第59話 風の悪戯も程度が過ぎたら洒落にならない

 それから、数時間何事もなく経過していった。この期間、魔物という魔物は一切現れなかった。

 ギルド協会提供のバルゴ風穴ガイドラインには、風穴内部では定期的に強烈な突風が発生し、魔物が吹き飛ばされてしまうため、この中では魔物との遭遇率は低いらしい。

 その代わり、突風が吹き荒れた際には注意をしないと壁に叩きつけられる等して死亡するケースもあるため要注意との事であった。


「今のところ、情報にあるような突風は発生していないが、油断せず進んでいこう」


 バルザスが全員に注意を促す。魔物も恐ろしいが、こういった自然現象が牙を剥く場所では、条件がそろえば魔物よりもずっと恐ろしい脅威になるという事を経験上熟知していた。


「魔王様は、もし突風が吹いた際には……そうだなぁ……あ、トリーシャを頼ってください」

「えっ!? 私?」


 バルザスからの突然の指名に驚きの声を上げるトリーシャであったが、少しばつが悪そうにアラタの方を向く。


「我々の中で、一番風の運用に長けているのはトリーシャだろう? だから、魔王様の護衛として今回適任なのは君だと思うのだが……不服かね?」

「それは……別に嫌ってわけじゃなくて……その……体質とゆうか……」


 最後の方は消え入りそうな声だったのでバルザスには聞こえなかったが、アラタは割と彼女の近くにいたので、それが聞こえていた。

 

(今確かに〝体質〟って言ってたよね。つまり生理的に受けつけないってことだよね……やっぱり俺は相当嫌われているらしい)


 トリーシャの反応と言動から、自分は嫌われていると確信する魔王。

 今思えばバルザスの屋敷を出発する時に、気持ちよさそうに眠っている彼女の尻尾やら耳を無断で触ってしまったのが決定打になったのだろうと考える。

 よくよく考えれば寝ている女性の身体を勝手に触ったのだから、痴漢として摘発されてもおかしくない。

 こうして、今も堂々と日常生活を送れているだけ御の字だ――とポジティブに考える事にしたのであった。

 ちなみに、アラタはあの後何度もトリーシャに謝ろうとしたのだが、アラタが近づくと彼女はどこかに逃げてしまうため謝罪の機会すら与えてもらえない状況であった。

 そのため、自分は余程嫌われているのだろうと覚悟はしていたのだが――。


「……分かったわ。マス……魔王様の護衛は私がやるわ」


 トリーシャの意外な返答に驚くアラタではあったが、彼女の凛とした表情を見ると何も言えなくなってしまう。だが彼の胸中にあるのは――。


(これっていわゆるパワハラにあたるのではないだろうか?)


 よわい17歳にして職場における立場の難しさに苦悩する魔王なのであった。


「それじゃ、魔王様よろしくお願いします」

「よ、よろしく」


 トリーシャとこうして面と向かって話した事はほとんどなかったので、戸惑ってしまうが、ちゃんと見てみると中々どうして、彼女が相当美人な事に気が付く。

 サラサラの金髪にピンと立った金毛の獣耳、少し潤んだ大きな目に長いまつ毛。

 クールビューティーなアンジェとはまた違うベクトルの美形だ。

 初めて出会った夜に、月光を背に幻想的な雰囲気を纏っていた彼女を思い出す。

 カイザーウルフを鎮圧した直後であったという事も手伝ってか、あの時は相当興奮したものだ。

 

 その後はトリーシャがアラタの護衛に付いたが、彼女は常に一定の距離を保ち、それ以上近づこうとはしなかった。

 さすがにこうなると周囲もこの2人の異常な距離感に気が付くのであったが、そこはあえて言及しなかった。

 それには、どのように声をかけたら分からない派と少し面白いから様子を見よう派の2つに分かれていた。

 後者はアンジェとバルザスで前者はそれ以外という振り分けだ。こうして周囲が生暖かく見守る中、アラタは気まずさで胃が痛くなる思いであった。

 魔物とのエンカウントは未だに0であるものの、アラタの精神は徐々にダメージが蓄積しボロボロだ。

 そのような中、魔王軍の歩みが突然止まる。

 何事かとアラタが前方を見ると、そこは今までの道程とは異なり広い空間となっていた。

 だが、進行方向にあるはずの道が途切れ、眼下には底の見えないクレバスが広がっていた。

 さらに前方を眺めるとクレバスの向こう側に道の続きがあるのが分かったが、向こう岸までの距離は少なくとも50メートル以上はあり、とても跳躍によりどうこうなるレベルではなかった。

