テニスボールの神隠し2/2

 放課後のホームルームが終わると、潮が引いていくように生徒たちが出ていき、クラスは再び静かになった。少し今後の打ち合わせをしてから部活に行こうと聖也と話していたのだが、教室に残っているのは二人だけではなかった。

 一番前の席で、しょんぼりと肩を落としてため息ばかりついているのは、クラスでは地味な存在のメガネ男子こと、正木翼だった。頭を抱えているところを見るかぎり、何かに困っているのだろう。

 告げ口する友達はいなさそうだが、二人だけの内緒話を聞かれるのは嫌なので、頼太は彼に話しかけてみることにした。聖也はトイレに行くといい、一度この場を離れる。

「あと何分くらいこの教室にいるつもりなんだ?」

 頼太が訊くと、びくっと身体を震わせ、正木は細い身体をこちらに向けてきた。驚いたときの振動で、ずれ落ちた眼鏡をさっと直す。

「僕……、犯人にされちゃうかもしれないんだ……」すでに涙目になっている。

「犯人?」

「通学路の途中にコンビニがあるでしょ。そこで今朝万引きが起きたらしくて、ちょうどその時間、僕も中にいたことが監視カメラで割り出されて、それで、さっき先生にめちゃくちゃ怪しい目で睨まれて……」

「その感じだと、まだ犯人は見つかってないようだな。その時間に他の客はいなかったのか」

「いたよ。でも、盗まれた商品の前でしばらく佇んでたのは僕だけで、しかもちょうどその位置が死角になってて、ますます僕が怪しいってことに」

「証拠もないのに疑われている、ということか」

「そうなんだ。僕は一体どうすれば……」

「なるほど」

 頼太が立ち去ろうとすると、「待ってよ」と背中で声がした。「助けてくれないの?」

「やった証拠もなければやってない証拠もない。信じてくれ、はなしだ。俺は感情論が嫌いなんだ。でもまあ、盗まれたものぐらいは興味あるな」

「モバイルバッテリーだよ」

「お前、そんなものを通学の途中に見に行ってたのか」

「違う違う。僕が見てたのは、その付近にあるバランス栄養食のコーナー。じつは昔からよく貧血起こして倒れることがあって、鉄分の豊富なやつを毎朝買って、それで登校してるんだ。新しい味が追加になってたから、今日はじっくり選んでて。お菓子を選んでたら先生に怒られるところだったけど、体調を整える目的だから大目に見てもらえた。それで話を戻すけど、僕はどうしたらいいんだろう……」

「どうにもならんだろ。向こうにもこっちにも明確な証拠はない。グレーな状態がいつまでも続くだけだ」

「そんなのやだよお」

「俺にいうなよ」

 すると、廊下のほうで足音がした。聖也がトイレから戻ってきたようだった。

「ん? なんか廊下のほうまで正木の声がしてたけど、なんかあったのか?」

「何でもない」頼太が代わりに応えた。「解決策のないことをあれこれ議論したって時間の無駄だ」

「ふうん、なんかよくわかんねえけど……」ちらりと正木のほうに目をやる聖也。

 教室に正木を一人残し、頼太たちはグラウンドへと向かう。その道中、聖也がさっきのことを尋ねてきた。「何か困ってそうだったけど、ほんとによかったのか。力になれることがあれば、と思ったんだが」

「話は聞いた。そのうえでどうしようもないと思ったから、諦めろっていったんだ。何か解決策があるならいくら俺でも助言する。そこまで冷え切った人間に見られても困るからな」

「お前の性格はよくわかってる。俺たち、幼稚園からの付き合いだもん」肩にぐるりと手を回してくるが、聖也にだけはボディタッチを許してしまう。

 自分とは正反対の性格だが、一緒にいることのメリットは確かにあると頼太は思っている。互いに違うからこそ、新しい発見があったりする。たとえば頼太が彩乃に対して抱いている感情を、こいつは解き明かそうとしてくれている。理屈ではたどり着けない不思議な答えを、だ。

