東の都と盗賊

 最初は海が目の前に現れたと思った。それほどまでにダイガンス河は大きかった。対岸が見えない河をお目にかかれるなんて想像すらしたことがなかった。波が岸に打ちつけているのではなく上流から下流に向けてしっかりと流れていなかったら信じなかっただろう。

 そしてそのダイガンス河に架かる橋を渡って。これまた大きな橋で戸惑いを覚えていたがそうこうしている内に対岸に着いてしまいソリの速度が予想以上に速かったのだと知った。

 ダイガンス河を越えた途端景色が変わって荒野になった。そう思っていたら直ぐ様街が見えてきた。

 ホルンドル。

 誰かがそう呟いたのを聞いた。多分街の名前なのだろう。

 ホルンドルに着くなりダイガはとても大きな伸びを一つすると、あー疲れた。と叫んで宿屋のベッドにダイブした。

 一方でアスナとティルはと言うと街に着くなりはしゃぎながら賑やかな方へと消えていった。なんでもとても美味しいお菓子が有名な街らしい。

 という訳で一人になってしまった雅人はどうしていいか途方に暮れていた。

 とりあえず街を歩き回ってみることにする。

 砂っぽさが辺りに漂っていたリノビシアとは違いホルンドルは岩っぽかった。

 街の所々から岩が突き出したりしている箇所がいくつか見受けられた。

 どうやら風が東から西に流れているらしかった。

 リノビシアにはリシア砂漠からの砂が溜まっていたのだろう。代わりにこのホルンドルにある砂はリシア砂漠へと流れていってしまう。その境がダイガンス河と言うわけだ。

 そんなことを考えながら街を歩いていたが知識がそんなにあるわけでもないのですぐに考えに詰まう。

 よく考えてみればリノビシアでゆっくり街並みを眺める暇なんてなかった。

 目が覚めてダイガに説明されて特訓して倒れたと思ったらすぐ出発だ。なんて慌ただしかったのだろう。でも不思議と急かされている気はしなかった。時間に沿って生きているそんな気すらした。

