第4話 パナテナイアの聖宴

横浜中華街


このような惨状にも関わらず華やかな灯りに照らされた大通り。その灯りすら届かない、一本入った裏道。影という影の中をくぐり抜けて、闇を抜けた先にその診療所、とも思えない何の変哲もない家屋の前にたどり着く。

「ここです」

雨宮がドアを開ければ、確かに微かだが薬品の臭いが流れ込んで、カケルは分かりやすく顔をしかめる。中は薄暗く、ほんの少し不気味さえも覚えるが、雨宮が彼らのことを気にも留めずズカズカと進んで行くため置いてかれないように付いていく。


初めはただの一軒家かと思えば、ドアを開けて進めば鼻を突く薬品の臭いは強くなっていき。そしてあるドアを開けばそこからは明るく、雰囲気も一点変わって。

ガラス張りの部屋にドアが備え付けられ、ガラスの向こうには数多の機器とベッドに横たわり管に繋がれて。

「連れて来ました」

「ああ、コイツらか。ヤブの依頼主とやらは」

ドアの手前に椅子の上に座るのは少し不機嫌そうな、この場所の主人と思われる人物。

「おっと待ってろ。中には入れねえからな」

彼らが何かを言う前にガラスをノックして到着を伝える。薮もそれを認識するとほんの少し手を止めて、助手の真奈に指示を出す。


その指示された作業が終わると真奈はドアを開け、彼らの前に現れた。

「すみません、呼び出しておきながらお待たせしてしまって」

「いいや、構わないさ」

「それで、彼女の容態は」

「あちらでお話し致します」

彼女に案内され待合室のような、粗末な椅子がいくつか並んだ部屋に案内される。

彼女も疲労の色が濃く見えて、椅子に腰掛けたときにもほんの少し身体がふらついていた。


「それでイリスちゃんの容態なんですが、肉体はまだ生きています……先ほどよりは延命もできるはずです……けど……」

言い淀む。疲労の色が余計に表情の陰りを濃くして。それでも詰まった言葉を喉の奥から吐き出す。

「魂が抜けたように目覚める兆候すら見えず……このままでは、身体も明日の日没までが限界だろうと……」

彼女のその沈んだ、悔しさ混じりのやりきれない口調からもそれが覆しようのない事実だと受け取れる。

「手を打たねばならないが、今動いてもダメだ」

冷静にその事実を受け止める禅斗。今ここで焦ったところで無意味なことを理解してるから彼は平常心を保ち続ける。だが、それを受け止めきれないものたちもいる。

「……じゃあどうすりゃいいってんだよ!!ハッキリ言え!!希望はあんのか!!あんだろ!!あるんだろ……!?」

カケルは小さな身体で彼女に詰め寄る。だが彼女にもどうしようもなくて、己が目でそれを見てしまったが故に余計に俯いて。

「それこそ、奇跡が起きない限りは無理だろうと、藪先生は仰ってました……エレウシスの秘儀のような力がなければ、と……」

「そんなもん、何処にあるんだ……」

「エレウシスの秘儀の様な力……?」

禅斗はそれを聴き、何かが頭の中で引っかかった。



記憶を呼び覚ます。ほんの少し前の、戦いの最中での記憶を。


『私はディオニューシアの極光、そして"パナテナイナの聖宴"の二つを用い君に生命を分け与えた』


かの男がナタリアに対して投げかけた言葉。この言葉から恐らく彼はナタリアの蘇生にエレウシスの秘儀は用いていなかった。つまり、エレウシスの秘儀と同等の存在がこのMM地区に存在するということ。


そこから更に思い起こされる、近しい記憶。


光り輝いたカケル、そして彼の体から飛び出た光の粒。その光に亡者達は全ての意識を持っていかれて。


もしや————




「カケル、失礼するぞ」

「あぁん!?」

何かに気づいたかの様に禅斗はカケルの毛の中に手を突っ込む。何か、硬い物に触れればすぐさまそれを掴み取り出す。

「何すんだテメェ!?」

「カケル、これは?」

「あぁ、さっきあのクソ野郎からブン取ってきたんだ」

禅斗はそれをまじまじと見つめる。それが何かは分からぬが、何となく光を帯びていて、温かさを感じられる。そして彼が念じれば、その光は大きくなり、次第に球のような形となって空に浮かんで、

