短編11・若社長とホラーゲームと私

 とある休日のこと。

 私――藤井こずえは夫のスバルさんとおうちでまったりしていた。

 その頃は新型コロナウイルスという疫病が蔓延していて、不要不急の外出は自粛するよう求められていた時期だった。

 私とスバルさんが働いている――というかスバルさんが社長をしている藤井コーポレーションもできるだけ仕事をテレワークに切り替え、一部の社員は自宅で仕事が出来る体制を組み上げていた。

 ちなみに私は総務部で社外秘の書類仕事なんかもあったのでスバルさんに心配されつつ会社に出勤していた。

 スバルさんはマスク、消毒液、ハンドソープなどを会社や家に備蓄していたので、しばらくは大丈夫そうだ。

 とはいえ、外に出ればいつ感染するかわからないし、自分が気づかないうちに感染しているかもしれないのがこの疫病の恐ろしさで……。

 というわけで、私達は普段どおり休日だとしても外に出ず引きこもる生活を送っていたわけである。ふたりともインドア派なのだ。


 そんなときだ。スバルさんがあのおぞましいゲームを買ってきたのは。


「こずえさん、実は新しいゲーム買ったんですけど、やってみませんか?」

「おっ、いいですね」

 それは夕食後のことであった。

 ゲーム好きな私は特に何も考えずに、何のゲームか確認もせずに反射でうなずいていた。

 スバルさんがゲーム屋の袋をガサゴソさせて取り出した、そのソフトのパッケージは――

 明らかに血らしき赤い液体がべったりついた人間の手がこちらに向かって伸びている。しかもその手はひとつではなく、いくつもの血色の悪い手が私達を捕らえようとするかのようにパッケージの表面を埋め尽くしていて……

 ああ、描写するのも嫌だ。

 要はホラーゲームである。

「……スバルさん?」

「ゾンビを撃つゲームですよ。ストレス解消になって良いと聞きましたので買ってきました!」

 スバルさんは満面の笑みで、どうやら悪意があって買ってきたわけではないようだが……。

「私がホラー苦手なのご存知ですよね?」

「大丈夫ですよ。死体を撃つFPSか何かだと思ってくだされば」

 だったら普通にFPSを買ってきてほしい。

 スバルさんは知らないようだが、私はゲーセンでゾンビを撃つゲーム筐体の前を通れないほどゾンビが苦手である。むしろ嫌いと言っても過言ではない。

 ゾンビ好きな人には申し訳ないのだが、ゾンビなんて臭い・汚い・気持ち悪いの3Kじゃないですか……。いや、ゾンビの匂いなんて嗅いだことないけど、腐乱死体なんだからいい匂いがするわけがない。

 まずあの見た目がダメだ。白目をむいて骨や肉がむき出しになっていて、ノロノロと気持ち悪い動きをしながらこっちに向かってくるおぞましさ……。しかもアレがもともと人間だったと思うと……。

 サーッと顔が青ざめていく私に気づかず、ウキウキとゾンビゲームをゲーム機にセッティングしていくスバルさん。

「あ、あの……スバルさん……」

「大丈夫ですよ。こずえさんはわたくしが守って差し上げますから」

 そのイケメンスマイルを見てしまうと今更嫌だなんて水を差せない……。

 それに、ゲームの内容を確認もせずに了承した私にも落ち度はある。

 私は諦めてスバルさんが一緒に買ってきた拳銃型のコントローラーを握りしめたのであった……。


「うわああああああああ! うわああああああああ!」

「こずえさん、落ち着いてください!」

「やめろォ! 来るなァ! 近寄るなァァァ!」

「こずえさん! 弾切れてますから! 画面外を撃って弾を装填してください! こずえさん!?」

 私はパニックで絶叫していて、スバルさんの声が耳に入らない。

 スバルさんが私を守ろうと何体か撃ってくれているが追いつかない。弾切れした銃をゾンビに撃ち続けている私に、ふらつきながら近づいてくるゾンビが噛み付いたり爪で引っ掻いたりしてダメージが蓄積していき……。

