x = vtな季節

やすんでこ

テニスボールの神隠し1/2

 社会に出たら結果がすべて。やる気や情熱なんかより、数字とデータでお前の実力を示せといわれる。重役まで上り詰めた父が常々口にしている言葉だ。栗島頼太にとって、それは極めて自然な摂理であり、彼自身の中にもそれを善とする思考回路が形成されていった。一言でいい表すなら、数字とデータさえあればすべてのことは説明がつく、ということになる。

 たった一つの例外を除いては──。

 朝学校に来てみると、幼稚園からの知り合いである浅霧聖也が鞄を下ろし、鼻歌を歌いながら教科書を机の中にしまっているところだった。彼は陸上部の円盤投げを専門としているため、頼太のようにソフトテニス用ラケットを毎朝担いでくる必要がない。聖也は頼太の顔を見ると、爽やかに微笑んだ。

「よっ、今日も一日元気に行こうぜ。元気があれば何だってでき──」

「ると思えるのは今だけだ。ライフステージが上がるにつれて、だんだんと気力が削がれていく。だから元気がないときに、どうすればいい結果を出せるのかをまずは考えるべきだ。そうすれば応用が利くし、何十年後にだって使えるかもしれない」

「お前は味気ないなあ。人付き合いもちゃんと大事にしたほうがいいぜ。人はな、人と関わってかなきゃ生きてけないんだよ。人という字は──」

「二本の曲線から成り立っている」

「そのまんまじゃねえかよ……」

「そのままのことをいって何が悪い。人という字に特別な意味を見出すか、見出さないかは人の自由だろ。聖也には特別に見えても、俺には単なる漢字の一つにしか見えない」頼太は一時間目の現代社会のノートを机に置いた。そうこうしているうちに、クラスメイトの数も増えてきた。今日の日直が昨日の日付をクリーナーで消し、書き直している。

「やっぱお前は変わってるよ……あ、そうそう。聞いたぜ。テニス部の怪事件」

「怪事件?」

「あれ? テニス部のくせにまだ聞いてないのか」

「何のことだ。誰からも一言もそんなことは聞いてないぞ。ん? もしかしてあれのことか。昨日の練習後、男テニのボールが一球だけなくなってたっていう。40分ぐらいみんなで探し回ったんだけど、見つからなかった。ナイター設備がグラウンドにしかないからテニスコート内まで明かりが届かなくて大変だったんだよな」

「いや、むしろ俺そっちのほう知らなかったわ。そうじゃなくて、ボールの神隠しの話だよ。テニス部の部長さんがボールの入ったカゴを倉庫の前に出しっぱなしにしてて、ちょっと離れて戻ってきたら、神隠しみたいにきれいさっぱり消えてたらしい。んで今朝改めて見に来たら、倉庫の前に再びカゴが置かれてあったとさ。ボールの数については知らなかったけど、でもさ、すごくね? まだ五月なのに怪談話なんて。退屈してる俺たちをおどかそうと早めに幽霊が出て来てくれたんだよきっと。前向きでいい奴に決まってる。ぜひ友達になりたいね」

「幽霊はいないぞ」

「えー、まあ頼太ならそういうわな」

「あたしは幽霊のせいだと思うな」

 急に隣で声がした。頼太がそちらを向くと、テニスラケットを机横のフックに掛ける三星彩乃の姿があった。

 その瞬間、頼太の胸が高鳴り、きゅっと縮こまる感覚があった。この四月から、ありとあらゆる方程式、いや理屈をこね、どうして自分が三星彩乃を前にしたときだけこんな謎めいた感情になるのか、その正体をずっと探り続けてきた。未だに答えは見つかっていない。そのことを以前、聖也に話したら「頼太が初恋っ!」と目を剥いて驚かれた。

 初恋──。

 不思議な感じがしたのを、よく覚えている。認めたくなかったが、確かに部活している最中、ふと気付けば彼女の姿を探してしまう自分がいた。彼女の何が自分にそんな感情を抱かせるのか。何とかあがいて理由を探そうにも、明確な答えらしきものは見当たらなかった。

 ただ一つ考えたことはある。正確には聖也が提案してきたことなのだが──。

 三星、と頼太が問うと、彼女は前髪をとかす手を止め、こちらを向いてきた。その仕草がまた頼太の心臓を跳ねさせた。しかし気のせいか、いつもより何となく彼女の元気がないように思えた。