「なるほど、そういう事か」

彼は全てを確信した。

「なーにがなるほどなんだよ!?」

「これが今回の鍵、"パナテナイアの聖宴"だ」

したり顔で禅斗はそれを皆に差し出す。それは紋様の刻まれた石細工の工芸品。微かに光を帯びた、"遺産"。


「コレがなんなんすか……」

「ん?そういやゾンビ共があの光見てイノチだとか呼んでたな……」

カケルも禅斗の作り出した光を見て、一つの事実に辿り着く。そして現れた光はその場にいた彼らを照らすように、一縷の望みはそこに現れて。

「これ、うまくいけば魂を作れるんじゃないか……?」

「可能性はあると思います……それがどれほどの可能性かは分からないです、けど……」

「どちらにしろそれしか我々に選択はない。私とアイシェで調べてみよう」

マリアはそれを受け取りポケットの中に大事にしまう。幾つもの点と点が線となって、明確に形となって現れた希望の一端。決して手放すわけにはいかない。そんなマリアの意志が一つ一つの所作からも感じ取れた。


「ありがとう真奈ちゃん。君のおかげでどうにかなるかもしれない」

「いえ……私は……」

彼らは礼を述べながら立ち上がる。まだ希望の一端しか掴めてなく、絶望の中に居るはずなのに、それなのにああもまだ前を向き続けていて、だから————

「あの……一つだけ聞いてもいいですか?」

「なんなりと」

「死ぬかもしれない、こんな絶望的の状況でも、諦めたくならないんですか……?」

聞かずにはいられなかった。


「辞めたくなりますよ」

一番最初に答えたのは禅斗。

「でもやるんですよ。もしその程度なら辞めた方がいい。それでもやる人間だけで充分だ、犠牲になるのは」

続けられた言葉は厳しくも、長くに渡り前線で戦い続け、仲間達を率いてきた彼が放つが故に重く。

「最も私は犠牲になるつもりなど毛頭ないがね」

最後の笑みがまた、彼の底意地の強さを示す。


「諦めたところで何かが変わる訳でもない、今できる最善を尽くすだけだ」

マリアの答え。それは幾つものの地獄を目にし、覆しようのない絶望を目の当たりにしてきたから。諦めなど無意味とその身を持って味わったからこそ、出来る限りを尽くし数多の命を救った。そしてそれは今も、変わらない。


「ついさっきまでど〜でもよくなりかけたけどな。どうにかなるかもしれない、とか言われたら、飛びついちまうだろ」

そう答えるカケル。実に本能的で、それでいて自身は死ぬかもしれないというのにあまりにお人好し、いやお猫好しで。

「猫だからな。クヨクヨしねーんだ」

真っ直ぐとした生き様を示した。


そして最後に答える彼。

「俺は弱いから、今後ろを向いたらもう二度と立てなくなると思うんだよ」

己の弱さと向き合って、決して言葉で飾らず。成長に成長を重ねた今でもそれは変わらず。

「だから、がむしゃらに前を向いているだけ」

それが如何に、何よりも難しい事を彼はやり抜くと、貫き通すと決めていたのだ。


そんな彼らの答えを聞いて、真奈は小さくほくそ笑む。

「すみません、皆さんが兄から聞いてた印象と変わらなかったので」

「私はよくパワハラ上司の気があると言われるよ」

「いえ、とても責任感が強く、それでいて誰かのために熱くなれる方と伺いました」

禅斗の冗談まじりの返答に、真奈は笑顔と尊敬の眼差しで答えて。

「マリアさんは、救える命の為であれば己の立場なんて関係なく全力を尽くす、とても頼れる方だと」

マリアには全幅の信頼に、少し憧れを持って。

「カケルくんは昔会った時、猫なのに誰よりも友達想いで情に厚かったって」

「猫なのには余計だ!!」

微笑み、称賛の意を気高き猫に示して。

「垂眼君は、自分の弱さも人の弱さも理解できる、誰よりも強い人だって」

兄が己と重ね、それでいて彼とは違い真っ直ぐに駆け抜けた少年に敬意を表して。


そんな彼らを見て、彼女も覚悟を決める。

「皆さんが諦めないというのなら、最善を尽くし続ける限り前を向き続けるというのなら、私も全力で彼女を救うために手を尽くします。私はフルグルのようには戦えませんが、彼女の命を繋ぎ止めます……だから……」

深く、深く頭を下げる。

「必ず生きて、彼女を救ってあげてください……」

誰もが悲しまない、笑い合えるような結末を望んで。

「ああ、もちろんさ」

「言われずとも」

「承知」

「たりめーよ!!」

彼らも各々の言葉で、彼女に答えた。


そしてまた一歩、踏み出していく。

確かに掴んだ希望の一端をその手に、希望ある明日に向けて。


命生み出す"パナテナイアの聖宴"をその手に、彼らは再び進み出した。


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