現地測定
その週の土曜日、頼太は聖也の家に来ていた。幼少の頃から何度も遊びに来たことがある。といっても頼太の家からは目と鼻の先にあり、距離にして500メートルほどしかないため、自転車を使わず歩いて行くこともたまにある。
「待ってたぞ」聖也はガラスコップ二つにサイダーをなみなみと注ぎ入れた。片方のコップを頼太に渡すのと同時に、彼はしてやったりという顔を向けてきた。「新たな情報を掴むことに成功した。褒めてくれ」
「三星に関する?」
「ああ。俺陸上やってるだろ。だから専用倉庫にはスピードガンの一つや二つぐらいあるわけ。短距離の友だちに使い方を教えてもらって、ばっちり計測できた」
「何が?」
「三星が自転車を漕ぐスピードに決まってるだろ。x = vtのうち、わかってるのは通学にかかる時間のみだった。三星の通学を把握するうえで、あと自転車を漕ぐ速さか、家から学校までの距離を知らなきゃいけない。さすがに家の場所を正確に教えてもらうのは気味悪いって思われる。だから、速度の計測で手を打っちゃいました!」小学生がやっと秘密基地を完成させたときのように、聖也は嬉しそうに手を叩いた。
しかし、さすがは聖也。頼太が数字しか信じないことを、ちゃんと知っている。
「時速何キロだった?」
「14 km/hだ」
「そうか」頼太は顎に手を当て考える。「通学時間が40分で、移動速度が14キロ。てことは三星の移動距離は、単純計算で9.3キロになるな」
「でもそれはおかしいんだ。ちょっとややこしい話なんだが、じつは昨日──」
どうやら聖也が部活後に通っている塾に三星の中学からの親友がいて、聖也は彼女と同じ教室で勉強しているらしい。砂川光穂という名前で、彼女は別の高校に進学したらしかった。三星とはすごく家の距離が近いということは頼太も前に聞いて知っていたが、問題は次だ。
「昨日こっそり三星の漕ぐスピードを測ったっていったろ? その流れで、ついでに砂川の自転車漕ぐスピードも測っといた。何かの参考になるかなあと思って。俺んちの前まで呼んで、スピードガンで測ってみたんだ。一応この家にも一台置いててさ」陸上を始めると聞いた聖也の父が、走者になるなら必要だろうと勝手に勘違いし、買ってきたものらしい。無論、円盤投げの選手である聖也にそのような装置は不要なのだが。「結果は13 km/h。三星より少し遅いくらいだった」
そこまで聞き、頼太は聖也のいわんとすることを理解した。
「三星のいった40分という通学時間に、果たしてどれほどの信ぴょう性があるのかを確かめられるってことか。うん、すごくいいアイデアだと思う。さすが聖也だ」
「あと、砂川の通学時間もさりげなく聞いてみた。あいつも自転車らしいからな。そしたらぴったり7分だと答えた。ここで今から、頭の中に一本の横線を思い浮かべてみてほしい」
「ほう」いわれた通り、頼太は一直線を想像する。
「左端に三星と砂川の家、二人の家はほぼ同一地点と見なすことにする。そこから1.5キロ右へ進んだところに砂川の通ってる第一高校がある。砂川の所要時間は6.9分。三星も毎朝、第一高校の前を通り過ぎてうちの高校まで通っていると思われる。それが地理的に最短ルートだからな。んで、三星の総移動距離が9.3キロなのを鑑みると、第一高校前を過ぎた三星は残る7.8キロの道のりを進むわけだ。ここまではいいな。そこで、万が一砂川がうちの高校の生徒だったらと仮定する。13 km/hで進んだ場合、第一高校からうちの高校までにかかる時間は36分。第一高校までの7分と合わせると、約43分」
「うん、正確なシミュレーションだと思うけど」
「そこで、確認の意味で砂川にちらっと訊いてみたんだ。『40分以上かけて通学する羽目にならなくてよかったな。学校が家から近いとか、ほんとお前恵まれてると思うぜ』って感じ。そしたらきょとんとされて、『いや、30分ぐらいで普通に着くでしょ』って笑われた」
