x = vtな季節

 それからというもの、頼太は努めて三星のことを忘れようと試みるも、逆に夢の中にまで出てくるという始末だった。もうわかっているつもりだった。自分は完全に三星に惚れているのだ、と。そして自分は失恋したのだ、と。虚無感に襲われたまま家でテレビをつけていると、美味そうなグルメ番組がやっていた。頼太も『食』には興味がある。観ていれば少しは気も晴れるだろうかと期待したが、どんなに分厚い高級ステーキを旬な芸能人が食べていようが、何も思うことはなく、食欲も湧いてこず、そもそも内容自体が頭に入ってこなかった。しかし『三ツ星レストラン』というワードにはびくりと身体が反応し、そのままリモコンで電源を落としてしまった。

「何やってんだよ、俺は……」頭を掻きむしり、風呂にも入らずそのまま枕の中に顔をうずめた。

 そして翌朝のこと。教室に入ると、すでに席に着いている聖也が「おっす」と軽く手を挙げてきた。「少しは痛みも引いたか」

「よくわかんない感情が、よくわかんないまま消えたって感じだ」いいながら頼太は虚しさを覚えた。自分の感情を偽るほど辛いことはない。

「それならよかった。まだまだ引きずってんのかなあと。同じクラスだし、忘れようにも忘れらないだろうと思ったから」

「その話はもういい。すべて終わったことだ」ふと、頼太はあることを聖也に訊いてみたくなった。それは今まで彼に対して抱いていた、軽い不信感だ。「あのさ、聖也と俺の家ってちょうど500メートルほど離れてるよな」

「そうだけど……自分でいっといて、またもとの話を掘り返す気か?」聖也は苦笑する。

「聖也は6.5キロの距離を13 km/hで走っている。速度は、前に一緒に距離の測定に行ったとき知った。いつも通学にかかっている時間は35分」

 聖也はすっと頼太から視線を逸らし、平静を取り繕っているように見えた。

「そ、それが……?」

「おかしいぞ。計算したら30分だ。この空白の5分間、どこで何をしてるんだ」

「あちゃー、ばれたかあ」照れたように困ったように、わざとらしく額に手やる。「まあ相手が頼太だから教えるわ。先生にチクんなよ。じつは、毎朝コンビニに寄って、ジュースと面白そうな漫画がないか物色してるんだ。うちの学校、そういうのに厳しいだろ。だからちょっと、こそこそやってたわけでして……あっ、でもこの間変な奴見かけたんだよなあ」

「変な奴?」

 うん、と聖也は改まって小さく顎を引く。「モバイルバッテリー片手に持ちながら辺りをキョロキョロしてる挙動不審な奴を見かけた。頭がぼっさぼさの怖い大人だった。そういや、正木が近くのカロリーメイト的なコーナーにいた気がする」



「浅霧くん、ほんとありがとっ。君は命の恩人だよ」眼鏡の正木は、聖也に向かって深々とお辞儀した。

 職員室前。担任の先生に聖也が不審な人物を見かけたことを告げてきた後である。担任は安堵したように「最初から君が犯人だとは思ってなかったよ。信頼は、普段の態度の積み重ねでもある」といい、ほっと胸を撫で下ろした様子だった。

「お安い御用よ」聖也はぽんと自分の胸を叩いた。「でも礼なら頼太にいってやれ。こいつが俺の通学に気付かなきゃ、俺が正木を助けることはできなかったから」

 テニスボールの神隠しの翌日、頼太が正木と二人で話していたとき、聖也はトイレに発っていなかった。だから今まで正木の置かれた状況を知らずにいたのである。

「そうだったんだね。ありがとう、栗島くんも」

「礼には及ばないが……冤罪にならなくてよかったな」結果オーライといえど、初めから救う気だったわけではないから少し心が痛んだ。

「知ってると思うけど、僕あんまり友達いなくてさ……何だかすごく今、新鮮な気分なんだよね。これからもまた、一緒に喋ったりしてくれるかな」気恥ずかしそうに彼はいった。

「うん、改めてよろしくな」自然と出た言葉だった。

「ありがとう!」

 そして放課後になり、頼太たちはいつものように下駄箱で靴を履き替え、グラウンドに出た。この日の空は五月晴れで、絶好のテニス日和だった。大量に汗を流せば嫌なことも忘れられると、去り際に聖也がいい残していった。

 頼太が一人でテニスコートに向かっていると、向こうからラケットケースを肩に掛けた団体がこちらに向かってくるところだった。やけにはしゃいでいる。長谷川先輩たち、テニス部のメンバーである。

「あ、頼太。今日の部活休みになった」長谷川がいった。「内海先生が出張らしくて、今日は休みにしちゃってもいいっていわれたから、遠慮なくそうさせてもらった。ここんところ結構きつきつだったし、たまには休憩もしないとな」

「そうだったんですか……」三星のこともあり、頼太はどういう顔をすればいいのかわからなかった。変に意識しないほうが自然な感じでいられるだろうか。

「明日はいつも通りやるから、遅れずに来いよ」

 はい、と応えたのち、頼太は引き返して自転車置き場へと向かった。久々に早く家に帰れるが、帰ったところで一人で考える時間が増えるだけである。

 学校を出て風に吹かれながら走っていると、映画やアニメでよく見る主人公になったような気分を味わえた。周りには田畑とコンビニぐらいしかないが、目と心には優しい緑の風景が広がっている。この、時間がゆっくりと過ぎていくような気楽さが頼太は好きだった。

