第13話 おかえりなさい

ベイブリッジ "海"


数多の命は失われ、数えきれぬ程の涙と血は流れ。遺産"エレウシスの秘儀"を巡り幾つもの悲しみは積み重ねられ、その全てが呪いへと変わりて。今、その呪いが彼女の魂を雁字搦がんじがらめに絡め取って。


誰もが諦めるだろう。誰もが打ちひしがれるだろう。

これだけ強大な存在を目にして、これだけの呪いと相対して立ち向かおうなど誰一人思わないだろう。

だが、彼らは決して諦めなどしない。絶望が前面を覆い隠そうとも、命賭して最後の最後までその足を前へと運び続ける。

「さあ諸君、正念場だ!!」

もはや希望は、その手の先にあるのだから。



『————————————!!』

エレウシスの秘儀は己が身を守らんと再度鯨の怪物を生み出し、彼らにけし掛ける。

それ残りし命も僅かで命を象る事も困難ななよか。作られたそれらはもはや正常な形ではなく、血と肉を海に撒き散らしながら歪な形のまま彼らに襲いかかる。


彼らの命を喰らわんと本能がままに大口を広げその巨体を前へ前へと進める。

相対するはマリア。その手に古太刀を構え、己が血をその刀剣に纏わせる。

瞬間、目眩と共に視界と体が揺らぐ。今までの戦闘から使える血も残り僅かだと身体が全力で報せる。

だが、それでも彼女は躊躇うことなく一歩前へと足を踏み出し。

「弱点が……ガラ空きだ……!!」

古太刀の一撃によって容赦なく崩れかけの鯨を確かに葬り去る。

踏み出した足は揺らいでいたが、それでも彼女は己の覚悟を軸に再度その身を奮い立たせた。


「まだ来るぞ!!」

皆の僅か後方で声を上げた禅斗。彼の言う通り三体の鯨は崩れるその身を厭わず、命喰らわんと邁進する。だがそれでも、彼らを止めるには足らず。

「ぶっ飛ばす……!!」

「ウザってーんだよ!!」

垂眼の風纏し斬撃は鯨の化け物を綻びから切り開いて、カケルの爪牙が抉り裂く。二人の攻撃に命尽きた二体の鯨は泡のように海の中へと消えていく。


しかしもう一体は後方へと抜ける。

「支部長!!」

禅斗目掛け大口を広げ迫るその怪物。禅斗は重力で押し留めるが、やはり単身でそれを屠り切る力は残っておらず。

「私に構うな!!イリスちゃんを、助けろ!!」

それでも彼は仲間達に前へ、前へ進むように彼らを叱咤する。


————彼は、並行世界で彼らが死ぬ未来を見た。イリスが犠牲になる未来を見た。誰もが報われぬ未来を見た。

どの結末も残酷で、見るに耐え難くて、脳が侵される以上にその度に己の胸が締め付けられるような苦しみに襲われた。


だが今ここには、確かに誰もが救われ、誰もが報われる未来が存在する。他の世界には無かった、確かな希望が目の前にあるのだ。


決して手放すわけにはいかない。決して、今を逃すわけにはいかない。


そしてその想いは、誰もが同じで。彼の願いを汲み取って。

「死なんでくださいよ……!!」

「ああ……!!」

今一気に、エレウシスの秘儀へと最後の攻撃に彼らは転じた。



肉薄する垂眼とカケルとマリア。彼らが斬撃を放たんとすれば、エレウシスの秘儀は彼らを遠ざけんとその巨体で辺り一帯を薙ぎ払う。

その攻撃は彼らからすれば避けることは困難でなくとも、確実に攻撃の機会は奪われていく。時間も、命も、使えるものは残り僅かだという事が余計に彼らの中の焦りを掻き立てて。

それと同時、彼らの一撃一撃は確かにそれに傷を刻んでいく。もはやエレウシスの秘儀も虫の息で、再生速度も目に見えて落ち、彼らの最大の一撃ならば致命になる事は明らかで。



