第11話 地獄の先

横浜 ベイブリッジ


かつてあの日も同じ理由のために訪れた、横浜と東京を繋ぐ海を渡る架け橋。

その中央には"海"が形成されて、そこから次々と歪んだ命と怪物達は生み出され、既に道という道を埋め尽くしていた。


「ここから先は車での移動は困難ですね……」

「ヒュー、すんげーな」

「どこぞのゲームのボス戦みてえだ」

その数は中華街さえも遥かに凌いで、車で突っ込むのが無理のは明らか。故にそれぞれがその手に武器を手にして。しかしそれでも、今までで一番希望が近いところまで来た。

「皆さん、今度こそ私が囮になります」

大盾を構え一歩前へと踏み出す彼女。

「多少の傷を負う事はあっても、最小限の被害であそこまで辿り着けるはずです」

彼女の言葉にはあの時のような絶望はなく、守るという誇りと信念が確かに宿っていた。

「あり、でもお前ビームとか出せんの?」

「私にはこの鍛え上げた肉体があります。こじ開けるだけですよ、猫さん」

「ひゅー……」


カケルの反応を見て少し微笑んだと思えば、とても澄んだ表情で彼女は口を開く。

「……私は三度目の生を受けて、貴方達に出会えて良かったと思っています」

ここが最後だと、そう確信していたから彼女は心に留めていた想いを吐露する。

「貴方達と出会えた事で、彼を打ち破った貴方達の目指す幸せな未来を、私たちが真に望んだ世界をこの目で見届けることができました」

あの地獄の中で、いつか叶えたいと仲間達と語り合い、願った世界。小さな世界であれど、それを実現した彼らは、彼女にとって彼の理想の正しき体現者達で。それは同時、己が彼の理想を、仲間達の在り方を歪めてしまったという罪の意識さえも和らげてくれた。それどころか新たに罪さえを重ねたにも関わらず、彼らは見捨てなかった。

故に彼女は己が誇りと、その手に携えた鉄の守りで応えると誓って。

「無駄口を叩いてしまいましたね。参りましょうか」

「頼んだ。できる限り生き延びろよ」

「生きて帰れよ」

禅斗もマリアも、彼女の生存を願い。

「……ええ」

それが叶わぬと理解しながら、彼女は消え入るような声で優しく答えた。



そして彼女が一歩前へと踏み出そうとした時、後方から無数の音が聞こえた。

「新手か?」

一つ、二つ、途中から数えきれない程の蹄の音。それが敵か味方かは分からない。だがその音は次第に近くなり。気がつけばそれは既に彼らのすぐ近くまで訪れていて。

「退きな退きなァ!!」

赤髪の少女が駆りし騎馬が彼らの脇を抜けて。彼らに目もくれることもなく亡者らを炎雷によって薙ぎ払う。それは後方の彼らの肌も焼かん程の熱波と瞳も潰さんほどの閃光がこの場を覆った。


