はいチーズ! の日 後編


 こんなビッグイベントがある期間。

 宿なんてそうそう取れるものではない。


 しかも連絡を入れたのが。

 泊る数日前ならなおさらの事。


「……弱み?」

「ばか、そういうんじゃねえ」


 すぐ近所だし。

 もともとは、刃物女に二日とも往復してもらおうと思ってたんだけど。


 でもこいつが知り合いとやらに電話一本。


 たったそれだけで一泊旅行に化けたんだが……。


「刃物女、これは文句じゃねえ。勘違いしねえで聞いて欲しいんだが……」

「わはは! 文句言ってくれて構わねえぜ?」


 いや、ほんとに文句じゃねえんだ。

 でも聞かずにはいられねえ。


 まるで装飾品の類もねえ。

 小さな窓が一つ付いただけの部屋。


 なんだここ?


「従業員の仮眠室?」

「そうじゃねえよ。普段は必要なのに、繁忙期になるといらなくなる部屋、なーんだ?」

「ああ、なるほど。布団部屋か」

「…………お前、モテねえだろ」

「ワザと外せってのかよ!?」

「いい女は、正解よりもご機嫌になった男からおごってもらえる晩飯を取るもんだ」

「最悪だ」


 そんな真実聞かされた日にゃ。

 恋愛なんてしたくなくなるっての。


 あと。

 俺をいい女にしようとすんな。


「でもよ、晩飯代だけ払えば宿代タダ。しかも温泉入り放題だ!」

「たしかに破格。しかし、ほんとに金も払わねえでいいのか?」

「いいんだよ! 友達んちの実家なんだから!」


 部屋の片隅に積まれた布団から。

 枕を引っ張り出して座布団代わりに座る刃物女を。


 苦笑いのまま廊下から見つめる俺たち。


 でも、こんなとこに突っ立っててもしょうがねえ。

 俺は女性客御一同を部屋に促して。



 ……そこで。


 ふと、大事なことに気が付いた。



「あれ? 俺の部屋は?」

「それはお客様。私の部屋なら一泊五十万円、妹の部屋なら五千円でご利用いただけます」

「うおっ!?」


 いつの間に背後に立っていたのやら。

 短パンにカラータイツ。

 ダボダボTシャツを羽織った女から急に話しかけられたんだが。


 こいつ。

 どこかで……。


「…………あああああっ!? お前、水着売り場のおかしな女っ!」

「おや? バイト先で会ったことがありましたか。その節は、鼻の下伸ばしながらエロ水着を山ほどご購入いただきありがとうございました」

「買ってねえ!」


 舞浜と一緒に入った水着売り場の無茶苦茶な店員!

 俺の記憶が確かなら、こいつのネームプレートには……。


「たしか、黒崎さんっていったか?」

「ほう、これは驚いた。私の名前を憶えているとは」

「こう見えて記憶力いいからな」

「いやはや、そんな目で見られていたとは。じゃあ、心底嫌ですけど五十万円コースの方で……」

「そうじゃねえ!」

「エロ水着をあたしに着せる気なら、プラス五十万」

「ほんとふざけんな!」


 この頭痛くなる言い回し。

 店の中だけでのことかと思ったらデフォルトかよ!


 ショートヘアでスレンダーな体つき。

 すげえ凛々しい切れ長の目で。

 バカなことしか口にしねえ黒崎さん。


 頭を抱える俺を押し避けて。

 部屋の中にずかずか入ると。


「まったく。たまに連絡してきたと思えば」

「わはは! 元気してたか?」

「いや。あたしは常に病」

「相変わらずだな西野は」


 ん?

 今、なんつった?


「西野?」

「そう」

「じゃあ黒崎ってななんなんだよ!」

「…………ソウルネイム」


 はあ!?

 偽名でバイトしてんのか!?


 そんな西野は左手の甲で右ひじを支えると。

 指を反らせて広げた右手で片目を覆いながら。


「まだ地球が火の塊だった頃から転生を繰り返してきた我が真名は黒崎萌歌くろさきもか。現在は西野なる家に身を隠し誰にも気づかれぬよう雌伏している」

「自分でばらしてんじゃねえか! じゃなくてお前、病って! 中二病かよ!」

「バカな。こんな大人の体つきをした中坊がいるなら見せてみろ」

「うるせえペッタンコ!」

「そんなペッタンコを追い求めて五十万払うとはお客様も相当マニアック」

「だから払わねえって!」


 だめだ、こいつ苦手!

 なのに体が勝手に突っ込みまくる!