「おじさん」

 気がつくと見知らぬ女の子が裾を掴んでいた。

 それに気づかない程考えふけっていたらしい。

「どうしたんだい」

「あのね。これを買って欲しいの」

 そう言って花を一輪差し出してきた。見たこともない花。淡いピンクで花びらが4つ。儚く見えるそれはとてもいとおしく感じれた。

 その子の姿から想像するに決して裕福ではない。こうやって稼がなければ今日食べるお金もないのかも知れない。

「買おうかな」

 そう思っていたら自然と口から出ていた。

 そこまで言って雅人は焦った。お金を持ってない事に気がついたからだ。円なら持っているがここでそれが通用するハズもない。

 そんな雅人に不思議そうな視線を女の子は送ってくる。

「ごめんな。おじさんお金を持ってないんだ」

 すると女の子はみるみると表情を変えた。先ほどまで可憐だった女の子は心底あきれたようにため息をつく。

「そんな高そうな服着てるくせに文無しかよ」

 なんと言ったのか雅人は一瞬わけがわからなくなった。いや、信じたくなかった。信じてはいけなかった。

 けっ。と路肩に唾を吐き出す。そんな女の子に雅人は開いた口が塞がらなかった。

 あんな女の子がそんな事をしたことに驚いたし、あそこまで見事に猫を被っていたのかと思うとゾッとした。

 それと軽快に歩く女の子の後ろ姿は何故かたくましく見えた。彼女は路地を曲がると見えなくなっていった。

 世界が違う。改めて思い知らされた瞬間だった。

 しばらくしていつまでもボーッとしているわけにはいかないと気づき歩き始める。

「きゃぁぁぁぁー」

 その瞬間だった。女の子の悲鳴が聞こえてきた。声からして先ほどの女の子だ。

 焦って走り出した。女の子が曲がった路地までたどり着くとそっと覗いてみる。

「おい。昨日から収入が無いってどういう用件だ!?あぁ」

 大男が先ほどの女の子の髪の毛を掴み大声で怒鳴っていた。

「っ!しょうがないだろ!最近は物騒でろくに人間が通らないんだからさぁ」

 そんな状況でも女の子はちっともめげていなかった。しかし、目元には涙を浮かべている。

「ちっ。おい。いい加減稼いでこないと娘だからって遠慮はしないぞ」

 大男はそう言って女の子を地面に放り出した。

 倒れ込む女の子に手を差し出したくなるがややこしい事になりそうなので手を止める。

 男が去っていったのを確認すると雅人は女の子の元へと駆け寄る。

「大丈夫か?」

 女の子は突然現れた雅人に驚いたらしく肩をビクリと揺らすとおずおずと雅人の顔を確認した。

「なんだい。さっきの文無しか。私の事はほっといてどっか行け」

 アスナやティルよりも幼く見えるのに威勢は大人だ。そうでなければ生きていけないのかもしれない。

「さっきの奴が父親か?」

 言葉に怒気がこもったことは認めよう。でも、そこまで怯えなくてもいいじゃないかって位女の子はひきつった顔をした。

「ああ。一応な」

 まさか雅人の怒りに怯えたわけでもあるまいが女の子は素直に答えてくれる。

「一応ってなんだ?」

「私は買われたのさ。行く宛もないからって路頭に迷っている所をあの男にね」

 女の子は自棄になっているらしい。でなければこんな話まで初対面の雅人にするハズもない。

「買われた……?」

 雅人には到底信じられる話ではなかったが人を買う何てことが行われるらしい。

「盗賊に買われたのが運のつきさ。だからほっといてくれよ」

 女の子は真っ直ぐ雅人を見つめてくる。

 助けて欲しいと訴えている。勝手だけどそう思った。

 でも……

 どうしてやることも出来ないことも分かっていた。

 大男から女の子を助けた所で面倒をみてあげることも出来ない。第一雅人は自分の面倒をみることすら出来ていない。

 お金を渡そうにもお金もない。

 無力だ。

 これほどの無力感は味わった事がなかった。

 生活に不自由したこともない。

 力がなくとも警察に言えば良い。

 飛鳥が死んだときは無力感より悲しみが勝っていた。

 でも今は何とかしたいと思た。でもここでは雅人は無力だ。

「早くどっかに行きなよ」

 女の子にそう言われた雅人は黙って立ち去るしかなかった。

 そうしなければならないことに悔しさを噛み締め、どうする事も出来ない自分を責めた。

「あれ、マサトじゃん」

 通りに出た瞬間声をかけられる。そしてこの世界で雅人を知っている人間は限られている。

「寝てたんじゃないのか」

「ああ。もう寝終わった」

「はっ?」

 いくらなんでも早すぎだ。ほんの二、三時間しか経っていない。

「俺の事はどっちでもいいんだよ。それよりそんなとこから出てきて何やってる?」

「ああ。実は……」

 今あったことをダイガに話した。

 花を買わないかと尋ねられた事。お金を持ってない事を知ると女の子が態度を一変させた事。その女の子が盗賊に買われてこき使われている事。

 全て話すとため息が自然と漏れた。

「やりきれない気分になったよ」

「……やっぱりお前の世界って甘いんだな」

 そんな雅人にダイガは辛辣な言葉を返す。

「残念だが、その辺で野垂れ死んでいく子どもなんて珍しくもない。そのガキはむしろラッキーさ。盗賊に拾われれば嫌がおうでも生きる術を覚える」

「それにお前が助けたところで何も変わりやしない。いや、むしろその子が可哀想だな。何せお前にはなにもすることは出来ないんだから」

「そんな事は分かってるさ。だから助けなかった」

 でも、だからと言って割りきれる物では無いことを分かって欲しい。

「それだけじゃない。例え助けられたとしてお前にはやることがあるはずだ。助けられたとしても助けちゃいけないんだ。そんな思考はさっさと捨てちまいな。目の前の事だけで行動してると誰のためにもなんねえぞ」