「待ってよカトレアちゃん!!」

続いて現れたのは騎馬に跨りし緑髪の少女。一度足を止めてその視線を群れへと向けた。

「にゃーん」

その隙を逃さず、すかさずカケルは彼女に擦り寄らんと近づく。

「ね、ネコちゃん!?危ないから離れてて!!」

「うおっ!?」

が、それも叶わず。彼が飛びかかろうとするよりも早く、カケルと彼女の間に地がせり出て彼の接近を阻んだ。それと同時、彼女が鯨の怪物に狙いを定めて。

「ターゲットロック……!!ニベルさん、お願いします!!」

「あいよ」

後方から聞こえし声。それと同時に放たれた鉛の雨は次々と誘われるようにして鯨を穿ち、地に落ちたそれらは血溜まりとなり消え去った。


突如現れた彼ら。その連携と統率力は軍隊そのものと言うに相応しく、ああも遮っていた筈の亡者も怪物も気付けばその勢いは明らかに削がれて。

「なんだこいつら、地獄の遣いか?」

ただ垂眼が口にした通り、彼らが誰なのか、何故彼らに手を貸すのか、何もかもが疑問が尽きなかった。

「何故……何故あなた達が……!?」

彼女、大盾のレギオンナタリアを除いて。





「地獄の遣い、か。言い得て妙だな」



————声が、聞こえた。



あの日、死闘を繰り広げたあの男の声。



「─────地獄の様な光景だ。私達がこの世界にある不平等を是正せんと、戦ったあの戦場よりも」



理想の為に血を流し、エレウシスの秘儀に呑まれ、消えた筈の彼の声が。



「はは、なるほどそういう事か」

「……んなアホな」

「彼女がここにいるんだ。彼らもいても何もおかしくない」



振り返れば声の主が軍勢を率いてそこに立つ。

その眼に、清廉なる⻩昏の信念を宿して。


「なあ、マスターレギオン」

「ああ、久しぶりだな。UGN」


マスターレギオン、かつてそう呼ばれた男が今彼らの前にとその姿を現したのだ。



「てめぇ。戻ってきたのか」

「ある少女に君達を助けるよう頼まれてしまったのでな」

「……イリスか」

その手に赫き剣を携えたその男は、その姿はあの時と同じ筈なのに言葉を交わしても不快感は感じられず。それは本当に同一人物かとも疑うほどに。

「誰だオマエ!!もしかして俺だけハブかよ!!」

カケルは彼に詰め寄る。実際に出会うのは初めてで、だがヴァシリオスは世にも珍しい喋る三毛猫にも落ち着いて口を開く。

「初めましてだな喋るネコくん。私はナタリア、そして彼らの上官だったヴァシリオス・ガウラスだ」

「ほーう……ナタリアにゃ世話んなってるぜ」

小さな手を差し出したカケル。

「俺はカケルだ。猫だぜ」

「宜しくカケル君。私こそ、彼女が世話になった」

握手を交わす一人と一匹。カケルは彼がナタリアの仕える唯一人の隊長と認識し、少なからずその本能で彼の強さを捉えていた。


そしてヴァシリオスは彼らの前に立ち、厳かに開口する。

「ここは我々、黄昏大隊に預けて欲しい」

その眼は既に彼らの終着点たる"海"を見据えて。彼の部下達もその意志は同じく。

「あそこにエレウシスの秘儀があるのだろう?」

「助かるぜ。猫の手も借りてぇと思ってたとこだ」

皆もそれが最善と判断し、並ぶように立って。

「では、今から我々は⻩昏大隊が開けた突破口から突入する」

この場にいる誰もが、同じ理由をその胸に宿してただ一点に目を向けた


「征くが良いUGN……。彼女の待つ、地獄の先へ……!!」

そして今、彼の剣が爆ぜると同時、血の衝撃が数多の死者たちを飲み込んで道を切り拓く。同時に繰り出された炎雷、隆起する地形が作られたその道を確かなものへと変えて、鉛弾の幕が敵の侵入を遮る。

