第60話 トリーシャの涙
――それはあくる夏の日、小学校が夏休みに入って少し過ぎた頃。
その夏には、父さんと母さん、それに妹のチセと2泊3日のキャンプ旅行に行く予定だった。
旅行に行く前日、俺は夕方まで友達と公園で遊んでいて、夕飯前には父さん達が車で迎えに来て、そのまま外食をする予定だった。
父さんは仕事が忙しくて、なかなか休みを取ることが出来なかったからすごく嬉しかったのを覚えている。
だから、友達が家に帰って1人で父さん達を待っている時もわくわくしていた。
夕飯は何を食べようかな? キャンプ場ではどんなことをして遊ぼうかな? アスレチックがあると言っていたから色んなことをして遊べるはずだ。
チセはまだ小さいから母さんと一緒に遊ぶのかな? だったら父さんとたくさん遊べるかな? 早く迎えに来てくれないかな? そんな事を何度も考えながら待っていた。
――でも父さん達が俺を迎えに来ることはなかった。
代わりに俺を迎えに来てくれたのは、さっきまで一緒に遊んでいた友達の母親だった。
すごく青ざめた表情をしている。公園に1人佇んでいた俺の姿を見ると一瞬安堵した様子を見せたが、すぐに険しい表情を俺に向ける。
その後、友達の母親が何かを俺に言っていたが、よく覚えてはいない。
それから、友達の母親と父親に連れていかれたのは病院だった。病院では、そこの職員に案内され建物の中を歩いて行った。
何処となく人気のない通路を進み、ある小さな部屋に通された。すごく寒い部屋だった。
今は夏だけど、この部屋はエアコンが効きすぎているんじゃないのかな?
家でそんなことをしたら、母さんが電気代がどうとか、環境がどうとか言って怒るだろう。
その寒い部屋には、線香が
3つのうち2つは大人が寝ているみたいだけど、残り1つには背が小さい人が寝ているみたいだ。たぶん俺よりも小さいかもしれない。
友達の両親が病院の職員と何か話をして俺の方を見る。そして静かに3つのベッドにかけられている白い布を外していった。
――そこに寝ていたのは、父さんと母さんとチセだった。俺は公園でずっと待っていたのに、どうして3人で病院のこんな寒い部屋で寝ているんだろう?
少し、イラッとしたが、このままだと寒くて3人とも風邪を引いてしまうかもしれない。
俺は、3人を必死に起こそうとしたが、皆全然起きようとしない。父さん達の顔に触れたら、すごく冷たかった。
手を繋いで歩いている時は、あんなに温かかったのに。俺のそんな様子を見ていた友達の両親は泣いていた。
それが〝死〟であるという事を、俺はしばらくしてから知った。いや、漠然とだが死という存在自体は知っていた。
ただ、それは自分とは無縁で関係のない事だと思っていた。だから、それが自分のすぐ近くで起きて、自分の家族という1つの世界を壊す事になるとは夢にも思わなかった。
それからしばらくの間の記憶は飛び飛びになっている。
俺の父さんの兄にあたる叔父家族が最初に病院にやってきて、寝ている父さん達を見て泣き崩れる姿を見た後は、ある建物の一室に沢山の花が添えられ、父さん、母さん、チセがそれぞれ入れられた箱が置かれているという場面にまで記憶が飛んでいる。
その部屋には時々顔を合わせる親戚や沢山の知らない大人がやってきて、父さん達に手を合わせては去って行った。
全員が黒い服を着ていたのはよく覚えている。
それが終わった後、父さん達を入れた箱は違う場所に移動した。
移動した先で、父さん達は箱に入れられたまま、それぞれ壁の中に入れられ、出入り口を塞がれてしまった。
俺が「そんな事をしたら、父さんも母さんもチセも、そこから出られなくなる。それにチセは母さんが近くにいないとすぐ泣くから可哀想だ」と言ったら、おばさんが泣きながら俺の事を抱きしめてくれた。
それから何時間かして、父さん達の所に行けることになった。だが、そこには俺の知る家族の姿はなかった。
ただ、いくつもの白い塊があるだけだった。だから、それが俺の家族だという事実を理解する事ができなかった。
その白い塊は、小さい壺に収まってしまうほどの量だった。俺の前に並ぶ3つの壺。それが俺が見た家族の最期の姿だった。
それを目の当たりにし、何故だか涙が溢れてきた。
多分この時に、俺の家族は皆亡くなったのだと実感したのだと思う。
家に帰った時に、俺を迎えてくれたあの優しい声を聞くことはもう二度とないのだと。
自分は、1人になってしまったのだ――と。
「お……て…………た」
遠くで何かの音が聞こえる。
「起き……ま……た……」
再び音が聞こえたと思ったが、これはどうやら女性の声らしい。
「お願……起きて……すた……」
ゆっくりとアラタが目を開けると、目の前に涙を浮かべたトリーシャがいた。
普段の凛とした彼女とは違って、取り乱した様子に年相応の少女の一面がそこにはあった。
アラタが意識を取り戻したのが分かると、トリーシャは一層泣きながら思い切り抱き着くのであった。
「マスター! 良かった! 目を覚まさないからどうしたのかと思った」
彼女の容赦ない
そんな彼の様子に、再び心配そうな表情を向けるルナールの少女。
「マスター、大丈夫? 意識を失っていた時に泣いていたけど……何か怖い夢でも見た?」
「え? あ……いや……大丈夫だよ。ちょっと昔の事を夢に見ただけだよ……そっか、泣いてたか……なんか恥ずかしいところを見られちゃったな」
アラタは気恥ずかしい気持ちになっていたが、トリーシャは依然心配そうな様子を崩すことなく、彼の傍らから離れようとしない。
今までのかっこいいイメージとは真逆と言っていいほどの可愛い雰囲気を出す彼女とどのように接すればいいかが分からない魔王。
召喚当初よりは、女生とのコミュニケーション能力は向上したと思ってはいたが、今回のようなケースに柔軟に対応できるほどのレベルアップは果たせていないらしい。
「泣いちゃうような昔の事って……何か悲しいことがあったの?」
今のトリーシャは、随分と積極的にアラタに突っ込んでくる。普段の彼女ならば、ここまで一気に他者の事に関わる行為はしないはずだが、今の彼女はアラタとの距離を詰める事に対して積極的、いや必死な様子すら見受けられる。
「俺……10年前に家族が皆、交通事故で死んじゃってさ……その時の事を夢に見たんだ。最近はあまり見なくなってたんだけどね」
「あ……ごめんなさい……私、無神経にそんな事聞いちゃって……ごめんなさい、マスター」
正直にありのままをトリーシャに説明したが、案の定気まずい雰囲気になってしまった事に対して、もう少しオブラートに包んだ表現にすればよかったと後悔する。
「謝らなくても大丈夫だよ。きっと、俺が最近家族の事を思い出す事が少なくなってたから、たまには思い出してって感じで夢に出てきたんだよ、きっと」
ぎこちない笑顔でフォローするアラタではあったが、そんな彼の不器用な対処でもトリーシャにはちゃんと届いていたらしい。
急速に笑顔になっていくルナールの少女の姿がそこにあった。
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