 でもダイガの言葉は正論過ぎて何も言い返せなかった。

「さて。これから酒場に行くが付いてくるか?」

 ダイガは平然とした顔をしていた。先ほどの苦言など気にした様子はまったく見せない。

 この世界では雅人の常識は通じない。それが痛いほど分かった。かといっていつまでも沈んでいるつもりはない。

「こんな昼間から酒でも飲むのか?」

「うんにゃ。情報収集だよ。ファラスを狙ってる盗賊について調べたいことがあってね」

 情報収集と言えば酒場らしい。そんなRPGの定番の様な事が存在するのかと雅人は疑問に思いながらもダイガの後を付いていく事にした。

 渇いた木の扉がが軋みながら開いた。

「すまんが店はまだだよ」

 突然の訪問者に店主が慌てた様子で答える。

「久しぶりだな」

 しかし店主はダイガの声を聞くと固まってしまう。

「ひぃっ!?」

 勢いよく逃げ出そうとする店主の首もとをダイガが掴んだ。

「何故逃げる?」

 ダイガの馬鹿力に無駄な抵抗を止めた店主は項垂れる。

 店主に同情する。しかし、顔を見ただけで逃げ出されれるとはダイガは一体何をしたのか。

「はは。旦那じゃないですか。暫く顔を見ないと思ったら急に現れて何です」

「ファラスを狙ってる盗賊について教えろ」

 ダイガは静かに手を離した。

「ファラスですか?一体なんだってあんなもん……」

 ダイガに睨まれて店主は言葉を止めた。

「わかりましたよ。詮索はしません。ただ、巻き込まれるのはごめんですぜ」

 諦めた表情の店主に共感を覚えてしまうのは何故だろう。

「安心しろ。そんなにヤバイ件じゃないさ」

「だといいんですが。旦那の感覚は普通じゃないんでね。まあ。信用してますから話しますよ」

 店主はカウンターの奥へ行くと深々とため息をついた。

「ファラスを狙うって言うならそれは東狼会でほぼ間違いないと思います。奴ら片っ端からファラスを見つけては壊してるらしいんで」

「壊してる?何故だ」

「さぁ、そこまでは分かりません。掴んでるのは壊した跡に凄まじい魔力が発生している事くらいですね」

「魔力?でもあの時は魔力なんて何処にも……」

 ダイガはぶつぶつ呟きながら考え事に没頭してしまう。

「あとはサガンが東狼会と繋がってるって情報もありますが……」

 サガン?雅人はどこかで聞いたことがあった気がした。

「サガン?サガンって成金親父のサガンか?」

 ダイガが考え事を止めて店主の言葉に集中する。

 その様子を見て雅人も思い出した。確かファラスを買ったであろう人物がサガンなのだ。ちょっと違った気もするが。

「壊すのが目的の東狼会と集めるのが目的のサガンが何故繋がっている……」

 また思考の世界へと潜ってしまうダイガをただ見ていることしか出来ない。

「旦那ぁ。上等な情報だったんでそれなりの報酬を期待してますよ」

「ん?ああ。そこに隠してるヤツをクリスに報告しないでおいてやる」

 店主の顔色が一瞬で青ざめる。

「えっ!?な、なんでそれを……」

 うろたえる店主を見てダイガが驚く。

「まだ。懲りてなかったのかよ」

「なっ!?カマをかけたんですか!?そりゃないですよ」

 今にも泣き出しそうな店主に雅人は同情する。

「そんな物を持っているお前が悪い。じゃあな、助かった」

 店から出ていくダイガの後を雅人は付いていく。出る間際に店主に会釈をしたが店主は気づいていない様だった。

「なあ。あの店主は何を隠してたんだ?」

「あー。知らない方がいいと思うぜ」

 表情は笑っていたのに目がいつになく真剣なダイガに気づいた雅人はそれ以上踏み込めなかった。

「美味しいです」

 アスナはたい焼きを口一杯に頬張るティルを見て呆れた。

「そんなにがっつくと太るよ」

「……人の事言えないです」

 歩みを止めクルッと回ってジトッとティルが見つめる。その先には右手に程よく焼けた肉が刺さった串を持ち、左手に手に余る程大きなパンを持っているアスナがいた。

「わ、私は動くんだからいいのよ」

 ティルに指摘されたアスナはわたわたしてしまう。

「ふーんです」

 ティルの視線は訝しいものでも見るかのようだ。

「な、なによ」

「何でもないです」

 ティルは笑いながら先を歩き始める。

 剣で戦うアスナの方が後方で魔法を唱えているだけのティルよりも動くに決まっている。そう言い聞かせながらアスナはティルの後に続く。

「それにしてもマサトは何者です?」

 本人を目の前にしてする会話でもないので今まで口にしなかったがそれはアスナも疑問に思っていた。

「ダイガが気にするなって言ってるけどやっぱり気になるです」

「気絶してた私達を助けてくれたらしいけど、どうしてあんな所にいたのかも分からないしね」

「それにあの傷の治りの早さは異常です」

 疑問は止めどなく溢れてくる。

「悪い人じゃないと思うけど、わざわざここまで連れてくる理由なんて無いよ」

「その通りです。危険だと分かっているのにです」

「何を隠してるんだか」

 ダイガの考えはいつも分からない事だらけだ。

「……あれ、です?」

 不意にティルが歩みを止めた。急停止に対応出来なかったアスナはティルにぶつかる。

「わぁっ!?」

 反動で手に持っていた食料が地面に落ちた。

「ティルあんた……」

 どうしようもない悔しさをティルにぶつけようとするがティルが指差す方向を見て思考が切り替わる。

 砂漠でファラスを奪おうとしていた盗賊。なんたって格好が全く一緒だ。見間違えるはずもない頭に巻かれたターバン。それも同じ格好の人が三人。

 はっきり言って怪しすぎだ。

 私は盗賊ですって吹聴しながら歩いている様にしか思えない。

「後をつけるです?」

 幸い盗賊達は町の中心に向かっている様だ。人の流れもそれなり多いし尾行がバレる心配も少なそうだ。

「行こう」

 怪しまれないように何気なく追跡を始める。

「こんな所で何をしてると思うです?」

「ただの拠点とかかもしれないし、何をしてるって訳でも無いんじゃない」

 談笑すらしている盗賊に緊張感はない。だとすれば大いにあり得る可能性だ。

「ついてくだけ無駄かも……」

 何もしないのであればついていく理由がない。

「でもファラスを狙った理由を聞かないとです」

 ティルの言葉にアスナはハッとする。すっかり売られたファラスに気をとられていたが元々アスナ達が手に入れたファラスは彼らに壊されたのだ。

「あいつらが私達を襲った理由も聞き出さないといけないね」

「……」

 呆れた顔をしているティルに気づく。

「どうしたの?」

「わかってなかったのについていくと決めたです?」

「そ、それはっ!?」

 盗賊=悪いことをする=止めなくては。そんな思考が働いたから何なんて恥ずかしくて言えない。

「まあ、いいです。そんなことより別れるみたいです」

 あきれたままティルの視線が別々に動き始めた盗賊を捉えた。

「一人と二人に別れたか。もちろん……」

「一人を狙うです」

 ティルが力強くうなずく。

 一人になった盗賊は人気のない道へ進んでいく。問い詰めるには絶好の機会だ。

「周りに人がいなくなったら一気にいくよ」

 暫く様子を見ていると人が居そうもない細い裏通りに入っていくのが見えた。