 と、そのとき、「頼太くん!」とどこかで高い声がした。振り向いてみて、驚いた。後ろから三星が迫ってきているからだ。一気に鼓動が早まる。どうしてこんな時間に彼女が。部活はどうしたのだろうか。頼太が動揺していると、いつの間にか彼女が横についていた。

「男テニも休みでしょ。うちの顧問も出張なんだ。もしかしたら、部活絡みのことなのかもしれないね。あっ、そうそう、正木くんから聞いたよ。冤罪を救ってあげたんだって」

「う、うん……まあな」

「見直した。せっかくいいことしたんだから、ちゃんとこっち見て話しなさいよ」

「前見てないと危ないだろ」

「ほんと融通利かないね。数字やデータがこの世のすべてじゃないんだよ。それだけじゃ表せないことが、きっと一杯ある」

「たとえば?」がちがちに震える声で、何とか懸命に話を振ってみる。

「臭い、とか?」

「なんだそれ」思わず吹き出してしまった。「でも確かにそうかも。匂いって数式では表現できない。あとさ、味とかもそうじゃない?」

「あ、ほんとだ!」

 互いに笑い合う。他愛もないというには少しトリッキーな気もするが、今自分は三星と二人きりで下校し、話をして盛り上がっている。もう死んでもいいぐらい幸せな気分だった。話に夢中になっているせいか、周囲の景色など目に入らなくなった。頼太の視界に入っているのは三星だけだ。彼女の笑顔を見ていると、胸がきゅっと縮み、たまらなく幸せな気分になる。しかし……。

「長谷川先輩のこと、どうするの? やっぱりまだ諦めてない感じ?」

 三星はふと空を見上げ、やがてゆっくりと首を横に振った。

「諦めた。長谷川先輩には同じ三年生に好きな人がいるって聞いたから。あんなイケメンだし、女子の情報網は頼太くんが思ってるより凄くてさ、なんかそれ聞いて醒めちゃったんだ。たぶん、恋愛映画みたいなのに憧れてたのかもしれない、あたし。うん、たぶんそうだったんだろうなって思う。告白が成功したとしても、付き合ったことに満足しちゃって、なんかそれ以上幸せな気分にはなれないのかなって、思ったんだ」

「へえ」と何でもないように返答するが、頼太の心の中ではダンスユニットが無限湧きして踊り狂っている。

「あっ」といきなり声を漏らし、三星が急に自転車を止めた。それを見た頼太も少し遅れて停止する。

「どうした?」

「ううん、何でもない。ニュースアプリが速報出すといつも振動するんだよね。自転車乗ってるときに震えると、いつもLINEが来たって勘違いしちゃうんだ。通知オフってどうするんだろう」

「貸してみろ」頼太は三星からスマホを受け取ると、設定の画面からさらに詳細設定へと進み、青くマーキングされている自動通知の設定を切った。「これでオッケー」

「あ、そんなのできるんだ。知らなかったなあ。ありがと!」嬉しそうに彼女はスマホを受け取った。「『新型ウイルス 脅威ではない』っていう見出しみたいね。毒性も弱くて感染力も低いから、世界がパニックになることはないって、WHOがいったらしいよ。なあんだ、消毒液とかいらなかったじゃん。買って損した」

「想像したくもないな、パンデミックになった世界なんて──」ふと辺りの景色に目をやると、頼太は今の自分が立っている場所に、思わず息を呑んだ。そこは『とんがり岩』の真ん前だった。『恋愛成就の岩』と書かれた看板がでかでかと立て掛けられているのを、じっと三星が見つめている。

「素敵だよね。あたしたちの町にこんな岩があるなんて」

「そういうの信じるタイプなのか」

「さっきもいったけど、信じることで救われる人だっているの。たとえそれが偶然だったとしても、信じた結果、自分の行動に変化が起きて、そのおかげで成果が出たって見方もできるでしょ」

「確かにいえてる。三星のいうとおりだと思うよ」頼太は自分の身長の二倍はあろうかという『とんがり岩』を静かに見上げた。

「でしょー」と嬉しそうな表情を浮かべる三星。

「あのな、その……三星に話したいことがあるんだけど──ちょっとだけ時間、いいかな」頼太は口から心臓を吐き出しそうになりながら、やっとの思いで告げた。

「別にいいよ、あたしは。特に予定ないし」

「今はどんな季節だ」

「はあ?」

「いやだから、その、どんな季節かなって」

「晴れてて気持ちのいい五月のとある日、だと思うけど。頼太くんは違うの?」

「うん。俺は少し違うかな」

「どんな季節なの?」

「話すと少し長くなるけど──」頼太は意を決し、続けた。「俺にとっては、x = vtな季節かな……っていっても伝わらないよな」

「全然わかんない。けどなんか面白そう。詳しく聞かせてよ」

 うん、と頼太は確かに頷き、今度こそしっかりと三星彩乃の顔を正面から見つめた。



//あとがき

この物語はフィクションですが、「通学路で偶然出会ったようにみせかける作戦」は作者の実体験をもとにしています。まだ高校生だった頃、友人から相談を受け、一緒に頭を捻らせた思い出があります。結論をいうと、友人の片思いの相手はかなりの強者で、朝の動きが全くつかめませんでした(朝練などの不確定要素)。そして二人とも飽きて辞めてしまった頃、てきとーに家を出た友人は、偶然意中の相手と出会えたそうです。ふられたようですが。






という話はもちろん冗談ですが(笑)

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x = vtな季節 やすんでこ @chiron_veyron

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