勇者はアラフォー

 マサトは今まで会ったどんな人とも違う感じがした。

 歳は38だと言っていたからダイガとそう大差ないハズだし、それと同じくらいの歳の知り合いもたくさんいるのに新鮮な感じがした。

 もしレイドが生きてたらこんな感じなのかもしれない。アスナはなんとなくそう思う。

 レイド。お父さん。父親。アスナには縁がなかった人物。

 もしかしたらマサトがレイドなんじゃないかって妄想を膨らませたりもした。甘えたくなるような、全てを受け入れてくれそうな瞳に吸い込まれそうになっている自分にアスナは戸惑いを覚えていた。

 両親を探すため。それだけを目標として生きてきた。何者にも頼らず一人で生きていこうと決めたのは5歳の時だ。

 ティルは目的が似てるから一緒に行動しているが、いつ互いの道が違えても仕方がないと思っている。

 それなのに……それなのにだ。

 マサトに優しくされると心が揺らぐ。この時間が続けばと願ってしまう。

 目的もしがらみも捨てて、普通に暮らせたらなんて思ってしまう。

 だからマサトが城に行くことになってホッとしたのは確かだ。

 これで惑わされずに済むんだから。

 ただ、それはアスナの事情であってダイガの事情ではない。

 ダイガがここに来て態度を急変した理由の検討がつかない。

 サガンには会えたと言っていたし、何らかのアクションを起こすだろうとも言っていた。

 ファラスを取り返す目的は順調に進んでいるハズなのだ。

 ダイガの力であれば恐れる物など何も無い。そう思っていたのに、今の態度を見ているとそうでもないように見える。

 守りきる自信が無いからマサトを城に行かせた。

 そうだとしたら、これから何が起きると言うのか。アスナには想像出来なかった。

 ポンッポンッ。

 ダイガのごつごつとした手がアスナの頭を叩いた。

「心配するな。何も起きやしない」

 ダイガは前を向いたままそう言った。

 なんでこっちの言いたいことが分かるんだろう。そんなに顔に出しているつもりはないのだけれど、実は出ているのだろうか。

 それに気安く頭を触らないで欲しいのだが、安心感を抱いてしまっている自分もいる。そんな自分もよく分からない。

「何も起きないとは甘く見られたものですね」

 突然近くで聞こえたその粘着質な声を聞いてダイガの顔が強ばる。

「自らお出ましとは珍しいじゃないか。サガン」

 予測していなかった事態なのがダイガの冷や汗から見受けられる。

「あれがサガンです?予想していたよりちっちゃいです」

 ティルが的を射ない感想を述べる。

 しかし、サガンはその言葉を聞き逃さなかった。

「小さいとあなたに言われたくありませんね」

 こめかみの血管が浮き上がる。

「おいおい。そんなくだらない言い合いをしにきた訳じゃないだろ」

 ダイガが間に割って入る。

「そうでしたね。元ディスフリゲート隊長ダイガ」

 薄ら笑いを浮かべるサガンにアスナは気持ち悪い感覚を拭いきれない。

「いえ。お許しが出たのであいさつにでもと思いまして」 

 ペコリとお辞儀をするサガンはやけに自然な流れで気持ち悪いくらい似合っていた。

「あいさつ?なんでだ。昼間ちゃんとしたじゃねぇか」

「いえいえ。それとはまた違ったあいさつでして。解りやすくいいましょうか……」

「もったいぶってないで早く言いやがれ」

「では、率直に申し上げしょう。私がしたいあいさつは……」

 そこまで言ってサガンは下げていた顔を上げる。