衝撃と共に切り開かれた道で一直線に駆け抜ける彼ら。例え漏れ出た敵が来ようとも、鋼の防御が、彼女の守りがその攻撃を通すことはなく。


走り、走り続けて辿り着いた橋の中心。少女を救わんと幾つもの想いと願いの果てに辿り着いたその場所。そこにはあの日と同じように彼らの終着点が、"海"が広がっていた。

「さて、我々はこのまま防衛戦へと移る。君達が戻るまでは持ち堪えよう」

「はっ、生き返ったばかりで本当に持ち堪えられるのか、ジジイ?」

「これでもまだ現役で貴様よりも若いんでな、舐めないでもらいたいなMM地区支部長。それに喧嘩を売りたいのならば幾らでも買おう。全てが終わった後にな」

口悪く牽制する禅斗と冷静になりながらもその闘志を露わにするヴァシリオス。互いに悪態をつくがそれと同じくらいに互いの力を確信し合って。


「……皆さん、私はここに残ります」

その傍らで静かに口を開いたナタリア。

「私が残れば、確実にこちらの敵があなた達に向かうことなどさせません。それで、構いませんね?」

「にゃーん、勿論だぜ」

「ああ、適任だな」

一匹と一人は頷き、全幅の信頼を彼女に預けて。

「じゃあ、任せたぜ」

「ええ、任されました」

少年と彼女も互いにその想いを託し合って。


「さあ、行くぞ!!」

マリアの号令と共に一気にその場所に、海へと足を踏み込む。

迷いも躊躇いもない。例えこの先が地獄、それより悍ましい地獄の先であろうとも構う事などなく。目の前の一縷の希望を、少女の未来を掴み取る一心だけで。


一歩。小さくも、今までで一番大きな一歩を彼らは踏み出し、今、終わりの場所へと飛び込んだ……





彼らの征く先を見届けたヴァシリオス率いる黄昏大隊。彼らの無事を祈ると同時、即座に表情を変えてその眼を敵へと向ける。

「隊長、私はカトレア軍曹と共に敵の動きを制限します」

「ああ、頼んだぞシャルミ伍長。ニベル少尉は————、」

「皆まで言わずとも分かりますよ隊長。浮いた敵からいつも通り撃ち抜いていきます」

「油断するなよ」

「はいはい。あんな死に方したんで流石に俺だって学んでますって」

「いやぁー!!姐さんとまた一緒の戦場と戦えるなんて思わなかったし、気合十分だ!!」

「カトレア、士気が高いのは良いことですがそれで視野が狭くならないように」

「わかってますって!!」


ヴァシリオスの眼前に広がるは地獄。されどそこにはその地獄に抗おうとするかつての仲間達がいて、あまりにもそれは変わらなくて————

「……隊長」

「ナタリア、私も今まで通り前に出て敵の殲滅に移る。君にはその援護を————」

「副官として、お話があります」

そしてナタリアが遮るように、憂う彼に言葉を投げかけた。




—————————————————————




深い、深い海の底。彼らはその場所目指して下へ下へと降っていく。


光は僅か、冷き水が命から熱を奪い、この場所は生者のための場所ではない。

時折外にいた鯨の怪物達が視界の端に映るが、それらも彼らのことなど気に留めず。互いに互いを食い合って、命を求めて赤が次々と滲んでいく。


あの日潜った"海"とは似ても似つかず。あまりにも狂いに狂った光景。もし仮に地獄があるとするならばここがその場所なのだろう。

しかし混沌とした視界に反して音はなく、不気味なほどに静けさのみが彼らを包み込んでいた。



『モウ……イヤダヨ……』

底から、声が聞こえる。ノイズ混じりの彼女の声。

「今のは……」

「行こう」

その声を頼りに、下へ、下へと突き進んでいく。終わりが見えない、深く暗い闇の底へと潜っていく。進むほどにその声はより鮮明に、確かなものへと変わっていき。


そしてたどり着いたその場所。光さえ届かない、海の底。

『ダレモ……キズツケタクナイヨ……』

そこで彼女は、"エレウシスの秘儀イリス"は静かに、その巨躯が朽ち果てるのを待つかのように座していた。



『……!!ミンナ、キチャダメ……!!』

それは彼らに気づくと同時、声を上げてその場を去るように告げる。だがその言葉と裏腹にそれはヒレを振り上げて今にも襲い掛からんとする。きっとアレの中にいるはずのイリスは彼らを守りたいと願うのだろう。しかし、もはや彼女にもその力を制御することはできず。繰り出されたその一撃が水を掻き分け、彼らの命をも押し潰さんとした。


「間一髪だな」

解放された魔眼の力でそれを受け止めた禅斗。だがそれも長くは続かず。僅かに速度を落としはするがその勢いは生き残り。

「ッ……!!」

「っぶねえ!!」

辛うじて回避。踏み出した一歩の先はあまりにも険しく脆く、今にも崩れそうで。


それでも、諦めるという文字は彼らにはなく。

「おめーはイリスか?俺たちがわかるか、オイ!!」

カケルは友である彼女に呼びかけ続け、

「こいつが奇跡の正体か?」

「あれがエレウシスの秘儀の本体だ」

「じゃあ、こいつが全ての元凶か」

垂眼とマリアは彼女の未来を脅かす最大の脅威をその眼で捉えて、

「手順を」

禅斗ももはや眼前の脅威に絶望などする事もなく、その先を見据えた。


『ワタシハ……ワタシハ……!!』

傷つけたくないという想いと、己が力に飲まれて錯乱する彼女。

「嫌なもんだな、声がまるっきりあいつじゃないか」

その声はまさに彼女の声そのもの。だからこそ、彼らの積み上げてきた救いたいという想いは最高潮にまで達して。

「先ずは動きを止める必要があるな」

「ぶん殴ればいいか?殺る気でいってもそうそう死なねーだろ」

「ここが正念場だ。やるぞ、みんな」

今この時、全ての想いが、一つとなった。



友の為、その爪牙で光を指し示せ。


明日を掴み取り、黒星を以って障壁を打ち砕け。


その血を刃に、呪いを断ち切れ。

まだ彼女は、この世界の綺麗な物を知ったばかりなのだから。


少年よ、風となれ。

また彼女が、嬉しいと思える日々を過ごせるように。



全てを解き放ち、運命に抗え。

目の前の希望をその手にする為。


これはただ一人、たった一人の彼女を救う為の物語の、終着点だ。


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