「今っ!」

 急いでその裏通りへと後を追う。

「あれ?」

 追い詰めたと思ったがそこに盗賊の姿はなかった。

「どこいったです?」

「ここだよ」

 突如後ろから聞こえてきた声に驚いて振り返る。

「なっ!?いつの間に」

「ったく。誰がつけてきてるのかと思えばただのガキかよ」

 更に別れたはずの盗賊二人が現れ、アスナとティルは挟まれた形になってしまった。

「イタズラかなんだか知らないけど、おいたしちゃったからにはお仕置きしないとなぁ」

 嬉しそうに舌舐めずりをする盗賊の姿に嫌悪感を抱き身震いする。

「なんだよっ。怖くて震えちゃうってか。だったら最初ったからこんな真似すんじゃねえよっ」

 笑いに包まれる。何が面白いか全く分からない。こっちは不快感だらけだって言うのに。

 でも……

「仕方ないか。悪いのは見つかった私たちだし」

「です。相変わらずこそこそするのは苦手です」

「ああっ!?なにこそこそしゃっべってんだよ!!ごめんなさいって謝れば許してやらないこともないんだぞ」

「一人でいいわ」

「あん?」

「話を聞くのには一人起きてれば十分って言ってんの」

 アスナの右の拳が盗賊の腹部にめり込んだ。

「っ!?」

 声にもならないうめきをあげながらその場に崩れ落ちる。

「て、てめえ!」

 仲間が倒されて怒ったのか残りの二人が襲いかかってくる。

 先ほどは不意をつけたから難なく倒せたが、気合いの入った二人を倒すのは骨が折れそうだ。

「大地よ踊れ――震地」

 ティルの唱えた魔法により地面が揺れる。

 盗賊の足が止まる。そしてその隙を逃すようなアスナでは無かった。

 再び右の拳が盗賊のお腹を捉える。

 苦しそうに倒れる仲間を見て一人残された盗賊の表情が情けないものへと変化していく。

「もう攻撃しないから質問に答えてくれる?」

 アスナの問いに盗賊は必死に首を縦に振った。

 ソリが止めてある宿屋に着いた雅人は真剣に考え込んでいるダイガと自らを比べていた。

 走るだけで軽い揺れを感じるお腹に大して見事なまでに六つに割れているであろうお腹。

 一方は部下に指示を出すにも一々上司の機嫌を伺っていた。一方は一国の主に逆らってまで我を通そうとしている。

 ……止めた。

 それ以上比べると惨めになるだけだ。すでに惨めな気もしたがそこは気にしない。

 きっと環境の違いだ。こんな世界だからダイガみたいに生きられる。しがらみが多い世界に行けばきっとダイガだって……。

 そんなはずはない。きっとダイガはどこに行ったってダイガだ。それでも認めなくないと思っている自分に戸惑いを覚えていた。

「ダイガー!」

 遠くからアスナの声が聞こえたのでそちらを見たがギクッと一歩引いてしまう。

 何故って、大の大人を縄で縛って引きずって歩いている少女という光景を見たからである。

 しかも当のダイガは気づいた様子もない。

「おい。ダイガ」

 早く同意してくれる仲間が欲しくてダイガに声をかける。

「ん?」

 何のようだよと不機嫌そうにするダイガにアスナを指差して教える。

「おっ。アスナお手柄じゃないか!」

 何故か喜ぶダイガに雅人はこれは環境の差だと自分に言い聞かせた。

「さて。なんでファラスを壊したか答えてもらおうか」

 ダイガの口は笑っていたが、目は笑っていなかった。

「な、なんの事だかわからない」

 身動きも取れないくらい縛られていながらダイガに問い詰められる盗賊を不憫に思う。

 いくらなんでも可哀想だ。

「すっとぼけんな。お前ら東狼会がファラスを壊し回ってるのは知ってるんだ」

 今にも手をあげかねないダイガに盗賊は怯える。

「だから知らねぇって!末端な俺がそんなこと分かるわけ無いだろ!?」

 必死に訴える盗賊に容赦なくダイガの腕が伸びる。

 首根っこを掴み顔もとへと持って行く。

「正直に喋った方が身の為だぜ?」

 ダイガの低い声に雅人も息を飲む。

「し、知らない。ホントに知らないんだ。だから離してくれ」

 必死に懇願する盗賊の様子を見てダイガは手を離した。

 地面に落とされた盗賊は一安心したのかため息がこぼれていた。

「ちっ。手がかりは無しか。おい、ほどいてやれ」

 アスナがなんで私がと目で訴えながら盗賊を縛っていた縄を剣で切る。

「ひぃい」

 大きな剣にビビりながらも自由の身になったことを知るや否やどこかへ逃げていった。

「逃がしちゃってどうすんの。せっかく捕まえたのに」

「アイツから得られる情報なんてもう無いよ。それよりサガンがいるマキュアに向かおう。時間も惜しいしな」

「なんか分かったです?」

 ダイガの様子に機微を感じたのだろうティルが問う。

「いや。東狼会がこそこそと何かしているくらいしかわからんな。目的も謎のまま」

「じゃあ。なんでそんなに嬉しそうなんだ?」

 雅人は口にしてからしまったと思う。

「ダイガが嬉しそうです?」

 とてもそうは見えないだろう。なぜって雅人自身もそう見えるから。

 何となくなのだ。ダイガが嬉しいのかも知れない。そう思ってしまった。そう思ったら止められなかった。

「お前って不思議な」

 ただ、ダイガの表情がそれが当たっている事を証明していた。

「何となく検討がついただけさ。確証もないし言うまでもないと思ってたが俺はそんなに嬉しそうにしてたか?」

「あ、ああ。その拳が気になったんだ」

 苦し紛れで言ったのだがダイガは意外にも納得したようだった。

 固く握りしめられた拳が震えていた。ただそれだけの理由だ。

「成る程な。知らない内に力んでたか」

 ダイガはそう認めた。

「まあいいさ。まだ話す時期じゃない。それより急ごう。予想が正しいとするとまずいことになりそうだ」

 まずいことになりそうなのに嬉しいのか?という疑問は飲み込んだ。誰かしにも人には言いたくない事情がある。

「マサトはどうするです?そんな事になってきても巻き込んでいいです?」

 ティルが心配してくれるのは当然だ。下手をしたら足手まといになりかねないおじさんを連れていく理由がない。

「それでも連れてくさ。目当てのものもらいそこにありそうだしな」

 ダイガの言葉に心が跳ねた。

 雅人の目的と言えば元の世界に帰ること。それがこの先にあると言う。ならば行かないわけには行かなかった。

 帰る方法が見つかるかもしれないと言うことをダイガに確認することは出来なかった。

 ダイガがソリを動かすのに魔力を注ぎ始めたからもあるが、否定されることを恐れたからだ。

 こんなときは毎回と言っていいほど真奈美と結婚した時を思い出す。

 大学の同期だった真奈美と会ったのは友人に誘われた飲み会だ。当時はそんな事を意識しなかったが今で言う合コンの類いだったのだろう。

 妙に気が合った真奈美が大企業の社長の娘だと知ったのは付き合い出してからだ。

 特段、何か感想を言った記憶はないが内心ではかなりビビっていた。

 大学の四期生の時、いきなり一人暮らしのアパートに押し掛けて来た時も何も聞けなかった。

 そこからなし崩しの状態で同棲が始まったけれども何かと自分の中で何かと理由をつけて解決してしまい、真奈美に問いただしたことは無かった。何も聞かないことが優しさだと自らに言い聞かせいたのかもしれない。