 にこりと笑って見えた歯は金色に輝いていた。

 そしてゆっくりと息を吐き出すように言った。

「国への宣戦布告でございます」

 は?こいつは何を言い出すんだとその場の全員が思ったはずだ。

 けれど誰も言い出せなかった。それはサガンが冗談にしては余りに真剣な目をしていたからだ。

「ダイガ様。この大陸で最強であるあなたが死ねば他に障害は無いと思っております。最初にいらっしゃった時は正直冷や汗ものでしたが……お許しが出たので助かりました」

「へー。お前に俺が倒せるとも思わないけどな」

 あくまでも強気なダイガの態度にアスナは気が気ではない。

「それが可能なんですよ。これさえあればね」

 サガンの言葉を合図にどこからかサガンの家来が現れ球体を地面に置いた。

「やっぱし持ってんじゃないか。だが、それでどうしようって言うんだ?」

 ダイガが軽く悪態をつくけれどその表情は真剣そのものだった。

「何、簡単ですよ。こうするんです」

 サガンはファラスを軽く蹴る。すると、ファラス全体にひびが入る。思わず息わ飲む。それが意味することを必死に考える。

 グラゴスの復活。嫌な言葉が浮かんでは消える。

 こんな街中でグラゴスが現れたらその被害は想像したくない。それだけは止めてくれ。アスナは必死に祈る。

 だけどそんな祈りは無情にも打ち破られる。

 光の柱が空へと昇る。とっさに目を閉じる。

「くっ!?アスナ!ティル!跳べ!」

 ダイガの叫びに考えるより先に体が動く。

 さっきまでいた場所にとんでもない熱量が通りすぎたのが分かった。

 次に襲ってきたのは爆音だ。音の衝撃波が身動きのとれない空中にいるアスナを直撃する。

 慌ててバランスをとりならがなんとか地上に着地する。その頃には目も開けられるようになっていた。

「ウソ……」

 否定の言葉が光量の元に現れたグラゴスを見つけて思わず口からこぼれた。

 後ろでは悲鳴があがるのが聞こえた。

 慌てて振り返ると炎に包まれた街が目に入る。

「っ!」

「アスナ!先にグラゴスだ!こいつをどうにかしないと被害が広がる!」

 足を進みかけたアスナをダイガが制止する。

「です!早くなんとかしないと……」

 ティルも真っ直ぐグラゴスを見据えて戦闘体勢だ。

「なんでこんな酷いことを!?」

 背中から剣を抜くと正面に構える。

 グラゴスに言葉は通じないのだから、言葉はサガンに向けたものだった。しかし、肝心のサガンの姿はその場から消えていた。

「あの野郎。後でとっちめてやる」

 サガンが消えたことにダイガも気づいたらしい。

「アスナは足を狙え。ティルはそれを魔法でフォロー。俺はやつの首を取る」

 ダイガの自信は流石だった。グラゴスであろうと隙さえあれば首を跳ねれる自信がある。

 アスナは頷くと自らの役割を果たすために駆け出した。

「煌めくは一瞬の輝き。その姿を捉える者など無く、気配は荘厳で希薄。彼の体を纏え――光道」

 ティルの魔法がアスナを直撃する。アスナは体が軽くなったのを感じ踏み込む足に力を込める。

 グラゴスは足元に近づくアスナに警戒もせず街を炎に包もことに集中している。

「うぉりやぁぁぁぁ!」

 渾身の一撃をグラゴスの足へと向けて放つ。

 タイミングはバッチリだ。このまま振りきってしまえばグラゴスの体勢は崩れる。そうなれば後はダイガが何とかしてくれる。

―――ガキンッ!!

 鋭く乾いた金属音と共に腕が痺れる。

 予想外の手応えに頭が真っ白になる。

 どうすればいいんだっけ?