故に、決着の時は今ここに訪れる。



「来るぞ!!」

力を蓄え始めたエレウシスの秘儀。繰り出さんとするはあの鋼をも断ち切らん水砲。マリアの掛け声と同時に皆が回避行動を取る。

既に一度見た動き。ならば最適行動は既に把握している。目線は見えずとも自ずと狙いは予測できて、一歩踏み出そうとした。


されど現れしは彼らを遮る一体の鯨の怪物。もはや見る影も無いほどに朽ちたその身体。エレウシスの秘儀による最後の足掻きによって生み出された最後の一匹。

「邪魔すんじゃねぇ……!!」

一閃。少年の剣は朽ちかけのそれを纏いし風で両断する。

だがその結果、その足は止まってしまった。

再度回避行動に移ろうとするが、一度止まった足を再度踏み出すには遅すぎて。

「っくしょう……!!」

蓄えられた力が、彼目掛け解き放たれた。



————衝撃。



二つの力がぶつかり合い、空気が、彼らに纏わりつく水が大きく震える。

エレウシスの秘儀より放たれたは全てを裂かんと放たれた水砲。それを押し留めるはこの世界で何よりも重く、時さえ呑まん重力を有した黒星の弾丸。後方を振り返れば、手傷を負いながらも弾丸を繰り出した禅斗の姿が。


これは、もはや純粋な力の勝負。

どちらがより強き力で他方を圧倒するか。この勝負において、勝敗を決するにそれ以外の要素は存在しない。

本来ならば無限に等しい命の力の力を持ったエレウシスの秘儀に、ただのオーヴァードたる禅斗が力で敵う訳など無い。

だが今、エレウシスの秘儀の命は尽きかけ、その力は限界に達している。それでも、それだけならば互角にさえも届かなかったであろう。

超常の力は想いに、感情の昂りに応えるようにその力を増幅させて。そして想いが、願いが最高潮に達した彼の力は極限に至って。

「貫け……我が奥義……!!」

互角。いや、彼の放った黒の弾丸は遺産の力さえも凌駕し。



————赤が散る。



音もなくその弾丸は、確かに鯨の頭部を撃ち抜いて。鋼とも思えたその身体には、確かに穴が開いていて。

彼の一撃が確かにその絶望に穴を穿ち、彼が目にする世界はもうその掌の中に。


そして今、その手を、その手に触れた世界を強く握りしめる。


足掻きに足掻き、大ヒレで辺り一帯を薙ぎ払わんとエレウシスの秘儀は力を振り絞った。されどその動きは、いや、命は止まって。

「今までの雑魚に使うのには躊躇われたが……君のために。今私は、いやオレは力を奮う時」

禅斗の魔眼は確かにエレウシスの秘儀を正面に捉え、僅かな時間ではあれどその命を時の流れの中で縛り付ける。


同時、彼の頭に鋭くも重い痛みが走った。

能力の連続、それも全力の使用。彼の脳は、身体はもはや限界を迎え、その場に膝をついてしまう。

それでも彼は笑みを絶やす事などは無かった。

「トドメは、君らに託す」

その先の未来を、確かにその目にしていたから。


彼もまたそれに応えるように、少年は駆け出して。

「ここで使わなきゃ、いつ使う……!!」

その身に風を纏わせ、剣に風を纏わせ、一気に加速。開かれた傷目掛け、作り出された僅かな時の間に距離を詰めその剣を全力で振るう。彼を遮るものは何一つ無く、彼がその剣を振るうと同時、風が吹いた。


一撃。

初めはそよ風とも思えた剣の流れも、振り抜いたその瞬間には肉を断ち切らん程の暴風となりて。

『————————————』

悲鳴を上げるエレウシスの秘儀。遅れて己の命が危機に瀕している事を理解したが、既に彼は地に足を付けていて。

「これが奥の手だよ……!!」

解き放つは限界超えた一閃。一撃で倒せぬなら、もう一撃。少年が彼女を守る為にあの日限界を超えたように。今もう一度、彼は最後の力を解き放って。

「戻ってこい!!イリス!!」

二撃。

繰り出された斬撃によって旋風は巻き起こり。嵐とも思えた剣の乱舞は切り開かれた傷を更に広げ、その身を、その巨躯を両断し。彼が着地すると同時、真っ二つに分けられたエレウシスの秘儀は遂にその動きを止めた。



