第21話 一撃

太陽の端は既に水平線の端に沈み、青く澄んだ水面は黄金に輝く宝石のようで。未だ降り頻る青き雪は少年に、黄昏空に浮かぶ黄金の光の粒は彼に最後の力を与える。

二人が描く軌跡は幾度となく交差、ぶつかり合っては弾け。再び動き出せばまたそれは激しく刃を打ち鳴らし合う。


動かなくなってしまった彼は、彼女の膝の上で小さく横たわっていて。

戦うことのできなくなった彼らはもう、それを見届けることしかできない。

「マリア、カケルは」

「傷はある程度塞いだが……」

マリアもカケルの背を優しく撫でるが、彼の小さな心臓は鼓動を打つことも、いつもの様に猫撫で声を上げることもない。

それでも彼の決死の一撃が確かにヴァシリオスへと大きな傷を、活路を開いた。

そしてその活路を突き進むように、全てを託された少年はヴァシリオスと相対し。

「禅斗、垂眼は勝てるか?」

マリアは彼に問いかける。この戦いの結末を、旅の終わりを。

「生憎オレに見える未来はまだ定まってはいない。だが————」

そう答えて彼は、いつものようにほくそ笑んで。

「アイツなら、大丈夫だ」





想いをその手に、願いを剣に乗せて二人は幾度となくその刃をぶつけ合う。感慨はなく、それでも彼らの意志が、意地が、刃が交錯する度に火花となって空へと散る。

「っ……ぐっ……!!」

繰り広げられる剣戟の中、幾度となくヴァシリオスの刃が垂眼の命を掠める。

傷口が熱を帯びるよりも早く次の傷は刻まれて、だがそれでも最低限の傷だけで少年は彼に肉薄する。

「っ……らァ!!」

一歩踏み出しての逆袈裟。ヴァシリオスの右脇腹目掛け刃を飛ばす。対して彼はその場所に盾を置いて刃を止めて。

右手の剣を逆手に、少年の肩目掛け一気に振り下ろす。


だがそれさえも予期したかのように少年は跳躍。既に剣は砂へと還して、左手に剣を想像して狙いを変えて右足を一歩力強く踏み込む。

剣先が向く先はカケルが残した傷痕。抉り広げんと左手を突き出して。

だがその眼前、散らした赤が刃となりて彼目掛け襲いかかる。


回避。剣を投げ捨て距離を取る。

「逃さん……!!」

それよりもわずかに早く刃の一つは形を変えて、鎖が彼の左足を縛り付る。

左の赫き剣は彼の首めがけて繰り出されて。

だがその剣線が描いた軌跡に残ったのは、はらりと散った僅かな頭髪のみ。

姿勢低く、頭上を刃が通り抜けた事を確認するよりも早く一歩力強く右足を踏み込み。

「今度こそ……!!」

繰り出す刺突。左足に後ろ引かれたせいで速さは剣に乗り切らず。それでもその鋭刃は命に迫って。

「やらせん……!!」

大盾が阻む。いや、その一撃は大盾で守らざる得ないだけの威力を誇って。


衝撃。

と、同時。彼の身体は後方へと押しやられて。

「今のは……堪えたな」

息が、言葉が漏れる。新たな傷は負わずとも、既に受けた傷に響いて。痛みは共振するように思考を強く支配する。

カケルから受けた傷は決して浅くなく。既にそれ自体が命を脅かし、常に思考を遮るノイズとなり動きに乱れは生じて。ナタリアに分け与えられた命ではあれど、もはやその命に猶予はない。


そしてそれは少年も同様。

「まだ、届かねえのか……」

ランドマークタワー襲撃から中華街における激戦。"海"における遺産との死闘を乗り越えた彼ではあるが、これだけの戦いによる消耗はあまりにも大きく。加えて刻み込まれた一刃の傷痕。