 そんな間の抜けた言葉が頭に浮かんでいる間にグラゴスがアスナに気づく。

 逃げなきゃと直感が告げるが体が動いてくれない。

「なにやってんだ!?」

 追い討ちを駆けるために近寄っていたダイガが叫んでいるのが聞こえる。

 ダイガの声に反応して辛うじて体が動く。しかし、その動きは緩慢でターゲットを狙い定めたグラゴスの動きにはついていける動きではなかった。

――ガァバァ。

 グラゴスの口が大きく開かれた。

 さっきの様なブレスを吐かれたらひとたまりもない。頭では分かっていても体が重く鈍く感じられ思うように動けない。

「ちぃ!」

 グラゴスのブレスが吐き出されるのとほぼ同時にダイガが地面を蹴って宙に舞った。勢い良くアスナに飛び付くと先ほどまでアスナが立っていた場所をブレスが通過する。

「えっ!ダイガ!?」

 アスナはグラゴスの事を忘れてしまうくらいの衝撃を受ける。

 ダイガの足が黒く焼け焦げていた。恐らくアスナを庇ったために自らを守る余裕がなかったのだろう。

「なんで!?ダイガがいなきゃアイツをどうやって……」

 そこまで言ってグラゴスの強烈な殺気にアスナはダイガを抱えてその場を離れる。

「アスナ!目をつむるです」

 ティルの意図に気づいたアスナは目を閉じる。

「――閃光」

 目映い光が辺りを包む。

 グラゴスが目をやられアスナを見失う。

 その隙にアスナ達はグラゴスの死角へと隠れた。

「なんでダイガがそんなことになってんのよ!最強でしょ!?」

 理不尽な事を言っている。助けて貰ったのにおかしな事を言っている自覚はある。

 けれどダイガはダイガだけは……

「お前泣いてんのか?」

 ダイガの不意の一言にカーッと顔が熱くなる。

「そ、そんなわけないじゃない!そんなことより大丈夫なの?」

「まぁな。こんな位じゃ死にはしないだろうがすぐには戦えそうにないな」

――ドーン!!