 互いに結婚を意識していたハズだが口にはしなかった。

 事が動いたのは真奈美の父親が亡くなった時だ。確か23の時だったのを覚えている。

 社会に出たばかりで目まぐるしく日々が過ぎていた頃だ。

 真奈美の実兄が葬式に参列して欲しいと頭を下げられた時の真奈美の顔は今でも忘れられない。

 悲しみと困惑が混じり合ったあの顔。飛鳥が死んだときも同じ顔をしてた。

 悲しくてどうしていいか分からない時、真奈美はそんな表情をするらしい。雅人は二回しか見たことがない。

 よく考えてみれば真奈美の涙を見たのもその時の葬式が初めてだった。

 強い女だったのだと場違いな感心をしていた。

 葬式からの帰り二人で市役所に行って婚姻届けを提出した。

 特に打ち合わせをしたわけではなかった。ただ何となく足がそっちへ向いたのだ。

 終始そんな感じだったから真奈美の本心を確認した事はなかった。

 それが二人の中で暗黙のルールとして存在していた。

 いや。雅人がそれを望んでいたに過ぎない。

 他人の気持ちを知るのが怖いらしい。それに気づいたのは多分、飛鳥が死んだときだ。

 真奈美との間に出来た深い溝を感じたときに後悔した。

 何でもっと近くに居てやらなかったのだと。

 しかし、後悔するのもすでに遅かったのだ。

 アラフォーと呼ばれるおっさんに自分を変えるのは少々酷と言うものだ。

「あっ。見えた」

 アスナの声で現実へと戻される。

 つむっていたまぶたを開くと城壁に囲まれた町が見えた。

 マキュア。それがその城塞都市の名だ。

「流石、魔王に対抗するために造られた町です。立派です」

 ティルの言葉に引っかかる単語を見つける。

「魔王ってなんだ?」

「知らないです?魔王とは魔族の頂点に君臨するです。その力は絶大で15年前までこの大陸を支配してたです」

「今は違うのか?」

「はいです。今いる魔王はマキュアの北にある城に住んでいる魔王だけです。特に悪さもしないのでほっとかれてるです」

「魔王なのになにもしないのか?」

「そこが不思議なところです。動かず拒まず関わらず。それが最後の魔王の望みです」

「ふぅん」

 魔族ですら恐ろしいと感じる雅人に魔王のニュアンスは伝わらなかった。

「まあ、魔王に関わらなければ何もしてこないから近づかなければいいんですよ」

 アスナの助言に疑問が生じる。

「なにもしてこないのにあの城壁が?」

「なにもしてこないと分かったのは最近なんです」

「なるほど。あれはもう大して意味がない物なのか……」

 当たりの様子からは国どうしが争っている事は無さそうだ。ティルも魔王と対抗するためにと言ったしまず間違いないだろう。

 そうなるとあの城壁は意味を成さないわけだ。

 マキュアに入る際に門番に止められたのだがダイガの顔を見るなり慌てて門を開けてくれた以外は特に何事もなく街に入ることが出来た。

「ダイガって一体何者……」

 そんなにすごい奴だとは思ってなかったが改め直す必要があるのかもしれない。

「私も時々分からなくなります」

 隣で雅人の呟きを聞いたアスナがクスッと笑う。

「あれで軍で一番偉い人なんて誰も信じないです」

「へっ?」

 自分でも間抜けな声が出たのが分かった。

「初めて聞く人はみんなその顔をします」

 よっぽど間抜けな顔をしていたのだろう。アスナが声に出して笑った。

「サガンに会う約束を取り付けてくるからお前らは宿にでも行っててくれ」

 雅人達のやり取りを気にした様子もなくダイガはずかずかと歩いていってしまった。

「見えん。偉い人には絶対に見えん」

 すごい奴だとは思うけれどそれと偉い人は違う。義兄さんとかならば偉い人と言われても納得出きるのだが……

「まぁ、部下に助けられてるってよく聞くですし、本人は強いだけです」

「それは確かにね。多分世界で一番強い人族だし他が足りなくてもなんとかなるのかも」

「レイドが生きてれば違ったです……」

「っ!?ティル!」

 ティルの言葉にアスナが過剰に反応する。

 レイド?

