三星彩乃の通学路
測定結果は──5.5キロだった。三星の家から第一高校までが1.5キロ。そこから頼太たちの高校までが5.5キロ。足し合わせてぴったり7キロ。しかし、この時点で矛盾が発生する。三星から聞いて逆算した9.3キロから大きく外れているではないか。多少の誤差は生じるとしても、2.3キロもずれるのは明らかにおかしい。道には道路工事をしている形跡もなく、三星にとって通学時の障害はなかったはずである。
「考えられることは二つだな」冷蔵庫にしまっていたサイダーで喉を潤わせてから頼太はいった。聖也は自分のベッドで横たわりながら聞き耳を立てている。「三星が10分間どこかで何かをしているのは確実と見ていいだろう。その理由として考えられるのは、通学途中にどこかの店に寄り道して遅れた、一時的に速度を緩める区間があった、あえて遠回りをする要因が道路工事以外にあった、朝家を出る時間を俺たちに適当に告げた。そのぐらいだと思うんだが」
「うん、同感。どれも可能性がある」
「要因が多すぎて、絞るのが難しそうだな」カーペットの上で頼太は寝転んだ。その拍子に床に置かれていた聖也の数学の教科書が手に当たり、何となく手に取ってみる。さすがにx = vtの式は簡単すぎて目次に載っていなかった。でも、シンプルだが便利な式だと思った。この法則があるから三星の供述の穴に気が付けたのだ。
「火曜と木曜に塾あるから、そのときにもうちょい砂川に探り入れてみるわ」聖也は起き上がり、頼太のほうを見て悪戯っぽい笑みを寄こす。「そんなにしょげんなって。諦めたら試合終了!」
「何の試合なんだかなあ」起き上がるのが面倒なので、そのまま天井にできた大きな染みを、頭を空っぽにして眺めていることにした。
週がすっかり明けた水曜日。いつもより少し早めに登校した頼太は、すでに席に着いている聖也のもとに近寄った。もちろん三星はまだ姿を現していない。あえてその時間を狙ったからだ。
「聞いて喜べ! 新たな情報ゲット!」意気揚々と聖也がいった。「やっぱ砂川のやつ簡単に口滑らせたわあ」
「聞こう」頼太の好奇心がかつてないほどに刺激される。
「じつはな、三星と砂川は毎朝一緒に登校してるらしい。第一高校までのルートが一緒だから、そこまでは並んで走ってるそうだ。盲点だったなあ。俺たちも互いに近いところに住んでるくせに、時間合わせて一緒に行ったことは一度もないもんな」
「女子はいいけど、男子でやるとなんか……あれだよな」あれ、という感覚は具体的にはわからないのだが、要するに女子であれば自然だろうといいたかったわけである。
「話をまとめると──」聖也は机の中から一冊の薄いノートと電卓を取り出した。その表紙には『頼太の初恋物語──x = vtな季節』と綺麗な字で手書きされている。
「おいっ!」気恥ずかしいので頼太はすぐにページをめくり、表紙が周りに見えないようにした。「何考えてんだよ……誤解されるじゃんか」
「ほんとのことだろ」
「お前は……」完全に遊ばれているのは、聖也の得意げな顔を見るより明らかだ。
ノートに目を落とすと、そこには聖也と議論してきたあれやこれやが理路整然と書かれており、調べた情報のすべてが記載されてあった。
「彩乃ちゃんは第一高校まで砂川と一緒に通学してた。いいかえると、自宅から距離1.5キロメートル地点まで、並走してたことになる。砂川がいうには、三星は彼女のスピードに合わせて走ってくれるらしい。つまり二人で13 km/hで第一高校まで行った計算になる。その所要時間は……6.9分。そこから一人になった三星は、元の自分のスピードである14 km/hで走った可能性が高い。残る5.5キロを14 km/hで走った場合、かかる時間はおよそ23.6分。合計で、30分ちょっとだ」
待てよ、と頼太は疑問に思った。さっき聖也がいったことを踏まえると、奇妙な点が残ることに気付いた。
「その合計時間が40分にならなきゃおかしいだろ? これじゃあ、まだ空白の10分間を全然埋めきれてない」
聖也の立てたシミュレーションは一見すると正しいように思えるが、数字が一致しないということは、どこかで自分たちの計算が狂っていることになる。
「そうなんだよ、問題はそこだ」聖也は神妙な面持ちで腕を組んだ。「きっと別の要因があるはずなんだ。彩乃ちゃん、学校に来るまでの間にどこかに立ち寄ってるのかなあ」
と、そのとき、教室の前の扉から噂の三星彩乃が現れ、何やらむっとした顔で頼太たちのほうに近づいてきた。
「ちょっと、聖也!」
「うん? 俺?」
「そうよ、あんた。光穂から聞いたんだけど。塾の帰りに光穂を自分ちに誘ったらしいじゃない。どういうつもり? この前頼太くんがしてきた変な質問も、もしかしてそのことと関係してるとか」
光穂とは、砂川の名前である。どうも三星は勘が鋭い。だが、まさかx = vtの式を使い彼女の通学路を丸裸にしようと企んでいるとは夢にも思っていないだろう。