 近くの建物が悲鳴と共に崩れ落ちる。

「ただ今は戦えないなんて言ってられないな」

 ダイガは無理矢理体を起こそうとするが顔をしかめるばかりで上手く起きる事が出来ない。

「そんな体で起きるなんて無茶です!」

 ティルが呪文の詠唱を始め、ダイガの足を治そうとする。

「悪いなティル。だけどすぐに戻らないと街が無くなっちまう」

 そんなの無理だ。こんな状態でどうにか出来る相手じゃない。

 だけどこのままじゃ街が破壊されてしまう。そんなのほっとけない。なら、出来ることは一つであるはずだ。

「私がやる」

 それしかなかった。

「だからダイガは足を治して」

 それはつまりティルも当てに出来ない事実を物語っていた。仕方あるまい。ダイガに少しでも早く前線に戻って貰わなくてはならない。

「時間稼ぎするつもりか?」

 ダイガはアスナの意図を読み取ってくれたみたいだ。

「止めとけ。さっきかすり傷一つつけられなかったじゃないか。ってそんなこと言っても聞くわけないか。頼むぞ」

 ダイガの言葉にしっかり頷く。

 だけど、時間稼ぎすら出来るかどうか分からない。

「アスナ」

 行こうとするアスナをダイガが声をかける。

「お前、母親と同じで炎魔法が得意だったよな」

 ダイガの言葉に頷く。あんたの魔法な才能は母親譲りだね。キリスおばさんはいつもそう言っていた。

「これを持ってけよ」

 そう言ってダイガは手に持っていた柄をアスナへ投げた。

「これって……」

「お前位の魔力があればその辺の剣より斬れるだろ。柄を持って剣をイメージするんだ」

 刀身のない柄から刃をイメージする。

「流石だな。それならあのグラゴスに傷も付けられるだろうよ」

 黒き炎で生成された刃を見てアスナは力強く頷いた。

「アスナ!死ぬにはまだ早いです」

 ティルも応援してくれているらしい。

「あったりまえよ。これならなんとか戦えそうだし……うん。大丈夫」

 グラゴスとの戦いをイメージして、自分に大丈夫だと言い聞かせる。

「すぐ行く。それまで頼むぞ」

 アスナは足をグラゴスの方向へと進め始めた。

 正直、足は震えている。

 心臓の鼓動も速くなるのを抑えられない。

 あの化物を目の前に冷静でいられる自信がない。

 それでも、今この瞬間にも破壊されている街を放ってなんていられない。

 その思いだけでアスナは進んだ。

 無差別にブレスを吐き、次々とマキュアの街を破壊していくグラゴスは秩序とか論理とかを全く感じさせなかった。

 破壊衝動のおもむくままに動いている。

 その中でグラゴスの前に立ちはだかる人がいた。おそらくマキュアの市衛隊だろう。しかし、グラゴスに果敢に向かって行っては消し炭へと変わっていく。

 それを見たアスナの中に悲しみが生まれた。

 怒りより強く、大きく、悲しみが溢れていく。

 どうしてこんなことになっているのか。

 なぜ罪もない人達が死ななければならないのか。

 アスナにはちっとも分からない。

 理不尽な死ほど悲しい事実はない。

「ここは私が相手をするみんなは逃げて!」

 それは悲痛な叫びだった。

 何人かは声の主がまだ少女であることに面を食らった様でしばらく唖然としていた。

 でも、アスナがグラゴスに斬りかかり足にかすり傷の一つを付けると希望を瞳に宿らせる。

「ま、任せた」

「死ぬなよ嬢ちゃん」

「さっ。こっちだ早く逃げろ」

 様々な反応で去っていく人々を見てアスナは一安心する。

 これで少しでも多くの人を守れた。

 後はこいつさえなんとか出来れば。

 足に不快感を覚えたのかグラゴスはアスナをターゲットに定めたようだ。

 都合がいい。

 アスナの心は決まっていた。

 正面から行ってはダメ。

 多方向からグラゴスに一点を集中させないように攻撃を繰り返す。

 倒すことが目的でないなら方法はいくらでも見いだせる。

 いける。

 ダイガに貰った柄がきちんと役立っている。

 地味だが小さいダメージを与えることで集中を掻き乱している。

「はぁぁっ!」

 深い攻撃が首筋へと入る。

――ぐぁぁぁ!

