第12話 命賭して
ベイブリッジ "海"
冷たく、暗い海の底。ありとあらゆる熱は奪われて、命という命は水に絡め取られ思うように動かせず。容赦なく死は彼らの命を喰らわんと襲いかかる。
だが、たとえ行先が地獄の先であろうとも彼らが止まることはなく。その剣を、牙を、全ての力を尽くし目の前の強大な力に立ち向かう。それはただ一人、イリスという少女を救うために。
「今行くぞ……イリス……!!」
それだけの為に彼らは、この終着点にたどり着いたのだから。
皆の一歩前でエレウシスの秘儀と肉薄する垂眼とカケル。
両の脚に風を纏い、幾度となく繰り出されるエレウシスの秘儀の薙ぎ払いを回避。剣を振るっては再度回避し、また一撃を加える。
この世ならざる怪物とも言えるそれは鋼ともいうべき皮膚を有し、対してその斬撃が通る事はなく弾かれる。
されど、傷は刻まれて。
「カケル!!」
「応よ!!」
拓かれた傷を裂き広げんと繰り出される獣の爪牙。一撃ではその身に届かずとも、二撃ならば命にさえも届かん勢いで抉って。
「さっさとイリス返せやオラァ!!」
鋼が如き皮膚が砕け赤き血飛沫が舞い散り、鯨は雄叫びをあげる。
『————————————!!』
命を脅かされた事を理解したそれは二人を押し潰さんと再度ヒレで辺り一体を薙ぎ払う。
繰り出された大振りの一撃。それに当たれば確実に死は免れず。だが既に少年は数多もの修羅場を潜り抜けてきた。
「当たらねえよ……!!」
故に目に見えるその程度の動きであれば彼には掠ることもなく。
それはカケルも同様、
「ハッ、ンなもん喰らうわけねえなぁ!!」
培われた野生の勘による先読み、そして不可視となる事で狙いを定めさせない事による余裕の回避。
二人の戦いは綱渡り。一撃でも喰らえば前線は崩壊し数多もの死に繋がるだろう。
だが死地を乗り越えこの場所に辿り着いた彼らにとってはこの程度の綱渡り、取るに足らずで。
瞬間、彼女の血刃が傷を抉り開く。
二人へと意識が向いていたソレが、意識外の一撃に反応できる筈もなく。夥しい赤が海に滲み、目に見える傷として現れて。
「このまま……!!」
その傷を起点として更なる断裂をその身体に刻み込んだ。
されど、ソレが彼らをそのまま捨て置くわけもなく。
「来たか……!!」
現れたるは幾度となく目にし交戦したエレウシスの怪物共。その全てが今まで以上に狂った眼でマリアらに狙いを定め襲わんと飛びかかろうとした。
もしその場所に、重力で縛られたさえいなければの話だが。
「お前達なんて調理さえもしてやらん。そのまま、潰れて死ぬがいい」
右手をかざす禅斗。黒星とも思える魔眼からはこの星をも押し潰さんほどの重力と殺気が溢れ出て。もはや飛びかかる事は愚か、その身を持ち上げる事さえもできず。ただその場に肉片を撒き散らして消えて行った。
『——————!!』
同時、それは雄叫びを上げて。エレウシスの秘儀へと目を向ければそれはその口元で力を蓄えて。
「避けろ!!」
マリアが叫ぶよりも僅か早く、それは一気に力を解き放つ。
「うおお……!?」
「ンだよこれ!?」
放たれたそれは水。辛うじて回避はしたが、極めて圧縮されたそれは掠っただけで垂眼の鋼の刃さえも砕いて。
彼らは傷は負わずとも、状況は一転して守りに転じることを強いられる。
「あれに当たれば一瞬で御陀仏だな。まだ仏様にはなりたく無いものだが」
「あれじゃ無くてもどれに当たっても一瞬でお終いさ。それに、あまり時間もかけられないようだ」
垂眼らが付けた傷に目を向ければ、それが緩やかではあれど確かに塞がる様。
例えそれが蓄えし命が溢れ出ていたとしてもその機能は失われず、決して死を受け入れる事などは有り得ない。
そしてそれはより凶暴に、貪欲に失われた命を求めて彼らに襲いかかる。
「全部ぶっころしてやらァ!!」
再度現れた鯨の化け物共を薙ぎ払う爪牙。マリアも古太刀で次々と斬り伏せ、禅斗も重力で投げ飛ばしその多くを海へと還していく。
だが今までプラグラム的だったはずの彼らの動きはより凶暴に、本能的に。それら一つ一つを捌く事は難しくなくとも複数の動きを読み切ることは難しく、僅かに隙は生じて。
「ウジャウジャ出やがって……!!」
その隙を獣となったそれらが逃すはずもなく。命を喰らわんと飛びかかる。
「カケル!!」
それよりも早く、カケルの身体は垂眼に弾かれその攻撃の外へ。同時、今度は彼がその攻撃を受けて。
「っ……!!何してんだ垂眼ェ!!」
「誰か一人でも欠けたら……イリスが悲しむ……!!」
彼は知っていた。あの攻撃を受ければ、命を吸われ立つことさえもままならなくなると。それでも彼は己が身を顧みることなく彼を庇って。
「子分のくせに生意気言いやがって……!!」
だがその結果として戦闘単位は維持され、再度攻撃の機会は生じて。
「一気に……畳みかけるぞ……!!」
「マリアに続け!!」
好機を逃さんと怪物供の群れを掻き分け駆けるマリア、喰らわんと襲いかかるそれの全てを禅斗がその場に縫い付ける。