動けば動くほどに傷は開き、血は流れ死が迫る。力を使い過ぎれば衝動に飲まれ引き返せなくなる。




故にあと一撃————


————耐え切るか。


————叩き込むか。



勝利条件は実に単純。最後まで立ち続けているかどうか、それだけ。


「まさか、もう諦めるという訳ではあるまい」

「当たり前だ」

「それでこそ、だ」

二人は満身創痍でありながらもその瞳に宿した闘志は衰える事を知らず。いや、それ以上に剣を交える度により一層強大な物となって。

そして光が彼らを癒す度に、その決意も確かなものへと変わっていく。


「だからこそ打ち砕こう……彼らの未来の為、君という最後の障害を……!!」

仕掛けるはヴァシリオス。流れ出る赤を空へと振り撒いて。垂眼の意識は僅かにそちらに逸らされる。

されど、その意識は直様彼へと戻されて。

「っ……ぐぁ……!!」

重く、鋭い一撃。僅かに反応は遅れども、垂眼は己が身体ごとその一撃を弾いて負傷を免れる。

「まだ、終わらんよ……!!」

「なっ……!?」

彼が口にすると同時振り撒かれた無数の赤は刃の形を成して音も無く一気に降り注ぐ。

「ってぇ……!!」

その一つ一つはそう大した威力は持たず、彼の命を奪うには至らない。

だがその全てが彼に小さくとも傷を与え、その傷が、赤き雨が彼の動きを縫い付ける。

その最中で繰り出される斬撃は、一つ一つは彼の目で、その感覚で追える。けれども追えるからといって動きを縫われた今、回避は困難なものとなって。

「っ……ガッ……!!」

斬り裂く。受け止めた彼の刃ごと押し込むように赤の大剣は振り下ろされ、彼の体を刻んで。


更に繰り出された二の刃が彼の脇腹目掛け飛んでいく。

「っ……!!」

痛みが、危険信号が頭の中を駆け巡る。

もはやそこから先の動きは反射に近く、刃が振り抜かれるよりも早く両の脚の力を解き放って一気に離脱。

跳躍した先には血の雨が降り注いで、だがその痛みを気に留めるほどにも無いほどに強く、激しくその身を地へと打ち付ける。


赤が、肉が地面に散って。

衝撃が命そのものに大きく響いて。

それでもその振動さえもバネにして彼はすぐさま立ちあがる。


未だ降り注ぐ雨は彼の体を刻み続け、彼の眼前を遮らんと降り続ける。

だが、そんな小さな痛みはもう些末なものと彼は足を止めず。その抵抗は彼にとっても予想外だったようで。

「俺だって……やられっぱなしじゃねえんだよ!!」

「っ……!?」

弾丸が如く加速。剣を扱うならば、いや今までの彼ならばその制御の為ここまでの速さは出さなかっただろう。

だが肉体をぶつけるだけならば、己が身体を武器にするならば思考も制御もいらない。

決定打にはならずとも、この劣勢を覆すには十分。ヴァシリオスに反応させる間も与える事なく、彼の身体を吹き飛ばして。


垂眼は今一度剣を振るう。

まだその刃は届かずとも、徐々に徐々にその守りを切り崩していって。

「懐に……!!」

飛び込み、守りの内でその刃を突き出して。

それより早くヴァシリオスの膝が彼の顎を突き上げる。

意識も飛びかけ、それでも決して彼が剥がれることはなく。

少年は足掻くように僅かに遅れながらも剣を振るい、彼も今度こそと蹴りを胴体に叩き込んで少年は地を転がされる。だがヴァシリオスにも彼を追うだけの余力もなく。


どちらも互いに深き傷を負い、距離は再度離れる。

もはやこれ以上の長き戦いは望めぬことは互いが互いに理解していて。


次の一手が全てと本能が理解して————、





————雨が、止んだ。






「必ずお前に……この剣を届かせてやる……!!」



瞬間その脚に、その手に嵐を纏わせて彼は一気に駆け出す。