 聖也と別れ、頼太はテニスコートへと歩を進める。詳しい相談は後日しようということになった。確かに急ぐ必要はない。だが、このもやもやとした気持ちの正体を早く知りたい焦りもあった。自分は恋に落ちたのか。百歩譲ってそれは認めるとしても、なぜそんなことになってしまったか、明確な理由が知りたいと頼太は思った。

 部室の前まで行くと、長谷川先輩が何やら気難しそうな顔で立ち、首を捻っているところだった。頼太に気付くと、よお、と気さくに声を掛けてきた。部長にしてイケメン、完全無欠の才色兼備。才色兼備という言葉は女性に対して使われるものだが、長谷川に適用したとしても、おそらく四字熟語界の誰も苦言を呈したりしないだろう。

「昨日起きた怪奇現象、聞きましたよ」

 頼太がいうと、長谷川は表情を変えず、訳知り顔で話し始めた。

「先生から聞いたのか」

「いえ、同じクラスの奴からです」

 ふうん、と部長は頷いた。「で、どこから話せばいい」

「昨日夕方に部活が終わって、全員で球拾いしたら一球だけ足りなかったんですよね。それで内海先生が若干キレて、もっと大切に物を扱うようにって釘を刺されて。そこまでは俺も現場にいたんで知ってますけど」

 内海先生とは、男子テニス部の顧問のことである。

「ならその続きからでいいな。なくなった一球は、じつは俺の自転車のカゴの中に入れられてた。解散した後だったから証人はいないけど、もちろん犯人は俺じゃない。男テニのボールを誰かが昨日、どこかのタイミングで盗んで、俺の自転車カゴに入れたんだ。そうとしか考えられない」

「悪戯でしょうね、たぶん」

「ああ。昨日は疲れてたのに、ほんとうんざりしたよ」

「それで、そのボールはどうしたんですか。見つけてその後は」

「めんどくさいけど戻しにきたさ。学校の物だし、そのまま持って帰るのも泥棒みたいで嫌だったから。それで倉庫の鍵とって開けて、ボールの入ったカゴを取り出して、そこに戻した。でもそのタイミングで急にお腹が鳴って、ああ、鳴ったのは腹痛のほうな。調子も微妙だったし、そのままグラウンドのトイレに駆け込んだわ。ああ、そうそう。最近流行り始めてる新型感染症に、腹痛の症状はないらしいから安心してくれ」

 二、三か月前から妙な感染症が世界中で流行り始めているらしかった。そのため、生徒たちの中には自主的にエタノール消毒液を持ち歩いている者も多くいる。頼太もその一人だった。

「それで戻ってきたら、倉庫前に置いていたカゴが消えてたんですよね?」

「よく知ってるな」

「そいつから聞きました」

「情報屋でも雇ってるのか? ──グラウンドのあちこちを探したけど、結局見つからずじまいだった。そんで翌日、つまり今日。朝一で倉庫の前に来てみたら、なんとカゴが置いてあったんだ。ボールの数も揃ってるし、不審な点は何もなかった。あれは一体何だったんだろうな。気味が悪い。今後はますますボールの管理が厳しくなりそうだ。二年も覚悟しとけよ」

「とんだ飛び火ですね」

「せめて犯人が誰なのか、はっきりわかったらいいんだけど。内海先生は俺たち男子テニス部の誰かが悪戯でやったんじゃないかって思ってるらしいから。部長やってると何かと嫌われることも多いし、そこは俺も仕方ないかなって思う」

 さらに部長の話だと、特に犯人探しや過度な追及は行わない方針のようで、あくまで犯人の自主性に期待するという投げやりっぷりだった。長谷川先輩自身もそんなに気にしていないようである。

 正木の件と一緒だ、と頼太は思う。誰かが意図的にやったことは確実だが、それを裏付ける証拠がないという状況。そんなときには黙って通り過ぎるのが一番。頼太はケースからラケットを取り出し、コートへと足を踏み入れた。

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