 グラゴスが悶え苦しむ。

 もしかしたらこのまま倒せるかもしれない。そんな思いも生まれだす。

 だけどそこに隙が生まれた。

 グラゴスの前足が着地しようとしているアスナを狙った。

 空中で避ける術はないアスナは剣を前にかざし、盾の代わりとする。

 凄まじい勢いで後方に吹き飛ばされ崩れた家の残骸にぶつかって止まる。

「っ!?」

 肺を圧迫されて呼吸が止まる。

 意識も飛びそうになるが唇を噛み締めてなんとか留まる。

 グラゴスがアスナに向けて口を大きく開いた。

 ブレスが来る。

 あれをまともに受けたらただじゃ済まない。

 立ち上がろうとして右足に激痛が走りバランスを崩す。

「えっ!?」

 長細い瓦礫がアスナの足を貫通していた。

「しまった。これじゃあ……」

 その瞬間。グラゴスの口からブレスが放たれた。

 逃げられない。

 アスナは恐怖の余り目を閉じた。


□□□


 少し時間は遡る。

 マキュアに戻ってきた雅人はその地獄絵図に吐き気をもようす。

 色々なものが焦げて混ざりあった臭いが鼻をつき。

 逃げ惑う人々の叫びが耳についた。

 何人かの兵らしき人間が避難の誘導をしているが、混乱が大きく余り効果を発揮していない。

 散り散りに逃げる人々はさらなる混乱を生み、被害は増える一方だ。

「くっ!」

 どうすることも出来ない雅人は人の流れに逆らって騒ぎの原因へと向かう。

 知らない人間に構っている暇はない。なにせ人々が逃げてくる方向は先ほどアスナ達と別れた場所だなのだ。

 言い知れぬ不安が大きくなっていく。

 ことの中心にアスナがいないことを願って止まないが、それはあり得ないと頭のどこかで思っている。

 今は足を進めるしかなかった。

 騒ぎの原因に近づいてくうちに人の数が少なくなっていく。

 すでに逃げたか事尽きてしまったのかのどちらかだろう。

 後者の中にアスナがいないことを確認しながら雅人は先を急ぐ。

 その行為がどれほど無謀な事なのか気づきもせず雅人は進む。

 もはやアスナの無事を確認するまでは止まるつもりなど無かった。

――グァラァァ。

 暫く進むとこの世の物とは思えない声が聞こえてきた。

 果たしてそれが声なのかと疑いたくもなるがそれが何者かから発せられた事に間違いはないようだ。

 その声を辿る。

「あの角を曲がれば……」

 崩れ落ちてはいるものの見覚えのある景色を曲がる。

 その瞬間目の前を物凄い勢いで物体が通過した。

「アスナ!?」

 見間違えるはずまない。

 アスナは壁にぶつかると痛みをこらえ必死に立とうとする。

――くぱぁ。

 アスナが飛んできた方を見ると見たこともない化物が口を大きく開けていた。

 何が一番似ているだろうと瞬時に出てきたのはビールのラベルだった。

 麒麟。

 色は黒く、顔なんかも凶悪極まりないが、雅人の知識の中で最も近いのはそれだった。

 そいつがアスナに明らかな敵意を向けている。

 開いた口は何か攻撃の前準備だろうかだとしたらアスナが危険にさらされていることになる。

 アスナを見ると足をけがしていて逃げる事が出来ないらしい。

 化物の口にエネルギーみたいな何が集まっていく。ビームの様な物でも発射されるのかもしれない。馬鹿みたいな考えだとは思ったが辺りの惨状から察するにあり得ない事ではない気がした。

 アスナを失う。そんなことは許しちゃいけない。

 しかし走った所で間に合う距離ではなかった。

 どうすれば……

 何かないかと辺りを見渡す。

 そこに見覚えのあるソリが目に入る。

 確かあれには。慌てて駆け寄るとリングをむしりとる。

 これに魔力を込めればアスナの元まですぐに行ける。

 発動させようと魔力をリングに込める。

 しかし、何も起きない。

「なんでだっ!?」

 雅人の焦りは増す。

 良く考えてみれば魔力の込め方など知らないのだ。

 ダイガは魔力は感情だと言っていた。しかし、その感情をどうリングに込めればいいか検討もつかない。

 そうしている間にも化物の準備は整っていく。

「やめろ!?やめてくれ!!」

 精一杯叫ぶが化物は雅人に見向きもしない。

「動けよ!これじゃぁ、俺はまた!」

 そして遂に化物の口からブレスが吐き出される。

 雅人はそれが自らの隣を通るのを感じた。

「やめろ!俺から二度も娘を奪わないでくれぇぇぇぇぇ!」

 雅人は必死にリングを握りしめた。

 するとリングは光を帯始める。

 そこから何が起こったのか良く分からなかった。

 気づくと目の前に恐怖に目を閉じたアスナがいた。

「えっ!な、なんでマサトさんがここに!?」

 驚いた顔のアスナを見て一安心する。どうやら無事だったみたいだ。

 優しく微笑み返してやろうするが顔が上手く動かせない。

 顔だけじゃない。全身に力が入らなかった。まるで体を失ってしまったみたいに。

「なんで……なんで私なんかを庇ってるんですか!?」

 アスナが泣きそうになっている。

 それを見て、どうやら自分が思っている以上に酷いことになっていることを知る。

「なんでって……」

 辛うじて声は出せた。

「なんでって。親が娘を守るのは当たり前じゃないか……」

 アスナの頬に手を運ぶ。

 愛しい。この温もり。一度は手放してしまったこの愛しさを今度はちゃんと守れた。

 アスナがその手を包み込むように両手で触る。

「泣くんじゃないよ。いい女が台無しだ。でも、まだ子どもだもんな。泣いたっていいよな。ただ約束してくれよ。必ず生きるって……これからもずっと俺の分まで生きるって……じゃないと俺が死んでも死にきれない」