 人の名前だろうか。しかし、アスナの狼狽えようは尋常ではない。

「ご、ごめんなさいです。アスナ……」

「あ。私こそごめん」

 小さくなるティルを見てアスナは落ち着きを取り戻す。

「あっ。レイドは私の父です……」

 余りにも気まずそうな顔をしていた為か、アスナに気を使わせてしまった。

 しかし、飛鳥の顔で父親の事を聞くとショックを受けずにはいられない。

「お父さん強かったの?」

 踏み込んだ事を聞くべきでは無かったのだろうが、父親の事が気になって仕方なかった。

「多分ダイガと同じくらいは強かったハズです」

 暗い顔をするアスナに対してなんて言葉をかけていいか分からない。

「そっか……」

 気まずい沈黙が流れる。やっぱり聞かなきゃ良かったと後悔する。

「や、宿屋に行くです」

 先頭を切って歩き始めたティルを見て雅人は自己嫌悪に陥る。

 こんな子どもにまで気を使わせてまで自分は何をやっているのだと。

「変なこと聞いてごめんな」

「あ、いえ。父の事は覚えてないんで大丈夫です」

 大丈夫なはずはなかったがアスナはそう言った。

「父は英雄なんです」

 話したがっている様には見えなかったが、話を止めようとは思わなかった。

「15年前までこの大陸には魔王が支配していたんです。それを倒して人族の手に取り戻したのが私の父です」

「すごいじゃないか」

 実はあまり凄さが分かっていない。しかし、支配されていた者が支配していた者を倒したと言うのはいわゆる革命だ。

 どれほどの規模の革命なのかは想像し難かったがその働きが軽いものだとも思えない。

 しかも英雄とまで呼ばれているのであれば世界から賞賛されている人物であるに違いない。

 ごちゃごちゃと考えた挙句、偉大な父親だったのだと納得した。

「でも、私が産まれてすぐに残っていた魔王との戦いに行ってから帰って来ません」

「その魔王ってこの近くにいる奴かい?」

「いえ違います。その魔王も両親と一緒に姿を消しました」

「ん?両親って……」

「はい。母もその戦いに赴きました……」

「じゃあ、君は両親を知らずに育ったのか」

 そんな人生は想像も出来なかった。

「でも、ダイガやクリスさんが親代わりになってくれてましたし、キリス叔母さん……ティルのお母さんなんですけども、優しくして貰ったので寂しくはなかったんです」

 その割りにはアスナの顔色は晴れない。

「ただ……両親がいなくなった時期とグラゴスが出現しだした時期が一緒なんです」

 グラゴスはこの大陸を暴れまわっている化物だったハズだ。しかし、それとアスナの両親がいなくなった事が繋がらない。

「グラゴスは魔王クラスの魔力を持っています。いなくなった魔王とグラゴスを繋ぎ合わせるのはそんなに難しくはないんです。グラゴスの被害の大きさもあり、いつからか父はグラゴスを産み出した者として忌むべき存在になったんです」

「そんな!だって英雄だったのに」

「理不尽な出来事に対して感情の捌け口が必要だった……ダイガがそう言ってました」

「そういうものなのか……」

 納得出来なかったが、そういうことがあるかもしれないと理解は出来た。

 飛鳥が死んだ理由が理不尽かつ何者かによって引き起こされたのであれば怒りや悲しみはどこかにぶつけなければならなかっただろう。

「お父さんをどう思ってるんだ」

「正直に言うと分からないんです。顔どころかいたと言う記憶すらないので……でも私が旅をしているのは両親を探してるからなんです。結局死体も見つかっていないのでもしかしたら生きているかもしれないから」

「それでまだ小さいのに旅をしてるのか……」

 ずっと疑問だった事の一つが解けた。

 この世界では普通の事かもしれないと思ったりもしたがやはりアスナ達が特別らしい。

「はい。少しでもいいから両親の手がかりが欲しいんです」

 力が宿る瞳を見て雅人は引け目を感じる。

 ダイガと同じ。意思が宿る瞳。元の世界にもそういう人がいた。曲げられない何かを持っている。信念や理念。それを自らの宝物だと思ってる人。

 自分の意思など二の次で長いものに巻かれてきた雅人にとってそれは理解できない存在だった。

 だからだろう。そういう人達といると自分が否定されているみたいで堪らなく居心地が悪かった。

「強いな……」

 羨ましく思う。両親はいないかもしれない。決して幸福ではないはずだ。

 でも……人間は自分が持っていない物に憧れを抱く。

「強くなんかないですよ。ティルがいつでも傍に居てくれるし。ダイガも手伝ってくれるみたいだから」

 照れたのか顔を伏せるアスナに子どもっぽさを見つけて少し安心する。

「何二人でコソコソ話してるです?宿に着いたですよ」

 ティルをすっかり忘れていた自分を雅人は恥じた。

 宿に着いてからの手続きをアスナが済ませ、通された部屋に入るなり二つあるベッドの片方に倒れ込んだ。

 移動するソリに乗っていただけなのだが、思っている以上に疲れていたらしく動く気がなくなる。

 堅いソリの上と違い、柔らかく雅人を包み込むベッドに逆らうことが出来ずにまぶたを閉じる。

 こちらに来てからあっという間に時間が過ぎていく。しかし、悪い気がしないのは何故だろうか。知らない事ばかりで何かを感じる余裕が無いのか、それとも現実から離れたことにホッとしているのか雅人には判断が出来なかった。