 西野は首をカクンと上に向けて髪掻き上げたりしてるけど。

 芝居がかったその動き、やめてくれ。


「わはははは! お前ら一発で仲良くなりやがって!」

「仲良くなってねえ!」

「そう。一発で仲良くなるのは今夜」

「ふざけんな!」

「一発の意味についてはカンナから学んでおけ」

「ほんと今すぐ黙れ!」


 腹抱えて笑う刃物女をよそに。

 女子三人組は呆気に取られて突っ立ったまんま西野を見てるけど。


 ……こら。

 他の二人が分かってねえんだ。


 赤くなって俯くんじゃねえ春姫ちゃん。


「結局、何しに来たんだてめえ!」

「黙れと言ったりしゃべれと言ったり」

「ああもう、刃物女! お前が説明しろ!」

「うはは、言ったじゃねえか! この宿、こいつんちでな? 何度かこうしてタダで使わせてもらってんだ」

「宿屋の娘ぇ?」

「と、いうのは世を忍ぶ仮の姿。あたしは来るハルマゲドンに向けて神を称する地球の支配者どもを眷族の力を駆使して……」

「その口、ホッチキスでとめるぞ」


 もう面倒でしかねえ。


 俺は刃物女と中二女を無理やり部屋から放り出して。

 後ろ手で扉を押さえ付けた。


「……いやはや、とんだことになったな、立哉さん」

「まったくだ! なんだよあの女……っ!」

「……そうではなく」


 ん?


 ……ああ、そうか。


「えっと。どうしよう」


 女子の中に。

 男一人。


 同じ部屋に寝ていいはずはない。


「いやいやいや。そんな目で見るなお前ら」


 女子の中に。

 ケダモノ一人。


 そんな目で見つめられた俺は。


 ひとまず。

 後門の狼の群れに逃げ込むことにした。


「おや? そうですかお客様。妹の五千円の部屋に決めましたか」

「ひでえ姉だな。安い理由はなんなんだ?」

「もちろん、あたしがカメラを回せるから副収入がいたっ!」


 俺はおそらく生まれて初めて。

 面識もろくにねえ女性のおでこにチョップした。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 結局、女ばっかりの部屋で寝ることなどできるはずもなく。

 ましてや中二女とか妹さんとかの部屋を借りるわけにもいかず。


「まあ、ここでいいか……」


 ロビーに置かれたソファーにごろり。

 それなり涼しいけど、風邪ひくほどじゃねえだろう。



 やれやれ。

 夏休みの最後に来て。

 課題が山盛りだ。


 何とか無事に今夜を乗り切ること。

 かんざしを手に入れる事。


 そして舞浜が、俺を名前で呼ぶのを阻止することと。

 その逆に。



 俺が舞浜を名前で呼ぶこと。



「…………最後のは、まあ、いつでもいいか」


 今じゃ、春姫ちゃんに名前で呼ばれても。

 まったく違和感なくなったけど。


 最初の一歩は。

 やっぱり照れくさい。


 その辺、春姫ちゃん先生に詳しく話を聞きたいところではあるが。


 どうして名前で呼び始めたのか質問すること自体が恥ずかしい。



 ……この、小さな願い。

 叶えたいのか、叶えたくないのか。


 自分でもよく分からなくなってきた。



「寝れねえな……」


 ロビーから、暗い中庭を見つめて。

 大きくあくびして、目をしばたかせると。


「あれ?」


 さっきまで、なにもいなかった芝生の上。


 飴色の毛並みのキツネが。

 俺のことをじっと見つめていた。


「なんだ? この辺りのキツネって、みんな赤いのか?」


 ソファーから起き上がってスリッパをつっかけて。


 軽いアルミの扉を外に開いて中庭へ。


 するとどこにもキツネの姿は見えず。

 その代わりに……。


「保坂君?」


 ベンチに腰掛けて、月の明かりに照らされた。

 舞浜の姿が暗闇に浮かんでいた。


「何の罠だ?」

「え?」

「まさか変化できたとは……」


 俺の言葉の意味も分からず。

 きょとんとしたままの舞浜。


 その隣に腰かけて。

 綺麗な夜空を見上げると。


 白い月が、霧にも似た細い雲のベールをかけて。

 やけになまめかしく俺たちを見つめていた。


「だ、大丈夫? 気にしないで、部屋で寝ても……」

「気にするなって方が無理だ」

「でも、海で春姫と私と、ソファーで寝たのと変らない……、よ?」

「変わるんです。布団があるだけで何となく」

「そう?」

「ああ。五十万円払いたくなる程度には」


 俺の冗談に。

 くすくす肩を揺らす舞浜は。


 ピンクの薄手パジャマに白いカーディガンって姿だし。

 おいそれと目を向けるわけにもいかねえ。


 俺はどうしていたらいいか分からず。

 あれこれ話題を探していたんだが。


 舞浜の方から話を切り出してくれた。


「そうだ保坂君。……似てない? 西野さん」

「キツネに?」

「え?」

「いや、何でもねえ。あいつが何に似てるって?」

「クラスの、西野さん」


 ああ、夏木の隣の?