頼太はふと閃いた。話題をはぐらかすついでに一つ訊いておきたいことがあった。鼓動の早まりを感じつつ、なぜか三星の顔は直視できないので、頬の辺りをぼんやり見つめて問いかける。
「今朝の『ZAP!』見たか。海外で新手のウイルスが広がりつつあるっていうやつの続報──」
一か八か、露骨に話題を逸らしてみると、意外にも彼女は追及してこなかった。ただ一言、「それなら一応、あたしもアルコール消毒液を持ち歩くようにしてる。てか、そもそもなんだけどさ、何その番組? あたし、聞いたことないよ」といわれたので頼太が補足すると、へえ、と三星は反応した。「前の『朝からゲンキッ』終わっちゃったんだ。知らなかった。今はその番組に変わったわけね。前にもいったけど、あたし時間きっちりに動きたい性格だから」
ふーん、と後は勘ぐられないように適当にウイルスの話を続けた。もちろんそんな話を三星としたいわけではない。真の目的は、彼女が本当に時間どおり家を出ているのかについて訊くことにあった。仕掛けた結果、彼女は番組改編で『ZAP!』が打ち切りになったことを知らなかった。一度でも遅れて登校すれば気付けたはずなのだが、知らないということは、彼女は本当に時間に正確らしい。
聖也の顔を見ると、上手くいったじゃないかという意味ありげな視線をちらりと寄こしてきた。すると調子に乗ってか、「なあ、三星って彼氏とかいるの?」と訊いた。
「ちょっ……」頼太は思わず喉の奥から声にならない声が出かかる。
「いないよ」
なぜか頼太はほっと一息つきたくなったが、次の三星の言葉で胸の中に竜巻が発生したような気分になる。
「中学のときに付き合ってた彼氏はいる。けど別れたんだ。なんかじめじめして納豆みたいな奴だったから。第一高校に行った。あたしはさらさらした男が好きなの」
彼氏がいたと聞き、頼太はカカオ百パーセントのチョコを口に含んだときのような感覚を味わった。
すると聖也が可笑しそうに笑った。「あはは。面白い表現。納豆みたいな彼氏とか、逆に会ってみたいかも」
「でも最近困ってるんだよねえ。通学路で待ち伏せされてるから。まあ、あたしも人のこといえないか……」後半は独り言のつもりらしく、声が小さかった。
「待ち伏せ?」頼太は思わず訊いてしまった。
「うん」と三星は軽く頷いてみせ、聖也と目を合わせた。「光穂と同じ塾で仲いいんでしょ。だったら、あたしが光穂と一緒に通学してること、聞いてるんじゃないの」
「まあ、聞いたような気もするけど」とさりげなく聖也がいう。
「仲がいいってのももちろんあるけど、本当は元カレの待ち伏せが面倒だから一緒に通学してもらってるの。そのせいで遠回りしなくちゃいけないんだから。7分ぐらい無駄にしてるんだよ! もう! 考えただけであいつ腹立つ!」
今の発言で三星の通学状況がほぼ完全に理解できた。そんな経緯があったなど、今までの頼太たちには知る由もなかったわけで。砂川という人も遠慮して聖也にはいわなかったのだろう。
「立派なストーカーじゃないか。警察にチクれよ」頼太は本気でそう思った。
「何かされたら容赦なくそうさせてもらうけど、別になんもしてこないんだよね。写真撮られてるわけでもないし、未練がましく睨んでくるってだけ。こっちも事を大袈裟にしたくないし、まあいっかって感じ。てか考えること自体がめんどくさいし、あいつのことを思い出すために自分の時間を使いたくないから。頼太くんぐらいさらっとした男だったらよかったのに……」
それこそ、さらっと三星は頼太にとって重要な一言を放った。『頼太くんぐらいさらっとした男だったらよかったのに』──これまでにないほど頼太は自分の胸が熱くなる感覚を覚えた。自分は、喜んでいるのだろうか。
「7分ってまた正確な時間だね」そういったのは聖也だ。頼太の心境を察してか、重要な情報をみすみす逃すまいと助けてくれたらしい。
「好きな人と一緒にいられる時間ならそんなに細かく覚えてないけど、なにせ大っ嫌いな奴に奪われた時間だからさ。そりゃもう秒単位で覚えてやってるぐらい。将来どこかで返済してもらおっと。あのとき奪った時間返さないと殺すって」
「なかなか強烈……」聖也が苦笑する。
三星に元カレがいることがずっと頼太の思考回路を独占しているが、それと同じくらい気になったことがある。
聖也も折り返して訊いてくれたが、三星がストーカー回避のために遠回りした時間は7分だとわかった。ならば、10分のうち残りの3分は一体どこで何をしているのだろうか。
「どうしたの? あたしの顔になんか付いてる?」三星は自分の頬を軽く擦った。
「いいや。何でもない」
逃げるようにして視線を別のほうへ向けると、正木と目が合ってしまったので慌てて逸らす。そういえば彼の万引き容疑は晴れたのだろうか。少しだけ気にはなったが、すぐにその感情は消え失せ、また三星のことを考えてしまうのだった。
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