ということは、砂川という人のいうことを信じるなら、三星の供述には嘘が含まれていることになる。本来ならかかる時間は砂川より少し早い30分を切るか切らないかで済むところを、三星は40分かけて通学している計算になる。つまり、どこかに寄り道するなりして、10分程度時間を潰している。多少の誤差はあるかもしれないが。
「俺のいいたいことが伝わったみたいだな。では早速、彩乃ちゃんの秘密を探ろうじゃないか!」嬉しそうに宣言する聖也。やっぱり彼は頭がいいと頼太は思った。
「第一高校から俺たちの学校までの距離を測ればいいんだな」
その部分の情報だけ、今の頼太たちはもっていない。
「そゆこと。サイクルコンピューターで正確な距離を測定すれば万事解決!」
計測した距離と三星のスピードをもとに、第一高校から自分たちの高校までかかる時間を算出し、そこから彼女の通学路における全体の走行距離を求め直すのが目的である。第一高校までの距離はすでに1.5キロであることがわかっているので、そこからの距離の情報が欲しいというわけである。三星がどこにも寄り道していないうえで10分の誤差が生じているのなら、彼女の通学距離あるいは自転車を漕ぐ速さを自分たちが間違えているということになる。漕ぐ速さは聖也がスピードガンで正確に測ってくれたので、原因は通学距離の誤認だと考え、今の会話に至っているわけだ。
「そんで、距離はいつ測る?」
「今からに決まってるだろ、相棒! 善は急げっていうし」
「善というか……見方によっては俺たちは斜め四十五度の変態だな」
「ストーカーしてるわけじゃないんだし、もっと推理ゲームを楽しもうぜ!」
「聖也、お前やけに楽しそうだな」
「まさか頼太が恋に落ちるとは思いもしなかったからね。そのサポートをするのが楽しいんだよ。告白して、その結果も早く知りたいし」
「おせっかいにも程がある……」なんだかんだ、いつも聖也のペースに上手く乗せられているような気がする。
聖也の家を出て、第一高校に向け出発する。空は申し分ないほどに晴れ渡り、どうぞ計測してくださいと神様に告げられているようだった。聖也のスピードに合わせながら走り、やがて住宅街を抜けると、すぐにのどかな田園風景が辺りに広がる。太くて視界のよい一本道が続き、少し山側に逸れると山頂の神社へと登る階段が見えてくる。一段一段が険しく、完全に老人の腰を折るような急勾配である。そのため参拝者のほとんどは若い世代、究極は少年たちで、絶好の遊びスポットになっている。
「俺たちも昔よく遊んだよなあ」自転車を止め、神社を見上げる聖也が懐かしそうにいった。そして嬉しそうに頼太のほうを向いてくる。「久しぶりに参拝して行こうぜ。最近あんまり行ってなかったし」
「祈ったところでどうにもならんだろう。てか何を祈るんだ」
「お前の恋愛祈願に決まってるじゃないか」
「また余計なことを……」
結局参拝することになり、よくわからない気持ちのまま頼太は手を合わせ、再び二人で山を下った。大して強い風が吹いているわけでもないのに涼しく感じるのは、木陰から見上げる葉が微かに揺れ動いているからだろうか。
やがて第一高校前に着き、いよいよ計測が始まる。閑散としたグラウンドは、週明けの生徒たちを待ち侘びているかのようだ。小学校とは違い、遊具一つないので余計に物寂しく映るのかもしれない。
「メーター壊れてねえかちゃんと今のうちに確認しとけよ」聖也がいった。
「大丈夫だ。そんなヘマはしないから。準備は抜かりなくやった」頼太の言葉どおり、サイクルコンピューターにはデジタルの数字がきちんと表示されている。
「おっけ。じゃあ行こう」初手から一気に飛ばす聖也。
「おい、待てって!」
頼太もその後を追う。こんなに全力でペダルを漕ぐのは久しぶりで、それが何だか新鮮な気分だった。足裏に力を込めて加速したとき、一陣の風が吹く。周囲の木々がそれに合わせるように、一斉に騒ぎ始めた。
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