エレウシスの秘儀も彼女を迎撃せんと再度その口元で力を蓄え始める。
「させるかよ……!!」
禅斗の力によって即座にその眼前へと躍り出た垂眼。短くも鋭き刃に風を纏わせ、力強く一気に切り裂いて。
「喰らえやオラァ!!」
牙を突き立てるカケル。姿を消して近づいた彼の奇襲にそれも驚きを隠す事などできず。蓄えていた力も霧散して。
「決めろ、マリア!!」
大きな傷にはならない。だが、それでも彼女が距離を詰めるまでの猶予は生まれ。
その刃に夥しい程の己が血を纏わせて。その鋭さも、刀身から彼女の全身全霊が込められている事も誰もが理解できて。
「これで……終わりだ……!!」
一気に、音も無く刃が振り下ろされる。身の丈よりも巨大な刃が命喰らうその巨躯の身を切り裂く。
マリアの一撃にその身は二つに分かれ、溢れんばかりの赤が海に滲みその動きを止める。もはやアレを受けて動き続けるのであれば勝機の全てが消え失せてしまうような、それだけの力がこの場に繰り出されて。
なのに、それなのに。
「効いてねェ……!!」
エレウシスの秘儀は断たれたその身を再度結び直す。命なき、命喰らう化物は己が命を繋ぎ止めようとその力を使い尽くさんとする。
「ちくしょう……こっちはもうヘトヘトだってのによ……」
「泣き言を言ってる暇など……ない……!!」
対して彼らは意識も途切れ始め、体も揺らぎ始める。
無理もない。マスターキュレーターの奇襲に始まり、これまでの長きに渡る連戦に次ぐ連戦。彼らの命は既に摩耗しきって、レネゲイドにその身を侵されて。
どれほどの人々が力を添えようとも、人の身で克服するには余りにもその存在は大きく。
絶望に、絶望が塗り重ねられていく。
見えた光さえも、掴んだ希望さえも消え失せていくような気がして。
今までの全てが、水泡に帰してしまう気がして。
『ワ──────タシ』
それでもあの一太刀が、確かに呪いの一端を切り解いて。
「イリス……!!」
ノイズ混じりであっても、彼女の声が、確かにまた現れたのだ。
『イタイノモ……コワイノモイヤ……』
泣きじゃくる子供の声。紛れもなく、それは彼女の声。どうしようも無くなって、ただ泣くことしかできずその場所に佇む彼女。
己が持つ力のせいで多くを傷つけ、幾つもの命を歪めてしまった。
————少女はただ、綺麗な物でありたかっただけなのに。
だから、償いと言わんばかりに彼女はこの場所で己が身が果てるのを待つ。
きっと彼らなら、全てを終わらせてくれると信じていたから。
「エレウシスの秘儀……いや、イリス」
けれども彼女は手を差し伸べる。
「もう帰る時間だ」
殺しに来たのではない。終わらせに来たのではない。
彼女は、迎えに来たのだから。
「みんなで帰るぞ」
少年もまた手を伸ばす。ぱへを食べてクリームを頬に付けたまま帰った、あの時と変わらない様子で。
この場にいる誰もが、どれほどの傷を負おうとも決してその想いを変える事なく、ただ優しく手を差し出していた。
『ワタシガモドッタラ……マタミンナガキズツク……』
彼女は理解している。その手を取れば、また大切な人を傷つけると。もしかしたら今度は殺めてしまうかもしれない。
あの日救われた結果が今ならば、またこの様な惨劇を、更なる悲劇を巻き起こしてしまうのかもしれない。
頭では分かっていた。願ってはならないと分かっていたけれど————
『デモ……デモ……カエリタイ……!!』
溢れる想いを、願いを抑え切る事なんてできなかった。
「オウ、それでいーんだよ!!」
彼は誰も自由に生き、願いが、想いが何に憚られる必要なんてないことを知っているから。だから彼女の想いを、掬い上げて。
「他人を傷つけるだの、いちいちそんなことなど気にしなくていいのだよ。こう、オレくらいな、傍若無人にな!!」
彼もまた長く多くに支えられ、傷つけ傷つけられながら生きてきて。
「さんざん人に迷惑かけて死んでやるくらいの気概がなくっちゃ。心臓が始まった時、嫌でも人は場所を取るのさ」
それでも生きていていいのだと知っているから、彼女が帰る事を許して。
彼らの想いが届いたのか、少女は静かに言葉を放つ。
『ミンナ、オネガイ……』
消えゆく声。魂は呪いへと絡め取られ、再び力へと呑まれゆく。
『ワタシヲ、コノチカラヲトメテ……』
だが、もはやこの場の誰の想いも一つになりて。その声も決して己が運命を受け入れようとはせず。
『ワタシモマダ……ミンナトイッショニイタイカラ……!!』
彼女は嘘偽りの無い、心からの願いを口にした。
それを聞いたならば、彼らが為すべきことは唯一つ。
それぞれが再度武器を構え、己が全力を出し尽くす。
これを最後に。彼女の苦しみを、終わらせる為に。
何度だって立ち向かえ。何度だって戦い抜け。
その身が幾ら傷つこうとも、その
命を賭して、彼女を救え。
塗り重ねられた絶望の先にも、まだ希望はあるのだから。
続
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