 やがて、一人になったスバルさんもゾンビにやられて、【GAME OVER】の文字が画面に表示される。

「ハァー……ハァーッ……」

 私は涙目になりながらその場にへたり込む。

「……こずえさんって結構感情移入するタイプなんですね? でも外に出られなくて運動不足気味でしたし、少しは汗をかいたかと――」

 のんきなことを言うスバルさんを、私はキッと睨みつける。

「…………社長。このゲーム、明日売るか捨てるかしてきてください」

 私が家でスバルさんを『社長』と呼ぶのは怒っている証左。

 私が怒っているのを感じたスバルさんはうろたえる。

「あ、あの、こずえさん……?」

「あのゲームのパッケージすら見たくないんです。呪われそう」

「普通にゲーム屋さんに売ってるのに呪いのゲームなんて、あるわけないじゃないですか」

 スバルさんは呪いとかそういう心霊的なのは信じていないタイプである。

「いいから! あのゲーム家に置いときたくないんです! もう遊ばないし!」

「こずえさん、どうしたんですか? そこまでホラーゲーム嫌でした?」

「嫌だっていつも言ってるじゃないですか! 社長なんて――……」

 キライだ、なんて言えないのは惚れた弱みである。

「……うう、お風呂入れない……今日はもう入らない……」

「え、お風呂入らないんですか? まあ、こずえさんの香りが強く感じられるので別にいいですけど」

 さらっと変態臭いこと言いやがる。でも「汚い」とか言わないでくれるのも優しさか。

「何言ってるんですか、今日はもう社長とは一緒に寝てあげませんから。客間で寝ます」

「!?」

 毎日同じベッドで寝ているスバルさんはかなりショックを受けたご様子である。少しは反省してもらいたい。

「じゃ、おやすみなさい。明日、絶対あのゲームどうにかしてくださいね」

 私はスバルさんを置き去りにしてスタスタとゲーム部屋を出ていった。


 その夜、客間。

「眠れない……」

 今夜は風が強い。

 風が窓をカタカタ揺らす音が、ゾンビが窓を開けようと揺らしているかのような錯覚を覚えて、また怖くなる。

 私は客間の電気をつけたまま、ベッドに腰掛けていた。

 一人になったら余計怖くなるだけなのに、「一緒に寝ない」なんて言わなきゃよかった……。

 と思っているところに、突然フッと部屋の電気が切れた。

「ピャッ!?」

 停電!? タイミングが悪すぎる! 泣きっ面に蜂とはまさにこのこと!

 外ではゴロゴロと機嫌の悪い雷雲の嫌な音が聞こえる。

 窓を揺らす音はカタカタからガタガタに激しくなっており、ゾンビの妄想が強くなって私は泣きたくなる。

「う……うう……助けてスバルさん……」

 自分で拒絶しておきながら、私は図々しくもスバルさんに救いを求める。

「――ご無事ですか、こずえさん!?」

 不意に客間のドアがバンッと開いたと思うと、非常用の大型ライトを持ってスバルさんが飛び込んできた。

 暗くてよく見えないが、本気で私を心配している顔をしているのは雰囲気から見て取れた。

「す、スバルさんんんん……」

「落雷でブレーカーが落ちたようです。雷がやんだら一緒にブレーカーを上げに行きましょうね」

 私の隣に座ったスバルさんにしがみつく私と、そんな情けない私の背中を優しく撫でてくれるスバルさん。

「こんなに震えて……申し訳ありませんでした、こずえさん。こずえさんがここまでホラーが苦手なんて思っていなかったんです」

「いえ……私も、ゾンビが嫌いなこと、スバルさんには言ってなかったと思うし……」

「そうなんですね。知らなかったとはいえ、猛省しております」

 スバルさんは、震える私を抱きしめてくれる。細身の身体とはいえ、ちゃんと筋肉があって、スバルさんも男性なのだと感じる。

「明日、きちんとあのゲームは捨てておきますから」

「ありがとうございます……」

「お礼なんて言う必要はありません。わたくしが悪いのですし、もう一緒に寝てくれないなんて、わたくしには耐えられませんから」

 私を抱きしめる力が強くなる。何の奇蹟か、私なんかがこの絶世のイケメンに愛されているのだという事実を実感する。

「……ところで、少し席を外してもよろしいでしょうか」

「えっ、なんですか?」

「こずえさんの無事を確認できたので、ちょっとお手洗いに行きたくてですね……」

「えっ、ヤダヤダ置いてかないで!」

 思わずスバルさんのパジャマの裾をギュッと握りしめてしまう。

「ふふ、涙目のこずえさんも可愛らしいですが、流石に女性をお手洗いに伴うのはちょっと」

 涙目も可愛いって、ホントこの人SなのかMなのか分からないな……。

「では、まずはブレーカーを上げに行きましょうか。明るければ、遊園地で買ったぬいぐるみを抱きしめて少し我慢できますよね?」

 スバルさんに言われて気づいたが、いつの間にか雷雲は過ぎ去って、風も止んでいたようだった。

 私とスバルさんはライトを手に持ち、ブレーカーを上げるために暗い廊下を歩いていく。

 しかし、繋いだ手の温かさのおかげで、私はもうすっかり恐怖など霧散していたのであった。


〈おわり〉

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