ここで思わぬ提案がトリーシャから持ち掛けられる。


「……マスター。私の尻尾……触って……みる?」

「えっ? いいんですか!?」


 間髪入れずに反応するアラタ。食い気味なその反応速度に、少し驚くトリーシャではあったが、ゆっくりとアラタに背を向ける。

 その臀部と腰の境目辺りから生える豊かな毛量の尻尾がゆらゆらと揺れている。

 その動きはまるで彼を手招きをするかのような印象を受ける。

 アラタはその動きに誘われるように近づき、ゆっくりと手を伸ばし、やがて金毛の尾に触れるのであった。


(このシルクのような肌触りと温かさ! 久しぶりだー!)


 以前トリーシャの尻尾に触れた時は、彼女が寝ている時に恐る恐る触ったため、緊張感で手から伝わる感覚を十分に楽しむ余裕がなかった。

 だが今回は違う。何より尻尾の主自身からの提案によるものなのだ。

 前回は彼女を起こさないようにゆっくり触れるだけであったが、今回は少し早く撫でてみたり、両手で優しく触れてみたり様々な触り方を実行する。


「んっ! ふぁっ! あ……」 


 アラタが尻尾に触れている最中、その主であるトリーシャから甲高い声が聞こえ始めた。


(あれっ? 俺尻尾触ってるんだよね? 何てゆーか、とてもいけない事をしている気分になってきたんですが……)


「ああっ! ふっ! んんっ!」


 段々とトリーシャの口から漏れる声は艶が増し、本人もそれを知ってか手を口にやるも僅かな隙間から嬌声がこぼれるのであった。


「んっ! んうぅぅぅぅぅ!!」 


 アラタが尻尾の付け根の部分を軽く指先でカリカリと掻くと、トリーシャは身体を一際大きく震わせて倒れそうになってしまう。

 アラタが慌てて支えると、トリーシャの顔は上気し目は潤み、ボリュームのある金毛の耳はぺたんと力なくうなだれていた。息も絶え絶えで余裕の無い感じだ。


「マスタ…………」

 

 ぽつりとつぶやいた後、トリーシャは黙ってしまったが、代わりにアラタに対し熱い視線を向けていた。


(あれ? これ……やばくないか?)


 アラタは基本的に鈍感系ではあるが、さすがにこの状況で彼女の気持ちに気が付かないような重傷者ではなかった。

 尻尾を触っている時のトリーシャの反応が可愛くて、つい夢中になってしまったのだが、それがこの状況を作り出したのである。


「マス……タぁ……」


 切なそうな声を上げるトリーシャ。普段の彼女からは想像もつかない、その甘えるような仕草を見ていると、アラタ自身今まで経験したことのない感覚に襲われる。

 頭の中が真っ白になり、ぼーっとする。普段はちゃんと頭の中で仕事をする倫理観や道徳観が機能していない。

 今はただ、本能の赴くままに行動したいという衝動が抑えられない。

 そして、自分の両手の中で横になったまま、抵抗の意思を見せないトリーシャの様子から両者の考えは同じなのだと認識し、互いに顔を近づけていく。


(天国の父さん、母さん、それに妹よ。俺……ここで大人の階段を上ります)


アラタがそんな事を考えながら、互いの唇までの距離が僅か数センチまで来た時であった。  

 再び巨大な風切り音が洞窟内に響き渡り、突風が吹き荒れ始める。

 するとトリーシャは急いで起き上がり、アラタを抱き寄せると魔力障壁を展開し、風に備える。

 先程は、アラタとの必要以上の接触を避けていたため、途中で手が離れてしまい、風に吹きとばされた彼を追った結果、皆とはぐれてしまったのだが、もうそんな遠慮は彼女にはなかった。

 彼女の素早い機転のおかげで、今度の突風を無事にやり過ごす事ができた2人は互いの顔を見合わせて思わず笑ってしまう。

 さっきまでの独特の雰囲気は、突風と共に吹き飛ばされてしまったようで、何事もなかったように装備を整え再び先を目指して歩き出すのであった。

 

(そんなに急がなくてもいいかな。まだ時間はあるんだし、これから少しずつ仲良くなればいいよね)


 そう自分に言い聞かせるトリーシャの表情は柔らかく穏やかであった。


「マスター! 危ないから私が先を歩くわね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る