最終話 我武者羅共の狂宴譚
虚空に放たれた一閃。
刃は空を掻き分け、壁には一筋の線が刻まれ、そして女の肉と薄皮を断ち、血飛沫が舞った。
「っ……!?」
「っと……外した、か……」
驚きを隠せない様子の黒死蝶。
しかし彼女が驚いたのはその威力、技にではない。
己が回避に徹したという、事実に対してだ。
自身の痛みへの鈍感さは知っている。
しぶとさも知っている。
戦い続ければ相手を殺し切れることも。
だが今この瞬間、彼女は本能的に死を感じ取った。
そしてその瞬間、その死から逃れるため無意識に距離をとってしまったのだ。
「今のは……」
「多少はデータ残ってるだろう?数多ものFHエージェントを屠ってきた、月下天心流の一之太刀さ」
放たれたそれは『月下天心流 一之太刀 三日月』。されどその威力はかつてのものにあらず。
その威力は、かつての終之太刀に比肩するものへと至っていた。
同時に反動からか彼の腕の傷は大きく開き、肩の動きが見えるほどに息も上がっていた。
「これほどの技を隠していたとは、正直驚きです」
「別に隠してた訳でも温存してた訳でもねえよ」
「ただ前より加減が効かなくなっちまってよ……普通の相手に使うと殺しちまう可能性があってな」
「この期に及んでそんな甘ったれたことを———」
「安心しな。流石に俺も死にたくねえし、アンタがまともじゃねえことはもう分かってるからよ。二度は言わねえ」
再度引き抜かれた一刀。
「っ……!!」
「死なねえでくれよな」
再度、空を切り裂いた。
「私と同じように空っぽだったくせに……こんな……!!」
痛みが身体を走る。
斬り裂かれた皮膚が、僅かに残っていた本能というものが痛覚を通じて命の危機を知らせる。
それでも、それ以上にえも言われぬ怒りが彼女の脳を痛みから覆い隠した。
再度納刀する稲本。
だがそれは同時に攻撃のできぬ隙である。
「死に晒せ……!!」
連続の刺突。
「っ……!!」
今までのどれよりも威力、速さに長けたそれは稲本の体に深い傷をつけた。
されどそれは彼を止めるには足らず。
「お前さんの攻撃は悪くねえよ……けどな、空っぽの奴に負けたら————」
地を蹴り、傷だらけからソバットを繰り出す。
「今まで戦ってきた奴らに申し訳が立たねえんだよ……!!」
「っ……ぐっ……!!」
威力はさして高くなくとも彼女の意志に反し息は漏れ、距離を取らされる。
「月下天心流————」
だがその離したはずの距離さえも瞬間的に詰められた。
「このっ……!!」
放たれた抜刀術。
受ければ死に、回避も困難となれば受け流し懐に飛び込もうとした。
だがそれさえも彼の予想の範疇だった。
「しまっ……」
「三之太刀……ッ!!」
フェイントを紛れ込ませた斬撃。バックステップにより黒死蝶のカウンターを回避。
そのまま無情なる刃が彼女を斬り裂いた。
筈だった。
「っ……!!」
「………!?」
彼女は己の目を疑った。
右手に握った剣で、その斬撃を受け止めていたのだ。
諦めていた筈なのに、攻撃を喰らうことを受け入れたはずなのに、自分の身体はそれを拒んだのだ。
「……空っぽになりきっちゃい無かったんだな。アンタも」
確かに彼女は生きようとした。
きっと理由はもう覚えて無いのだろう。
だからこそか、稲本は一瞬だけ彼女の姿が己に重なった。
「黙れ……黙れ……!!私は殺す……全てを殺し尽くして……黒に塗り潰す……!!」
稲本の言葉に激怒した彼女はその剣を構え力強く地を蹴った。
「……俺は殺さねえ、殺させねえよ。それが俺の剣だから。でもよ——、」
稲本もその彼女に答えるかのように刃を鞘への納め、
「アンタとは、もう少し別の形で出会いたかったよ……」
一気に黒刃を解き放った。
刃と刃がぶつかり合う。
冷淡のように見えて互いの全てが載せられた一撃一撃。砕けた刃は宙を舞い、暗闇の中で小さく煌めいた。
放たれた六の太刀は黒死蝶の刃をへし折り、幾つかの斬撃は彼女の体を切り裂いた。
「ああ、私はあなたが嫌いです……どうしようもなく似ているくせに……本当はまだ満たされてないはずなのに……だから、」
そして宙を舞う身体は水上へと投げ出され、
「いつかアナタを殺します。同類の癖に満たされたフリをするアナタを……」
怨嗟と殺意の余韻を残し、水中へと消えて行った……
「……終わった、のか」
戦いを終えた彼はその場にへたりと座り込む。
通信機の電源を入れようとするが、力が上手く入らず、ボタン一つに手こずってしまった。
「あー、あー、聞こえるか?こちら月夜鴉。地下から侵入を試みた敵の排除には成功した」
『お疲れ様です。屋上の方の戦闘も先ほど終了し、無事輸送ヘリが飛び立ちました』
「ああ、それなら何よりだ」
オペレーターから作戦の終了を告げられ、彼も胸を撫で下ろす。
「そういや黒鉄のバカと話す事はできるか?」
『黒鉄さんですが……現在意識不明の重体です……』
深刻に告げられる。
だが彼はいつも通りの口調で言葉を放った。
「じゃあ目が覚めたら伝えといてくれ。テメエの読みが当たったせいでこっちもボロボロになった、覚えとけってな」
『は、はい!?』
「じゃ、あとは頼んだぜ」
困惑するオペレーターを他所に一方的に通信を切り、剣を支えにして彼は立ち上がる。
『同類の癖に、本当は空っぽのはずなのに』
彼女の言葉が脳裏に蘇る。
確かに俺と彼女は本質的には同じなのだろう。
空っぽのまんま、剣を振るって、多くの命を奪って、彼女の言葉を借りるなら俺は、俺の周りを赤に染めて染め続けてきた。
けど今の俺には仲間がいる。
守りたい大切な人がいる。
空っぽだった俺を満たしてくれた人たちがいる。
俺という器は、ようやっと満たされ始めたのだ。
だから俺はこれからも戦っていく。
誰も殺さず、殺させず、救う為に。
そしてもう二度と、空っぽにならないように。
守る剣で戦い続ける。
そう、暁の記憶に誓ったのだから。
続
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