 笑ったつもりだったけれど上手く笑えているだろうか。

「わ、分かりましたから。約束守りますから。もう。もう喋らないで下さい」

 泣きじゃくるアスナを見ているとまだまだ死にたくないと思う。

 でも、自分に時間が無いのも痛いくらい分かる。

 力を振り絞りアスナの頭に手をおく。

「それなら大丈夫だ。戦いばかりじゃなく幸せに生きろよ……」

 力が手から抜ける。

 アスナの泣き声が大きくなった。

 でも、もうどこも動かせそうにない。

 意識がぼけていく。

――飛鳥……。

――俺は今度こそお前を守れたのかな。


□□□


 動かなくなったマサトを地面にゆっくり横にたわす。

 悲しみが身体中を過去巡り全ての悲しみが瞳から溢れていく。

 滲む景色の中でグラゴスを睨み付ける。

 なんでダイガが……

 なんでマサトが……

 そんな悲しみがグラゴスへ向けられる。

 体を纏っていた黒き炎が大ききなる。

 足の痛みなんてとうに消えていた。

 グラゴスがブレスを再び吐く。

「この炎は全てを拒む――炎壁!!」

 グラゴスが吐いたブレスがアスナの炎に当たり霧散する。

 アスナはグラゴスに向かって駆け出した。

 悲しいのに力が溢れてくる。

 意味が分からなかった。悲しくならない為に戦っているのに悲しくないと力が出せないなんて。そんな自らが悲しくて力は更に高まる。

 グラゴスの前足に深く斬り込む。

 グラゴスがバランスを崩して首が降りてくる。

 そこへ一閃。

 あっけない結末。

 グラゴスは音を立てて倒れ込んだ。

「アスナです!?」

 そこへティルがやって来て驚きの表情を浮かべる。

 そりゃそうだ。

 だってあれだけ暴れていたグラゴスを一人で倒してしまったのだから。

 こんな力はなんの役にも立たなかったのに。

 初めて父親と呼びたい人に会えたのに。

 それを守るどころか守られてしまった。

 アスナの方が力があるのに。

 こんな力に何の……何の意味があるのだ。

「アスナダメです!感情に呑まれちゃダメです!」

 ティルが近寄ってきてアスナを抱き締めた。

「だってマサトさんが……マサトさんがぁ」

 アスナの泣き顔からティルが動かなくなったマサトを見つける。

「そんな……です」

 ティルも愕然とする。

 そうしている間にグラゴスはファラスへと変化していく。

 アスナはティルを振り切ってファラスに近づくと柄を振り上げる。

「グラゴスなんかこの世に産まれなければっ!」

 黒き刃がファラスを切り裂く。

「そうすればっ……そうすれば世界は平和なままだったのに……」

 アスナは更に泣く。

 しかし、ファラスから噴き出す光の奔流に涙は泣き声すら消し去られる。

 これはあの時と同じ?