筈だった。

「っ……!!」

最後の足掻き。何者も寄せ付けんと、残りし僅かな体力を振り絞ってその身で彼を叩き潰さんと暴れ回る。

垂眼も回避せんと両脚に力を込めようとしたが、限界を迎えた彼にはそんな力も残されておらず。

「くそ……もう体が動かねえ……」

重い、重い一撃が彼の身体を捉え、その身を砕き彼の身体を吹き飛ばす。

「くそ……もう少しだったのにな……」

「ッオイ垂眼ェ!!」

叫ぶ。全身全霊で叫ぶ。だがカケルの声ももう彼には届かず。

「馬鹿野郎!!おめーだけは死んだらいけねーだろうがァァァァ!!」

流されるように彼の身体は宙を舞い、彼がもう動かん事を嫌でも皆に知らしめる。


だがそれでも、それでも止まれない。

「来るぞ!!」

「こっちから行ってやらァ!!」

迫り来る半身となったエレウシスの秘儀。カケルは怒りに任せ、闘志を剥き出しにして正面からその牙を突き立てんと一気に駆け出す。

無論、守りもなければ回避もなく。鈍重なる一撃が叩き込まれるのは明らかで。

「ガハッ……!!」

「カケル!!」

小さき身体にその一撃はあまりにも重く、骨が砕かれ、肉が潰される。

例え彼がオーヴァードであろうとも、幾度かは生き返る存在であろうともその痛みは決して小さな物ではなくて。本能的な死の恐怖にも確かに晒されたであろう。


だが、それ以上に彼はそれに活路を見出していた。

「ようやっと捕まえたぜオラァ……!!」

血に塗れながらも確かにその爪はエレウシスの秘儀の首筋にがっしりとしがみつき。その狙いは確かに生命たる存在の急所に定められていて。

エレウシスの秘儀も全てを理解し、彼を振り払わんとする。されどそれはもはや手負いの獣。命捉えし狩人の前では、その足掻きさえも無意味で。

「喰らえやオラァ!!」

叫ぶと同時、首筋に一気に牙を突き立てる。同時に赤が溢れ出て、怪物は悲鳴を上げる。

振り払わんと必死にその身を振るうが徐々に、徐々に力は失われていき。彼もまた牙を深く、深く突き刺して。強く、強く噛み締めて。

「子分殺られて……タダで死んでたまっかよぉォォォォォ!!」

体が放り投げられるよりも早く、力強く喰い千切る。友を救う為放たれた獣の王の決死の一撃。振り払われようとも決してタダでは済ませる事はなく。それが持つ最後の命を、彼は確かに喰らい去ったのだ。


一匹の猫と鯨は同時にその場に落ちて、どちらも動かぬ物へと変わり果てんとしていた。

いや、エレウシスの秘儀はさすが遺産というべきか。まだその生を繋ぎ止めようと僅かながらも動き続けていた。

されどそれももう虫の息で、何を成すことも出来ぬだろう。

そしてそんな姿となったソレの前に、彼女は古太刀を手にして前に立つ。



幾つもの犠牲と託された想いの果てに動きを止めたエレウシスの秘儀。それを目の前にして彼女は何を思っただろう。

幾つもの命を奪ったそれへの怒りか、彼女を救えるという希望への期待か。如何様な事を考えていた事などは知る由もなく。

マリアは、決して表情を変える事なく静かにその太刀を構える。それが己の役目だと言わんばかりに、粛々と、淡々と。



されど、彼女もほんの少しの笑みをこぼして。

「ああ、イリス……」

優しく、優しく一歩前へと踏み出して、慈愛と共に————、



「おかえりなさい」



その手にした刃で、命を切り解いた。







——————海に、光が差し込む。



光に当てられた鯨達の亡骸はほどけるように青き光へと変わっていき、闇に閉ざされていたはずの海の底には光が溢れていく。


倒れ伏した彼らの体も泡に包まれて、その泡が傷を癒やし彼らに命を分け与える。


彼らが意識を取り戻すよりも早く、水底は光に満ち満ち溢れ、次第に彼女の視界も白けていく。



ただそんな白くなった視界の中に、彼女はぼんやりと輪郭を残した少女の姿を見つけた。

その姿ははっきりとは捉えられない。それでもその少女が誰かは彼女も分かって。

『マリアさん……みんな……ただいま……!!』

笑顔で涙混じりの声。

彼女がいつもの様にその髪を優しく、優しく撫でた時、確かに彼女の魂は呪いから解き放たれたと、その手で感じ取れた。


少女もそれに安堵し、小さくはにかんで。笑顔のままで泡の様に消えていく。



そして同時、視界は白に染まりきって、青き光が空へと昇っていく。


光につられる様に、泡に包まれた彼らの身体も浮かび始め、次第にその場所を離れていく。


遠ざかるその場所を見れば、一人彼女が眠らんとした水底はもうそこには無く。


役目を果たし空っぽになった海には、希望の光だけが優しく、優しく満ち溢れていた。


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