「言われてみれば確かに。細身で精悍だし」

「うん。綺麗だし」

「芝居がかったところも似てる」

「演劇部で、王子様って呼ばれてるのよ? 西野さん」

「なるほど。だとしたら、妹って可能性もあるのか」

「五千円で、お部屋に入れるチャンス……、よ?」

「冗談じゃねえ。パラガスじゃあるまいし、そんな度胸ねえよ」


 クラスの話をし始めると。

 舞浜は、途端に嬉しそうな顔をして。


 合わせた手をほっぺたに当てながら。

 月を見上げてぽつりとつぶやいた。


「もう、学校始まる……、ね?」

「そうだな。夏休み、もうちょっと続いた方がいいか?」

「ううん? みんなと会うの、楽しみ」


 そして子供みてえに左右に揺れて。

 足をパタつかせ始めたんだが。


 急に動きを止めて。

 グルンと俺の顔を覗き込む。


 出会ってからずいぶん経つけど。

 未だにこの美貌が近くに来ると心臓止まりそうになるな。


「な、なんだ?」

「学校、始まる前に……、ね? その前に、叶えないと……」


 おっと来なすった。

 不意打ちになったが、こっちは散々準備してきてるから対処は容易。


 俺は財布から百円玉を取り出して。

 それを、ピンと指で弾いて。

 左手の甲に落ちた所を右手で塞ぐ。


「こいつが裏だったらお前の願いってやつを叶えてやる。でも表だったら却下だ」


 百円玉を塞いだ手と俺の顔。

 交互に見ていた舞浜が頷いたのを確認して。


 俺は内心、ほくそ笑んだ。


 こいつは二枚の百円をくっ付けて。

 どっちも表にしたインチキコイン。


 種明かしと同時に。

 無様に笑わせてやるぜ!


 わざわざ舞浜の顔の前に持って行った手を。

 もったいぶって開いてやると。


 手の甲に乗っていた百円玉は。

 当然表面。




 ……に。


 『うら』とペンで書かれていた。




「うはははははははははははは!!!」

「じゃあ、裏だったから私のお願いを……」

「って笑えよお前は! これかなりセンスいい!」

「だってそれ書いたの私だから……」

「うはははははははははははは!!!」


 さすが舞浜!

 くそう、ぐうの音も出ねえ!


「う、裏が出たから、あの……、た……」


 でも、そいつだけは勘弁だ。

 断固阻止してやる!


「お前、勝手に人の財布開けんな!」

「でも、た……」

「ダメなもんはダメ! もう勝手に見るなよ?」

「た……、た…………」


 頑張るなあ!

 これはさすがに万事休す!


 俺は覚悟を決めて身を強張らせたんだが。


 反対に、舞浜はひゅるひゅると肩をしぼませて。


「あ、明日でいいです……」


 狐疑逡巡こぎしゅんじゅん

 やたらと縁があるキツネに化けたまま。


 ベンチに改めて座り直して。

 しょんぼりと月を見上げた。



 ……しかし。

 ほんと、なんとか止めねえとまずい。


 だって、夏休み明けに呼び方が変わってるとか。

 ぜってえみんなにいらん誤解される。


 でも、相反することになるが。

 舞浜に悲しい思いをさせねえって約束も果たさねえといけねえんだよな。


 どうにか舞浜の夢を叶えてやることできねえだろうか。


「……おお、そうだ。もう一個の目標の方はどうなんだ?」

「もう一個?」

「凜々花の写真、撮れたのかよ」

「それが……、ね?」


 舞浜が取り出した携帯。

 それを横から覗き込むと。



 残像、残像、分身、足、寝姿。



「最後のは反則だから消しておくように」

「うう、凜々花ちゃん……」


 こっちも芳しくないようだな。

 よし、明日凜々花に言って夢を叶えさせてやろう。


 でも。

 ぜってえ動くなって言われるほど動きたがるんだよな、あいつ。


「あの……、ね?」

「ん?」

「明日に向けて、練習していい?」


 舞浜が。

 そんなこと言いながら携帯向けて来たから。


 俺はピースサインで決め顔して。

 舞浜が画面押す直前に素早く逃げた。


「わはは! どうだ!」


 カシャ


「時間差かよ!?」

「今日一日で、凜々花ちゃんに鍛えられた……」

「やれやれだ。ちゃんと撮れたのかよ」

「うん。いい感じ」


 見せてもらった俺の写真。

 『どうだ』の『ど』あたりか?


 口尖らせて、半目で。

 ブサイク極まりねえ。


「それ、消してくれよかっこわりい」

「ふふっ。どうしようかな……?」

「じゃあ、代わりにお前の写真撮らせろ」

「いいよ?」


 舞浜は、芝生の庭に進むと。

 風に吹かれる髪を耳の後ろで軽く押さえながら。


 半身で、優しい笑顔を向けてくれた。



 ……仮面を被ってない。

 心からの笑顔。


 絶世の美女が。

 今、俺だけに微笑んでくれている。



 昼間は。

 悪い事しちまったからな。


 明日は夏休み最後の一日だから。

 寂しい思いは絶対にさせねえ。


 俺は改めて誓いながら。

 携帯を構えて。


 レンズ越しの舞浜につられる笑顔で。

 シャッターを切った。



「はい、チーズ」

「ん」



 カシャ



「…………どう?」

「残像」


 ああ、そうだ。

 こいつはいつだって俺に笑いをくれる。


 最高の友達だ。



 俺は、残像写真を消しながら。

 気付かれないよう。

 こっそりとカメラを構えて。



 月に向かって微笑む舞浜の優しい横顔を。



 携帯に収めた。





「…………どう?」

「分身」



 ちきしょう。

 明日こそお前を無様に笑わせてやる。


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