 そしてこれは魔力だと知る。

 グラゴスが集めた憎しみ、悲しみ、怒り、戸惑い、それがファラスと言う卵に圧縮され解放されていく。

「今のは……?」

 光が収まった瓦礫の広場でアスナは目を開ける。

「ファラスから魔力が噴き出したです」

 ティルが近寄ってきて不安そうにアスナの裾を掴む。

「っ!?」

 思い出したかの様に右足に痛みが走りその場に座り込んでしまう。

「アスナ!すぐ治すです」

 ティルが魔法で治癒を始めてくれる。

 徐々に痛みが和らいでいく。

――パチパチパチ。

 誰の拍手が広場を抜けていく。

「誰!?」

 音の在りかを探ろうとするが四方から聞こえてくるようで上手く掴めない。

 グラゴスを倒されたと言うのに大して気にした様子もなくサガンは現れた。

「それってどういう事です?」

 ファラスからグラゴスを生み出したのはサガンだ。

 そのグラゴスを倒され、しかもファラスを壊して都合がいいとは一体どういうつもりだ。

「お嬢様方には関係の無いことです」

 サガンは相変わらず気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべる。

「関係ないことは無いんじゃないか。お前達の相手になる奴らだぜ」

 ダイガがアスナ達の後ろに立っていた。

 アスナが足は?と聞くと大丈夫だと言わんばかりに跳び跳ねて見せる。

「これはダイガ様。ご無事でしたか。しかし、一体どういうことでしょう。我々の最大の邪魔者はあなた様だと思っているのですが」

「俺はもうロートルだからな。若いのに任せるさ」

 二人の会話に付いていけずアスナとティルは互いに顔を見合わせる。

「一体何がどうなってるの?」

 堪らずダイガに質問する。

「うーん。端的に言えばあれが目的だろう」

 そう言ってダイガはある方向を指差す。

 そこには黒いもやが出来ていて。

「何あれ……」

 呟くけれども誰からも反応はない。サガンなど楽しそうにこちらを見ている。

 しかし、その黒い影が形を作っていのに連れてアスナの顔は青ざめていく。

「魔族……」

 それはゴブリンと呼ばれるタイプの魔族だった。そんなゴブリンがあちらこちらで生まれていく。

「グラゴスを使って憎しみや悲しみを集めファラスに圧縮させる。それを拡散する事で少なくなっていた負の魔力を補充する。それにより魔物や魔族が生まれる条件を整える。大方サガンの狙いはそんな所だ」

「素晴らしい。よくそこまで分かりましたね」

 自信満々に告げたダイガに対しサガンが称賛する。

 そんなバカな事が本当に行われていたと言うのか。

「そんなっ!?じゃああんな物を生み出すためにマキュアの街をめちゃめちゃにしたって言うの!そんなのって……」

 悲しすぎる。

「まさかここまでやるとは思わなかったけどな。というか出来ると思って無かったよ。その力も度胸もここまでだとは思わなかった。想定外だ」

「我々の敵はあなた様だけだと言ったでしょう。あなた様も倒せれば再び我々の時代が到来することも容易いでしょうからね」

「なるほどね。我々とはずいぶんな言い方だな。お前がそうであるようには見えないが?」

「確かに私はあの方の様な存在ではありませんが。支持して下りますゆえ、同族も当然です」

「ふーん。心はすでにうっぱらったてか。そいつは気に食わないな。今すぐ決着を着けてやるよ」

「おっと。それはご勘弁を。私にはまだやるべきことが残っていますので。あなた方の相手は彼らがやってくれますよ」

 先ほど生まれたゴブリン達が敵意をアスナ達に向けていた。

「ちぃっ。そこまで計算済みかよ」

「許さない。許さないんだから!」

 アスナは走り出そうとして右足の痛みに耐えられず転んでしまう。

「アスナ!」

 ティルが駆けよって抱き起こしてくれるがサガンはその間に去ろうとしていた。

 ゴブリン達は数は多かったが強さは対したことない。

 アスナ達にとってどうってことはない相手だった。

「なんでこんなことに……」

 それだけに失った物が大きく思えた。

「……あれです?マサトさんがいないです」

 ティルがすっとんきょんな声を出す。

「えっ!……ホントだ。でも、なんで……」

「なんだ?アイツがいたのか?」

 事情が飲み込めていないダイガの言葉でアスナは再び事実を思い知らされる。

「マサトさんは……マサトさんは私を庇って……」

 泣き出してしまうアスナにダイガは察する。

「そっか……そんな気がしたから遠ざけたんだが。変わらなかったか」

 珍しくダイガも暗い顔をする。

「で、その亡骸が見当たらないのか?」

「はいです」

「……そっか。なら、多分帰ったんだ」

「どういうこと?」

 ダイガの意外な言葉にアスナは思わず泣くのを止める。

「帰った……どこに?」

「アイツがいるべき場所にだよ」

 ダイガの表情は何故か明るくなっていた。

 それを見ていたらなんだかそれが事実に思えてくる。

「さて、ここは市衛隊に任せて城に帰るぞ。やつらのおかげでやることが山積だ。城で対策を練らないとどうしようもない。クリスにも動いて貰わないといけないし……ハイトも……」