「家から学校まで、通学にどのくらい時間がかかる?」

「は? 何それ、変な質問」

「いや……別に深い意味はないんだが」

「頼太くんが意味のないことを、しかもあたしに訊いてくるなんて、もしかして雷にでも当たった?」

「昨日は晴天だったろ」

「もう、冗談通じないんだから」三星は一瞬、視線を右上に向けた。「別に教えて減るものでもないし、いっか、教えてあげる。だいたい40分ぐらいかな」

「大体じゃなくて、正確に。さすがに秒数まで正確じゃなくていいけど、せめて分は明確に頼む」

 さすがの三星も、この質問には違和感を覚えたらしい。

「そんなこと聞いてどうすんの?」

「目的はいずれ告げる。悪いことに使うわけじゃないから、黙って答えてほしい」

 少し考えたのち、やがて彼女は小さく頷いた。

「わかった」訝しむ様子はまったく消えていないが、ひとまず信用はしてもらえたようだ。三星は教室前の壁に掛けられてある黒い時計に目をやった。「ぴったり40分。今日もそんな感じだった。あたしこう見えて、時間どおり正確に動きたいタイプだから」

「うん、最後の情報はいらなかった」

「ちょ、ちょっと! あたしの性格否定した?」

「あともう一つ。これで最後だ。通学は俺たちと同じで自転車だよな」

「そうだよ」

「家から学校までの間に、信号機は一台でもあるか」

 ぷっと三星は口元を押さえ、静かに笑った。「何それ? また変な質問。こんなド田舎に信号なんてないよ。渋滞なんて、この辺りで一回でもみたことある? あたしだけ都会に住んでるとでも思ってるの」

「いや、単なる確認」付け加えるなら、高校周囲の地形は平地で、同じ速度で自転車を漕ぎ続けても全く身体への負担はない。一度走り出したら、次に止まるのは学校だ。たまにスーパーや病院があるくらいで、基本的には山と田んぼしかない。

「話はそれだけ?」

「うん、助かった」

「どういたしましてっていいたいけど、何の役に立つのやら」三星は苦笑する。

「彩乃ちゃんはテニス部の怪事件について、何か知らないの?」そう訊いたのは聖也だった。

「えっ、し、知らないよ。あたしそんなこと……」

 なぜか動揺しているふうに見えたのは勘違いだろうかと頼太は思った。だって女子テニス部の彼女に、男子テニス部のことは一切関係ないのだから。

 ひとまず三星への質問を終え、頼太は一人で考える。聖也も馬鹿な奴だ。頼太たちの目的はこうだ。じつは大半の生徒は学校に来るまでの間、通称『とんがり岩』という巨石の近くを自転車や徒歩で通り過ぎる。その岩は『恋愛成就の岩』と昔から呼ばれており、辺りのムードものどかでいいため、恋愛スポットとして人気が高い。そこで、通学時に彼女が『とんがり岩』を通り過ぎるタイミングを予測し、そこで鉢合わせになるシーンを意図的に生み出そうという作戦である。

 無論、提案したのは聖也で、「思ってることをそこで洗いざらい話せばいい。普段はつっかえて上手くいえないようなことでも、『とんがり岩』の前でならするする言葉が出てくるかもしれないぜ。まずはグッドトライ!」と、明るい顔でいってきた。

 自分の気持ちがよくわからないまま、結局彼の計画にまんまと乗せられてしまったわけで。だが問題は、どうやってそのシチュエーションを人為的に生み出すか、という一点に尽きる。そこで頼太は閃いた。平地で信号機もなくて、まるで数学の教科書に載せられそうなほど理想的な地形で、生徒たちは毎朝、等速直線運動で学校に通っている。と見なせるのではないかと思ったのだ。

 頼太の頭に浮かんだのは、たった一つの数式。

 ──x = vt。移動距離 = 速さ × 所要時間で表される式である。

 そのために、さっき三星から自宅からの所要時間と、足止めをくらう確率のある信号機の有無を問い質したのだ。

 これなら極めて精度の高いシミュレーションができるのではないか、頼太は三星の話を聞きながらそんなことを考えていた。

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