あまりにも愚直に真っ直ぐで、揺るぐことのない一閃。


あの日、MM地区支部前で相対した時とは比肩できぬ程に疾く、回避が叶わぬ事は見て明らかで。


「ならば……!!」


己が剣を右手に、彼女の盾を左手に。

彼を正面に捉えて、迎え撃つように。

全ての血をその手に宿して。


怯むことも、決して竦むこともない。

小細工の一つもない、純粋な力による真っ向勝負。



この一瞬を、二人はかつてない程に長く感じただろう。

だが、長きに渡るこの物語の運命を決するは一秒にも満たぬ時間。

刹那の時の中で、二人は最後の敵をその目に捉えて。



正面衝突。




二つの願いが今、ぶつかり合う。






「っ……ぐッ……」

「がぁぁぁッ!!」

衝撃が走り、空気が、世界が震える。

反動で互いの腕が音を立てながら砕ける。痛みに声は漏れるが、二人の脳にはそれを受け入れる間など無く。ただ目の前の存在を、相入れぬ互いを討ち斃さんと全ての意識を眼前へと集中して。


繰り出された剣尖は赤き大盾に深く突き刺さって、抉るように穴を穿つ。纏し暴風がその穴を広げんと吹き荒れて。

対する彼も己が血で今にも崩れん大盾を再び揺るがない護りへと還す。


想いが力となりぶつかり合って、その度に共鳴して、青き光が、黄金の光が溢れ出す。


力を緩めれば届かない。

少しでも退けばその刃が身を刻む。

故に互いに譲ることはない。

退くには、背負うものがあまりにも重すぎるから。



何より————

「負けられ————!!」

「無いのだよ……!!」

互いの意地がその勝利を譲ろうとは思えなかったのだ。



だが、彼が僅かに後ずさる。

「っ……ぐっ……!!ここまで……!!」

血を注ぎ盾を修復するよりも早く、少年の剣が盾を打ち砕いて。

亀裂が拡がり、斜陽がその隙間に差し込む。


ヴァシリオス・ガウラスが背負う命は数多。

されど相対する彼がその手にした願いも、彼一人のものでは無い。


マリアに禅斗にカケル、この場にいない仲間たち。少女を想う全ての人達の願いがその手に集められて。

それが劣る筈も、負ける筈もない。



故に、その一撃は確かに大盾に穴を穿って————



「今度こそ……届かせる……!!」




————赤が、砕け散る。



彼を守っていた大盾は、破片撒き散らしながら黄昏時の空へと溶けていく。

「っ……ぐっ……!!」

体は揺らぎ、大盾は失われ、もはや彼を守るものはそこにはもう無い。



生じた、決定的な隙。


あと一歩、あと一寸、刃を届かせんと手を伸ばす。


掴みかけた彼女の命を、希望をその手に。




だが————、

「まだ……まだ終わらんよ……!!」

足掻く。まだ敗北が確定したわけではない。

ならば最後の最後まで足掻くと、勝利を手にせんと力を込めて。


赤が、爆ぜる。

砕け散ったはずが赤が垂眼の勢いを相殺して、それ以上にヴァシリオス自身の体が吹き飛んで。

「ク……ソ……ッ!!」

剣は届かず。その剣は、確かにあと一ミリにも満たぬ距離まで迫っていた。

だがそれよりも早く彼が距離を取って。


この一撃は、確かに全身全霊、全力を込めた一撃だった。

今までの剣戟を通じ、あの盾で受けたからこそヴァシリオスはそれをその身を持って理解していた。




だからこそ、次の一撃はない。


次の一歩が、届くこともない。


彼にそう確信たらしめるだけの攻防を繰り広げた。




故に溢れ出た最後の血を刃へと形を変えて。


この戦いに終止符を、喪った物を取り戻すために。体揺らぐ彼に狙いを定めて。





少年は力強く、もう一歩踏み出した。


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