“二度目はない”
逢雲千生
“二度目はない”
上京して三年。
格安のアパートを借りて、夢を追いかける俺――
アパートから徒歩五分のコンビニは、お客が少ない割に品数が多く、深夜であっても買い物に来る人はいる。
多くは近所の顔見知りだが、たまに学生や派手な衣装の女性もいて、意外と
昼間には小さな子供が友達と来たりしているので、人通りが少ない道沿いではあるものの、だからこそ続いているのかもしれなかった。
今日は月に一度の給料日で、ちょっとだけ贅沢しようと店に来たのだが、深夜とはいえ、
顔見知りに交じって、知らない顔の人が数人いる。
全員成人しているようだが、私服だからか幼く見え、一人がビールを購入しようとしたので、店員が年齢確認をしていた。
そんなやり取りを見ながら、一人の女性が煙草を手に取る。
このコンビニでは、昔のようにお客が煙草を手に取り、レジに持って来るというやり方なのだけれど、その女性は煙草を手に、こちらを見てきた。
じっと俺を見ると、何かに気がついたように煙草を棚に戻し、何も買わずに外へ飛び出していく。
その後ろ姿を見ながら、新作のお菓子をカゴに入れると、「なんか、失礼な人だったなあ」と呟きながら会計を頼んだ。
「638円です」
慣れた手つきで品物を袋に詰めた店員は、俺の顔を見て、初めて笑顔を見せた。
あまり笑わないことで有名な男性だが、常連さんにはこうして笑顔を見せてくれるのだ。
本人曰く、人見知りが激しいから、らしいのだが、笑えばかっこいいのにと思ったのは俺だけではないだろう。
本人は顔の
「さっきの女性、失礼だと思ったでしょう。あの人、ここ最近ああなんですよ」
「ああって?」
「以前から煙草を買われてたんですけど、ここ数週間であんな感じになっちゃって。いつも手に取っては、買わずに戻しちゃうんです。不思議ですよね」
店員も気になっていたようだが、俺は彼女と今日が初対面だ。
店員との話はそこまでだったが、女性とはそれからも、数回会うことになった。
最初は偶然かと思ったが、彼女は昼間でも深夜でも俺の姿を見つけると、Uターンしてでも店に入ってきた。
そこで煙草を手に取るのだが、俺と目が合うと棚に戻し、逃げるように帰って行く。
さすがに不気味に感じたため、それから一月ほど行かなくなってしまった。
それからだんだんと仕事が軌道に乗ってきたため、俺の
浮かれていた俺は女性のことを忘れ、あの日、一ヶ月ぶりにコンビニを訪れてしまったのだ。
彼女はいた。
俺と目が合うと、ニヤリと笑い、口から赤い液体を出す。
これは何なんだと立ちすくんでいると、店員が青い顔で俺の腕を引っ張った。
すぐに出入り口から動かされ、背後にいた警官が入ってくると、外にいた誰かが叫んだ。
「人が倒れてる! 血が出ているわ!」
その声に人が集まり、だんだんと状況が理解できた。
女性は店の床に倒れ、レジの横で見上げるように仰向けになっていたのだ。
俺がコンビニに入った時にはすでに倒れていたが、誰も彼女が倒れた姿を見ていなかった。
手には未開封の煙草が握られていて、警察は最初、近くにいた俺と店員を疑っていたが、司法解剖で心臓発作だとわかると、あっけないほど簡単に疑いは晴れた。
警察からの説明によると、女性は煙草を購入しようと手に取った時、たまたま心臓発作になってそのまま死んでしまったそうだ。
口からの血は、
こうして殺人の疑いは晴れたものの、なんだか腑に落ちない。
いったい何が腑に落ちないのだろうと考える日が続いたある日、会計の後でまた店員に耳打ちされた。
「あの事件の後、煙草の在庫を調べたんですけど、どう数えても数が合わないんですよ。何ヶ月さかのぼっても合わなくて、店長に聞いたら『間違えて書いた日があっただけだろう』って言われたんです。いつもなら
「へえ。足りなかったの?」
「それがですね。多かったんですよ。彼女が手に持っていた物を入れると、何度数えても一つだけ多かったんです。不思議ですよね」
そう言いながら袋を渡す彼の後ろで、笑顔の店長が挨拶をしてくれた。
ここ最近は不機嫌そうだったのに、あの事件の後から笑顔が増えてきたので、それもまた腑に落ちないことの一つだった。
袋を受け取って外に出ると、店長がゴミ箱の掃除をしていたので、挨拶がてら話題を振ってみた。
「最近、暑くなってきましたね。あちこちで最高気温が更新されてるみたいですから、ここら辺も熱中症に気をつけないといけないですよね」
「そうですね。私達は冷房の中で作業することが多いですが、こうして外に出ると、やはり心配ですよ」
そう言って豪快に笑った彼は、俺を見て笑みを深めた。
「夏になると、事件や事故が増えることはありますが、日常でだって例外はありません。特に、やってはいけないと知りながらやるということは、罰を与えるだけでは足りないほど、後を絶たないものなんですよ」
「そう、なんですか。俺はそんな経験ないので、あまりピンときませんね」
「普通はそうですよ。ですが、私のようにお店をやっていると、悪いことをする人が必ず出るんです。そういった人達に私は、一度目は説教だけで済ませますが、二度目はないと言って帰しているんです」
「そうなんですか。優しいんですね」
そう答えると、店長は突然大声で笑い出したのだ。
周囲に聞こえるほどの大きな声に、コンビニから出て来た客は驚いてこちらを見てくる。
慌てて店長に「何かおかしいことでもありましたか」と尋ねると、彼は笑いながら言った。
「砂川さん。私は優しくないですよ。だからこそ、”二度目はない”と言ったんです。”二度目は”……ね」
今でも、この時の店長の笑顔は覚えている。
いや、むしろ忘れられない。
だって彼の目は笑っていなかった。
彼の笑みは暗かった。
そして何より、言葉の意味が分かってしまったからだ。
中に入った店長を見送り、俺はゆっくりと家へ歩き出す。
袋を揺らしながら歩いていると、背後でまた悲鳴が聞こえた。
首だけを動かして振り向くと、店先で叫ぶ男性と、床に転がる革靴が目に入り、俺は背筋が寒くなった。
足早に家に帰ると、後日、この時の事件がニュースで報じられた。
今度は
亡くなったサラリーマンの手には雑誌が握られていて、彼もまた、あの女性と同じ場所で仰向けに倒れていたらしい。
それからも数人の死者を出したあのコンビニは、俺が初めて事件に遭遇してから二年後に閉店し、今はもう
あれから夢を叶えた俺だが、今でも当時の事を思い出しては寒気がし、我が子にこう教えるのだ。
「いいか。けして人の物を盗んではいけないよ。じゃないと、一度目は許されても、次は許してもらえないからね」
そう言いながら、俺の頭で店長の声が蘇る。
『”二度目はない”よ――』
暗い笑みを浮かべた、冷たい彼の声。
俺は今日も子供に教えながら、あの時の恐怖を振り払おうともがくのだった。
“二度目はない” 逢雲千生 @houn_itsuki
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