 一方、ダイガはサガンの屋敷の前まで来ていた。

 豪華に飾られたと言うよりは悪趣味に見えてしまう外観にため息が漏れる。

「住むのが窮屈そうな屋敷だな」

 正直な感想を述べるが返事をくれる人は辺りにはいない。

「邪魔するぜ」

 入り口に立っている門番にあいさつをしながら屋敷に足を踏み入れようとすると二人の門番が持つ槍が交差してダイガの足を止めた。

「サガン様は必要な人物にしかお会いにならない」

 右の門番がそう告げる。

「ダイガが来たと伝えれば分かる」

 めんどくさそうにダイガが告げる。

 顔色ひとつ変えずに中に入っていく左の門番を見てダイガは愛想無いなぁ、と呟く。

「ここで待ってていい?」

 残った右の門番に尋ねるが返事がない。

「肯定と受けとるよ」

 疲れたと言わんばかりの脱力でその場に座り込む。

 暫くして入り口のドアが開く。

「サガン様がお会いになるそうだ。入れ」

 戻ってきた左の門番は定位置に着くとダイガ中へと促す。

「そりゃどうも」

 ダルそうにダイガは中へと入る。

 中は外観以上に悪趣味だった。黄金の器や皿が壁一面に並べられ、天井から吊るされたシャンデリアの光を反射している。

 いくらなんでも明る過ぎんだろ。そう文句を言いたかったが聞いてくれる相手もいないので胸に秘めておく。

「これはダイガ様。ようこそいらっしゃいました」

 屋敷と同じく下品なしゃがれ声が響く。

 左右の壁際から伸びた階段が交差する頂点にサガンが立っていた。

 ふくよかに育ったお腹に、必要以上に短い手足。そこくせ丸太の様に太い腕には金の装飾品をジャラジャラと着けている。

「今日はどうなさいましたか?」


 ニヤニヤしながら尋ねるサガンに一々いらつきを覚える。

 何が嬉しいのか知らないがその脂ぎった顔をくしゃくしゃに歪めないで欲しかった。

「ちょっと聞きたいことがあるんだがいいか?」

「なんなりと。出来ればその後に私の願いも聞いていただきたいものですが……」

「そいつはお前の返答次第だな」

 にやけていたサガンの表情が引き締まる。

「はは。善処いたしますよ。それで質問とは?」

「お前。ファラスを持ってるよな?」

 直球の質問にロビー全体に緊張が走った。

「ふむ。ファラスですか……欲しいとは思っていますが手には入っていませんよ」

 サガンはあくまでもとぼけるつもりらしかった。

「それでファラスがどうしました?例え持っていたとしても貴方様にとやかく言われる理由にはならないはずですが?」

「別に。持っているなら国に寄贈でもしてくれるんじゃないかと思って、近くに来たから寄ってみたんだ」

 そう。ファラスが世間一般に知られているものであるならばサガンはそうするはずなのだ。

「ええ。私もそうしたいのは山々なんですが持っていない物はしょうがありませんので」

 これで隠しているのであればサガンはファラスの本当の正体を知っている事になる。

 だからダイガは罠を仕掛ける事にする。

「ああ。それとなサガン。俺はディスフリゲートを止めたから」

「は?」

 流石のサガンも動揺を隠せないらしい。目の色が瞬く間に変わる。

「一晩くらいはマキュアにいるから。邪魔したぜ」

 サガンが反応する前にダイガは屋敷を後にする。

 ファラスを持っていることを知られていることに気づいたサガンはどうにか口封じをしたいと考えたはずだ。しかしディスフリゲートのトップを殺してしまっては国を敵に回すことになる。

