短編08・若社長とバレンタインデー・リベンジ!

 二月十四日。バレンタインデーである。

「今年こそ手作りチョコをください……後生ですから……なにとぞ……」

 懇願しているのは私――藤井こずえの夫、藤井スバルである。

「なんでそんなに手作りにこだわるんですか……」

 スバルさんは他の女子社員からチョコをもらっても、「血とか髪の毛とか爪とか入ってたら怖いので」と食べずに捨ててしまう男である。

 そりゃ、私はそんなヤバいもんチョコに混入するような人間ではないが、手作りなんかより既製品のほうが安心だし美味しいのは間違いないだろう。

「手作りったって、板チョコ切り刻んで溶かして形を変えるだけのものですよ? それに意外と作るの大変なんですよ、温度調整とか」

「いえ、その手間ひまかけてくださる愛情も一緒にいただきたいと申しますか……」

「女子社員からもらったチョコを今まで食べもせずに捨てていた人間がよくぞ言えたものですね」

「だって、こずえさん以外のは要りませんから」

 その無邪気な笑顔が怖い。盲目的過ぎる。

「……っあーもう、わかりましたよ! 作ればいいんでしょ作れば!」

 というわけで、スーパーで板チョコを数枚購入し、私はキッチンに立つことになった。

 まずはこの板チョコを包丁で細かく切り刻むわけだが……。

「……あの」

「はい」

「チョコ作ってる間、ずっとそうしてるつもりですか?」

 スバルさんが背後から抱きついて離れてくれない。正直邪魔。

「最近こずえさんとのスキンシップが取れていなかったので、わたくし寂しくて寂しくて」

「わりと取ってたと思うけどなあ、スキンシップ……」

 私がそうつぶやいている間にも、スバルさんは私の首筋に顔を埋める。

 チュ、と首筋に柔らかいものがあたって、「ギャッ!」と思わず叫ぶ。

「知ってますかこずえさん、チョコには媚薬効果があるらしいですよ……?」

 耳元で囁かれてくすぐったい。

「今! 包丁持ってますから! 危ないですから! 向こう行ってください!」

 私が本気で怒ると、シュン……とした様子で、素直にキッチンから出ていった。

「ったく……」

 気を取り直して、板チョコを数枚、細かく切り刻む。

 鍋とボウルを用意して、鍋で湯を沸かし、ボウルには刻んだチョコを投入。

 鍋のお湯の上にボウルを浮かべて、ボウルの中のチョコを溶かしていく。いわゆる湯煎というやつだ。

 お湯の温度は五十度くらいで、ゴムベラで混ぜながらゆっくりと溶かす。これが時間がかかる。

 そしてここからさらに手間がかかるテンパリング作業だ。チョコの温度を計りながら、水を入れた別のボウルにチョコをいれたボウルをつけて温度を下げたり、また湯煎にかけたりと温度を微調整していく。このテンパリングがうまくいかないと、白い脂分が表面に浮かんでしまい、見た目も味も悪くなる。

 ハートの型にチョコを流し込んで、再び固める。この瞬間が一番ドキドキするのだ。

 十分くらい冷まして、冷蔵庫に入れたあと、私はフウと息をついた。ひとまずはこれでうまくいくはずだ。

 私は料理は他人に食べさせられる程度には出来るが、料理とお菓子作りは別のジャンルである。

 タブレットで説明動画を見ながら四苦八苦といった感じだ。疲れた……。

「どうですか、出来栄えは」

 キッチンから居間に戻ると、スバルさんはワクワクとした様子だった。

「多分いけると思います」

 洗った手をタオルで拭きながら、私はソファに座るスバルさんの隣に並ぶ。

「それは楽しみです。ああ、こずえさんの手作りチョコ……食べたら無くなってしまうのが惜しい気もしてきました。なんとか保存する方法はないものでしょうか」

「何言ってるんですか、人にチョコ作らせといて食べないとかナメてるんですか?」

 思わず大企業の社長相手に喧嘩腰になってしまう。妻だからこそ許される行為である。

「それに、私が毎年作れば問題ないでしょう」

「――いいんですか?」

 私の提案に、スバルさんは目を大きく見開いて驚いていた。

 今回の手作りの時点でなかなか骨の折れる作業ではあったが、

「どうせ毎年この時期になったら、『作ってくれ』って言うんでしょう?」

「流石こずえさんは何でもお見通しですね」

 いや本当に作らせる気だったのか。

 ぐぬぬ……とした顔でスバルさんを睨むが、

「そろそろチョコ食べても大丈夫そうじゃないですか?」

 とどこ吹く風、まったく効果はなさそうである。

 私は冷蔵庫からハート型のチョコを取り出し、最終確認をする。

 チョコレートの表面はツヤと光沢があって美しい仕上がりになった、と思う。それに、きちんと固まっているみたいだ。

 何の飾りもないのはちょっとシンプルすぎるかな、と思ったので、板チョコと一緒に買っておいたホワイトチョコペンで『義理』と書こうとした――が、スバルさんに止められた。あと、画数が多くてうまく書けない。

「まったく、こずえさんはツンデレですね。いや、クーデレかな?」

 スバルさんは笑いながらチョコをかじる。

「……うん、美味しいです」

「市販のチョコを溶かして固めただけですからね」

「それだけのことが出来ない女子も多いものでしょう? もっと胸を張っていいんですよ」

 スバルさんはそう言って優しく微笑む。私はこの表情が好きだ。

 見とれていると、スバルさんはチョコをもうひとかじりして、顔を近づけたと思うと、口付けられた。

「――……」

 口の中に甘ったるいものが入ってくる。固体と液体の中間くらいの溶け具合だ。それが口の中の熱で液体になっていく。

「こずえさん、まだ味見してなかったでしょう」

 ニコリともニヤリとも取れる表情で、スバルさんは笑う。

「……ミルクチョコは、ちょっと甘すぎましたね」

「そうですか? わたくしはこずえさんがくださるものならカカオ九十九パーセントでも喜んでいただきますがね」

 言ったな?

 本当に来年は九十九パーセントにしようかな、と思っていると、視点が天井にひっくり返っていた。

 ――ソファの上に押し倒されている。

「せめてチョコ全部食べてからにしていただけません? 溶けちゃうでしょう」

「こずえさんの身体に余ったチョコを塗って食べるのもいいかもしれませんね」

「変態」

 私の冷たい目が効いたのか、さすがにチョコレートプレイはしなかったのであった。


〈おわり〉

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