第36話 魔王怒る

 時間にして数十秒程の攻撃ではあったが、この攻撃にさらされた者にとっては永遠に近い時間であった。

 それだけ1秒1秒が恐怖の連続であったのである。

 攻撃が止み、アラタ達が周囲を見やると、完全に地形が変わってしまっていた。 広大な平原に、家屋程の大きさの岩がいくつも並んでいた土地が、ベヒーモスの一撃により穴だらけになってしまったのである。

 凶悪な魔物の意思によって生み出された、炎の岩の雨は魔物の周囲に存在していた全てに深い爪痕を残した。

 この光景を目の当たりにしたアラタの心臓を早鐘が打つ。

 ベヒーモスの付近で戦っていたセス達はどうなったのだろうか? 

 あれだけの攻撃を近距離で放たれたのならば、防御手段を考え対応する時間はほとんどなかったはずだ。

 例えローブを纏っていたとしても、あの攻撃に耐えられるはずがない。


「セスー! ロックー! トリーシャー! ドラグー! 何処にいるんだよ!? 返事してくれよー!」


 力の限りに仲間の名前を叫ぶアラタではあったが、彼の声は広大な大地に木霊するのみで、誰かしらの返答はなかった。

 セス達はおろか、まだ生き残っていた魔物の群れの姿すら視認できない。


「くそっ! あいつ味方も躊躇ちゅうちょなく巻き込んだのか! ……皆、頼むから姿を見せてくれよ!!」


 再びアラタの悲痛な訴えが荒廃した大地に木霊する。

 だが、彼が仲間の生存を信じて発した声に反応したのは、無情にもこの状況を作りだした張本人だけであった。

 強大な魔物がアラタの声に反応し、睨みを利かせてきたのである。

 ベヒーモスから発せられる殺意がアラタ1人に向けられる。

 彼は、その感覚を肌で感じ取っていた。

 上級魔物から殺意を向けられれば、通常は体がすくみ、人によっては身体の生命機関に異常をきたす。

 だが、それとは逆にアラタは身体から怒りが湧きだす感覚を抑えられないでいた。


「畜生……畜生! この野郎! よくも皆を!! ぶっ殺してやる!!」


 自分の仲間を手にかけた敵に対して、憎しみを募らせていく。

 自分が非力な一般人であるという事を忘れ、アラタは怒りのままベヒーモスに向かっていこうとしていた。

 アンジェはそんな彼の行動をいち早く察知し腕を掴んで、これ以上進ませまいとする。

 だが、信じられないことにアラタはアンジェを引きずったまま、少しずつ前進していく。

 魔力を行使できない者が、ローブを纏った魔闘士に力で競り勝つ事など通常は不可能である。

 しかし、魔力を扱えないはずの魔王は、今それをやってのけていた。


(嘘っ! アラタ様を抑えられない! こんなことがありうるの?)


 普段はクールビューティーのメイドの顔が驚愕の色に染まる。もちろん手加減等してはいない。

 全力で取り押さえているはずなのに、制止させることが出来ないのだ。


「離せよアンジェ! 俺はあいつを殺すんだよ!」

「いいえ! 離しません! 相手はベヒーモスですよ。 今のアラタ様では逆に殺されてしまいます! ですから、絶対にこの手は離しません!」


 アンジェを振りほどくことが出来ないと悟ったアラタは、尚も彼女ごと前進する。

 徐々に一度に前進する距離が伸びている。今やアンジェの表情は苦悶に満ちていた。


(益々アラタ様の力が強くなっていく。もしかして、怒りで封印が弱まっているの? 一体、どうすればいいの?)


 状況を見かねたバルザスが、前進を続けるアラタの前に立ち塞がり、彼の頬を思い切り叩いた。

 その表情は、普段魔王であるアラタに向ける笑顔とは打って変わって厳しいものであった。

 怒りや悲しさが入り混じったような表情でアラタを見つめている。


「いい加減に頭を冷やしなさい! 今ベヒーモスに向かって行っても返り討ちに遭うのが関の山です! 死にに行くつもりですか!」


 いつも自分を支えてくれている初老の紳士の思いがけない行動に一瞬怯むも、怒りで頭に血が上ったアラタも黙ってはいなかった。


「何すんだよ、このジジイ! 俺の邪魔をするな! 俺がどうなろうが、あんたには関係ないだろうが! あいつらのかたきをとるんだよ! 俺が!!」


 魔王は鋭い眼光で目の前の老紳士を睨んでいた。

 その目は普段の黒い瞳から血のような深紅に変化しようとしていた。

 その様子を目の当たりにしたバルザスの頬を汗が流れ落ちていく。


(何てことだ。怒りで魔力が滲み出して、魔眼へとなりかけている。だが、無理やり魔力を使えばどのような反動が出るか分からん! 何としても止めなければ!)


「魔王様。今あなたが皆のかたきを討つためにベヒーモスに向かって行って、殺されてしまえば4人はどう思いますか? 悲しむでしょう? それにっ!」


 バルザスが言いかけた瞬間、アラタ達に向かって走り出したベヒーモスの足元で突如爆発が起き、バランスを崩したその巨躯が思い切り地面に叩き付けられる。

 爆煙の中から4つの人影が勢いよく飛び出した。

 各々、ダメージを負ってはいるが、魔王軍のセス、ロック、トリーシャ、ドラグの4名は健在であった。

 その様子を見たバルザスは、再びアラタの方へと顔を戻し、いつもの笑顔を彼に向けていた。


「それに、我ら魔王軍の者は皆強者ぞろいです。そう簡単にはやられませんよ……だから、信じてあげてください、あなたの仲間を」


 4人の無事を確認し、バルザスの言葉を聞いたアラタの身体から怒りと爆発しかけていた力が抜けていき、深紅になりかけていた瞳も元に戻っていた。


「…………ごめん、バルザス……俺、あなたに酷いことを……それにアンジェにも……」


 2人に謝罪をすると同時にアラタはその場に崩れ落ちた。

 魔力を強制的に使おうとした反動か身体に力が入らない。聖山アポロで瞬影を使用した後、脱力感が身体を襲った事が思い出される。


「少し力が使えたと思ったらこれか……」


 ロックやバルザス指導の下、日々鍛錬をしてはいるが魔力関連は封印が解かれない限り改善しない。

 頭では分かってはいるものの、自分の無力さにアラタは苛立ちを隠せないでいた。

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