「あーっ、分かったです。続きは城に行ってからです」

 ティルも笑顔になっている。

 笑っている場合じゃない。でも、泣いてる場合じゃないのも分かる。

 レイドが作った今の平和が壊されようとしているのならばそれを守らなきゃならない。

 じゃないと守ってくれたマサトにだって示しがつかない。

「分かったわよ。帰るわよ。こんなこと続けさせちゃいけないもんね。ってかあいつらなんなの?」

「ん?あぁ。魔族だよ。裏にもっとデカイのはいるだろうがな」

 ダイガの言葉は暗い影を落とす。

「目標をグラゴスから魔族に変更です」

「ええ。私たちに出来ることがあるなら」

 そうしてアスナ達は城へと向かい出す。次なる戦いに備えて。


□□□


 体が重い。

 頭がづきづき痛む。

 あれ?

 何がどうなっているのだ?

 確かにアスナを守りたい一心で。

 アスナ?

 娘は飛鳥だ。

 アスナってだれだ?

「あなた!」

 真奈美の声がする。

 こんなに大きな声を聞いたのは久しぶりだ。

 しかしなんだろう。

 もう朝なのだろうか。

 今日は何曜日だ?

 よく覚えてない。

 とにかく目を開け無ければ。

 具合が悪いし今日は会社は休まないといけないかもしれないなんて考えながら目を開ける。

「あなた!」

「ま、真奈美?なんで泣いてるだ?」

「もう目覚めないかと思った……」

 真奈美の言っていることが飲み込めない。

「ここは……?」

「病院。あなた、家の虫干し中に倒れてずっと意識を失ってたのよ」

 そう言われるとそんな気がしてきた。

「どのくらい寝てた?」

「3日よ」

「そっか……なんか夢を見ていたよ」

「夢?」

「ああ。まるで物語に出てきそうな世界で飛鳥そっくりの女の子に会った」

「ふぅん。それで?」

 昔はこうやって夢の内容とかなんでもないような話をよくしと促されてから思い出す。

「なんだったかな。死にかけたその子を身をていして守ったような気がする」

「ふふっ。なんだか勇者みたいね」

 そうそれでこうやって笑う真奈美が好きだった。

「勇者ね。アラフォーになっても勇者だったのかな」

 これからは飛鳥のことを話せばいい。辛いけど徐々に受けいけられるはずだから。

「アラフォーでも勇者は勇者よ。でもあなたは勇者って感じじゃないけどね」

 真奈美の態度が柔らかくなっている。

 倒れた事が原因ならばそれはそれで良かったのかも知れないなんて思う。

 しかし、あれは本当に夢だったのだろうか?

 でも飛鳥にそっくりな女の子に会うなんて都合が良すぎる。

 だからきっと夢だったんだ。

「なぁ、真奈美」

「ん、何?」

「生きていこうな。飛鳥の分まで」

 なんでこんな簡単な言葉が出なかったんだろう。

 言葉にすれば良かった。ただ、それだけだったのに。

「そうね……」

 飛鳥はいない。でも、真奈美まで失うわけにはいかない。

 そんな簡単な事に気づけなかった。でも、気づけた。ならそれを大事にしていこうと思った。

 そう思えたのは多分、飛鳥に似たあの子がそうやって生きてたからかもしれない。

「勇者になるよ」

「は?」

「この世界でもさ。勇者になるよ」

 呆れた顔の真奈美に失態を犯した自らに気づく。

「あ、いや。今のは忘れてくれ」

「はぁ。その様子じゃなれそうもないわね」

 真奈美の呟きは雅人に届くことは無かった。

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勇者はアラフォー!? 霜月かつろう @shimotuki_katuro

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