 しかし、ダイガがディスフリゲートを止めたのならば話は別だ。

「これで単純に動いてくれる位の小者なら楽なんだけどな」

 しかし、向こうから尻尾だして貰うしかない以上どうすることも出来ない。

 ダイガは後ろに注意を払いつつアスナ達が待つであろう宿屋に向かう。

 すぐにサガンが動くとも思えないが用心するに越したことはないし、それにマキュアに着いてから誰かに見られている気がしてならない。

 自分の実力を過信する訳ではないがダイガに気配を悟られないまま見張る事ができる人族なんていないと思っている。

 だから初めは気のせいかと思っていたがここまで視線を感じるのに無視できない。

 それは長年戦いに身をおいていたダイガの勘だった。

「なんだって言うんだ」

 拭いきれない不安にダイガは頭を振ってサガンに集中しようと意識する。

 余計な事に頭を捉えられていたら本命すら逃しかねない。

「嫌な予感がするな」

 燦々と降り注ぐ陽光が、肌を焦がす。清々しい程の空なのにそこに陰りがあるような気がしてならなかった。

「なんだっつんだ一体」

 たまらずもう一度呟く。

 雅人が現れてから何かが動き始めている気がしている。

 あの時と同じだ。魔王が支配していた国々を変えようと動き出したあの時期に。ダイガはディスフリゲートの属していた事もあり、関われなかったあの時期に。

 実力もあった。人脈も動かせるだけの兵もあった。でも運だけがなかった。

 世界が動き始めていた事に気づいた時にその中心から程遠い所にいた。それだけの事だがダイガは悔しいかった。

 世界の秘密に誰より近くにいたのに、誰よりも強かったハズなのに世界の変革に関われなかった。

 軍を止めたのもそういった事が理由の一つだっりする。

 世界の岐路に立ちたい。それがダイガの目的。

 だから今の状況は喜ばしいことのハズなのだ。

 でも。

 やっぱり。

 これから起こる出来事を想像すると不安を感じる。

 宿で一眠りしているとダイガが扉を開ける音で目が覚めた。帰ってきたダイガは雅人を気にすることなく、椅子にどかっと座る。明らかに不機嫌な態度だ。

 雅人はそんなダイガの様子に戸惑いを覚えつつも気づかないことにする。

「なあ」

 しかし、その間を壊したのはそのダイガだった。

「なんだ?」

 ダイガの低い声に釣られてぶっきらぼうな返事をしてしまう。

「お前はここから逃げろ」

 いきなりの言葉に雅人の思考が停止する。

 何を言っているのか頭に入ってこない。

「何を言い出すんだ一体」

 寝ぼけているのも合わさって口も上手く回らない。

「連れてきたのはお前じゃないか」

「事情が変わった。何となくだが嫌な予感がする。下手をするとおっさんを守る余裕がないかもしれない。帰りたいんだろ?だったら逃げてくれ」

「いきなりそんなことを言われてもどこに行ったらいいかすら分からないって言うのにどうしろって言うんだ!?」

 勝手なことを言い出したダイガに対して自然と語尾が荒くなる。

「手紙を書いてやるからそれを持って王都に行け。あとはクリスがなんとかしてくれる」

 淡々と話を進めるダイガはお願いと言うよりは命令しているようだった。

 反論する言葉が出てこない。昔から命令されると弱いことを思い出した。

「さ。飯に行くぞ。食べたら手配してやるから馬車にのれ」

 もはや有無を言わさないダイガの態度にどうすることも出来なかった。

 食事中に流れる気まずさはアスナ達にも伝わったらしく、なにかありました?とアスナが訪ねてきたが、別にと答えることしか出来なかった。

 不思議そうな顔をしていたがダイガが雅人を城に行かせると告げた時に何かを悟った表情をしていた。

「それじゃあ、お元気で」

 馬車を背中にして立つ雅人にアスナが深々と頭を下げた。 話は雅人を置いてどんどんと進んでいた。

 ダイガに手配された馬車が到着したのは食事を終えたすぐ後だ。

「ああ。みんなも気をつけて」

 なんて言葉をかけていいかも分からずに無難な言葉を選んでしまう。

 ダイガは元部下と名乗る男と話をしている。

 二人の表情は明るい。懐かしい顔に会えて喜んでいるのだろう。

「お。準備出来たみたいだな。じゃあ、あとはよろしくな」

 こちらに気がついたダイガが近づいてくる。

「じゃあ、またな」

 ダイガのごつごつした手が雅人の肩に置かれる。

「あ、ああ」

「なに。すぐ会えるさ。この件が終わったら帰る方法を教えてやるよ」

「分かったのか?」

「ああ。多分な」

 マキュアに帰る方法があるのだと勝手に思ったのだが違ったらしい。

 いやあるにはあるのだろう。ただそれがマキュアでなければならないわけではないと言うことだ。

 よく考えてみれば最初にこの世界に来たのがリシア砂漠なのだらか、場所など大した問題では無いのかもしれない。

 それならば無理にここに残る必要などないはずだ。

 ダイガの言いようだと本気で死にかねない。そんなことより命が大切だ。

「待ってるからな」

「おうよ」

 力強く頷くダイガを見て、少しだけ心が晴れた気がした。

 足をかけると馬車がぐらぐらと揺れる。バランスを保ちながなんとか乗り込む。

「それじゃあ」

「ああ。じゃあ、行ってくれ」

 ダイガの合図で馬車が動き始める。

 段々と小さくなってくダイガ達。

 あっという間に城壁を越えると、マキュアの町すらも瞬く間に遠ざかっていく。

「サイラって言います。よろしくっす」

 男にしては割りと高く通る声が聞こえてきてマキュアから目を離す。

 ダイガの部下が馬の手綱を持ちながら振り返っていた。

「ああ。よろしく。雅人だ」

「マサトさん。名前からするとジェイスターの出身すか?」

「い、いや。そういう訳じゃないんだが」

「ふーん特別なんすね」

 決して嫌みな言い方では無かったがどこか突っかかる言い方をする。

「特別?何がだい?」

「ダイガ隊長が他人の面倒を見るなんて珍しいっすから」

 その表情は少し寂しそうにも見える。

「そうなのか?すまないが俺にはよく分からないな」

 会ってから常にあんな感じだったのであれが普通だと思っていた。

「そうっすか。それでマサトさんはどうして城に?」

「ダイガから聞いてないのか?」

「何もっす。ただ、保護したい人がいるから頼む。としか言われてないっす」

「……実は俺にもよく分からないんだ。ただ、マキュアが危険だから逃げろって言われてだけで……」

 雅人の言葉を遮るように閃光が暗い空を明るくし、一瞬遅れて爆発音が鳴り響いた。

「何事っすか!?」

 サイラがマキュアの方角を見て愕然としている。

 振り返ってマキュアを見てみるとマキュアから黒煙が立ち昇っているのが見えた。

 しかも煙の元がうっすらと明るくなっている。

 火事!?

 いや、すぐに違うと思い直す。火事であるなら先ほどの爆発は大きすぎる。

 ダイガが逃げろと言った意味が途端に大きくなる。

 あれに巻き込まれたらひとたまりもないだろう。

 ダイガは最初からこうなることが分かっていたと言うのか。

 そこであることに気づく。

「ダイガと連絡は取れないのか!」

 サイラは青い顔をして首を横に振る。

 ダイガがこの事態を予測していたのならばこの事態の中心にダイガ達がいることは間違いないのだ。

 飛鳥の顔が脳裏に浮かぶ。

 また、また失わなきゃいけないのか。

「おい!戻ってくれ」

 考えるよりも先に言葉が出た。

「へっ!?そんな!!危険っす。あの爆発はただ事じゃないっすよ!」

 サイラは必死に抵抗をする。

「ダイガ達が危ない目にあってるかも知れないんだぞ」

「あの人なら簡単には死なないっす」

 確かに。と納得仕掛けた雅人はそれは違うだろと、その考えを振り切る。

「アスナ達もいるんだ。いいから戻るんだ」

 サイラは観念したように馬車の方向転換を始めた。

 頼む間に合ってくれ。

 また俺に娘を失わせないでくれ。

 雅人は必死に拳を握りしめていた。

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