冷蔵庫の神様

依田鼓

冷蔵庫の神様

 帰っていると、道端に冷蔵庫が落ちていた。不法投棄というやつだ。その日は茹だるように暑い夜で、私はたまらず、少し涼んでいこうとその扉を開けた。

白い冷気とともに、中からは昔死んだ友人が現れた。

「よう」

「おう」

久しぶりに見た友人の顔は、ひどく痩せ衰えていて、熱帯夜には到底似つかわしくないほど青白い顔をしていた。

「気持ちよさそうだな」

「そうなんだよ。最高さ」

 さびれた冷蔵庫はちゃんと稼働しているようで、手を伸ばすとひんやりと冷たい空気が触れた。友人は心地よさそうな表情を浮かべている。

 友人は登山家だった。生きている時は、聞いたことある近くの山も、聞いたことない遠くの山も、本当にたくさんの山を登っていた。中腹で撮ったらしき楽しそうな笑顔の写真を未だに持っている。財布の中に大事にしまって、ずっと私は捨てきれずにいた。

 だが、友人は一度も山を登り切ったことは無かった。みんな不思議がっていた。あいつが登れないわけない、きっと何か理由があるはずだと。

 ついぞ聞けなかった問いを私はすることにした。

「おまえ、なんで頂上に登らなかったんだ」

「そりゃあもう」

友人は涼しげな顔で、

「怖かったからさ。」

と言った。

「でもさ、八とか九合目まで行ってたんだろ。あと一息ってところじゃないか」

「それでやっとだったんだよ。登山は、そっからがきついんだ」

言葉が終わると、友人はなぜか安堵したように息を吐いた。生前ふかしていたタバコのように、白い煙をくゆらせる。

「期待なんかされるほど、おれはすごい人間じゃあなかったのさ」

友人は寂しそうに言った。私はなんだか申し訳ない気分になった。

「それよりおれ、神様になったんだ」

友人は嬉々として私を見た。

「なんの神様に?」

そう尋ねると、よりいっそう嬉しそうに、

「冷蔵庫さ。どうだ。良い感じだろう」

と言った。

「本当は山の神様になりたかったんだけどな。自然的なものは難しいんだと。神様にも序列があるらしいんだ」

「なんだそれ」

私は笑った。すると、ばからしいよなと言って、友人も笑った。

 しばらく思い出話をした後、別れることになった。

「いい神様になりたかったら、悔いを残さない方が良いらしいぜ」

「肝に銘じておくよ」

手を振って見送ってくれた。私も友人の姿が見えなくなるまで手を振り返していた。後ろ向きで歩いていたから、電柱にぶつかってこけて地面に突っ伏す。前を向きなおす頃には、もうどこにも、さっきまであった真っ白い冷蔵庫と、それよりもっと白い顔の友人は、見えなくなっていた。

 あいつは本当に山が好きだったんだな、と感心した。それと同時に、悪いことをしたな、と後悔した。勝手に期待して、勝手に落胆して、私は自分の身勝手を反省した。

 冷蔵庫は、どのくらい後悔があった神様なのだろうか。俺が死んだら、どんな神様になるのだろうか。

 滑落したあいつの死体は、まだ見つかっていないらしい。良い神様になるためにも、あいつを見つけに、山に登ってみようかなと、思った。

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冷蔵庫の神様 依田鼓 @tudumi197

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