 だが、それはアラタにとってはというだけであり、それ以外の者にとっては特に何の障害でもなかった。


「エアリアルで行けば何の問題もなさそうですね」


 アンジェが口にしたエアリアルというのは、簡単に言えば魔力を使用した浮遊術である。

 身体の周囲に魔力を張り巡らせ、大気中に満ちているマナの中を泳ぐように移動する魔闘士の初歩的な技術である。

 魔力のコントロールが苦手であると、移動速度が出ないうえに真っすぐ進まなかったりと、やや見苦しい形になるが、逆にコントロールが得意な者が行うと飛行機の如く凄まじいスピードで飛翔することが可能である。

 アラタが初めてファングウルフと遭遇し逃走する際にアンジェが使用したり、湖上で戦闘する際に使われる等、戦闘非戦闘関係なく頻繁に使用されていた。

 魔力の使えないアラタは当然エアリアルを使用できないので、誰かの援助を受けなければ向こう側にある道に到達できないのだが――。


(どうしよう……これって護衛役のトリーシャに頼ればいいのか? いやでも、俺嫌われてるし……他の誰かにお願いするか)


 アラタがロックにお願いしようとした時に、不意に手が差し伸べられる。

 一体誰の手かと視線を向けると、それはトリーシャの手であった。彼女の意外な行動にアラタが躊躇ちゅうちょしていると、本人はややいぶかしんだ視線を彼に向ける。


「魔王様、今は私が直属の護衛なんですから私を頼ってください」


 何かに耐えるような、それでいてどこか恥ずかしそうな表情を浮かべるトリーシャの手を取るアラタ。

 彼女の心中が全く分からないまま、エアリアルによりクレバスの上空を2人は移動し始めた。

 その周囲を他のメンバーが浮遊する。その様子はちょっとした編隊を組む戦闘機のようだ。

 そのような中、それは何の前触れもなく突然発生した。

 バルゴ風穴内に響き渡る、巨大生物の咆哮と聞きまがう轟音――魔王軍がエアリアルで飛行中という最悪のタイミングで凄まじい突風が急襲したのだ。

 それは、もはや突風というよりは嵐や竜巻のような風の猛威であった。

 大気中のマナが荒れ狂う中、猛烈な風に吹き飛ばされないように必死で魔力をコントロールし耐える魔王軍の面々。

 そのような状況がどれだけ続いただろうか? 何とか風の猛襲を耐え抜いたバルザスが急いで他のメンバーの安否を確認する。


「皆無事か!?」

「俺は大丈夫だ。あー、びっくりした」

「私も無事です。まさかあんなタイミングで突風が吹くとは……」

「そうですな……。おかげで肝が冷えましたな」

「ふぅ……皆無事のようですね。アラタ様とトリーシャは大丈夫でしたか?」


 次々に無事だという報告がされる中、そこにはアラタとトリーシャの姿がなかった。

 唖然とする魔王軍一同。数秒間全員が思考停止した後、一気にせきを切ったように慌てだす。

 もしかしたら、突風によって壁に叩き付けられたのかもしれない、それとも風に乗って違う場所まで吹き飛ばされたのかも。

 様々な憶測が飛び交う中、少なくとも付近の岩壁に叩き付けられたような痕跡は見られなかった。

 であれば、考えられるのは異なる場所に吹き飛ばされたケースだ。

 アラタが単独で吹き飛ばされたのならば、途中で壁に激突する危険性が高いが、風の加護を持つトリーシャが一緒であるなら、2人とも無事の可能性が高い。

 2人の生存を信じて魔王軍による行方不明者の捜索が開始されたのであった。  

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