短編05・【問題】旦那とのクリスマスと推しとのクリスマス、どちらを優先するべきか。

「こずえさん、今年のクリスマスはどこでご飯食べたいですか?」

 クリスマスが近づいて、私の夫・藤井スバルさんは一緒に夕食をとりながらごきげんな様子で私に問う。

「今年こそはホテルの部屋も予約したいですね? 夜景が綺麗なところを取引先の方に教えていただいたんですが――」

「……えーっと、すみません、スバルさん」

 対する私・藤井こずえは少し気まずい気持ちでスバルさんに断りを入れる。

「十二月って仕事が忙しくて……クリスマスの日は残業になりそうなんです」

「管理職の怠慢ですね! 冬のボーナスカットしますか?」

「可哀想だからやめてあげてください」

 総務部の部長は何も悪くない。以前のセクハラ部長が異動してしまって新しい部長が就任したのだが、彼はよくやっているほうだと思う。

 ……それに、私は実は嘘をついている。仕事はあるにはあるが、残業とはいっても一、二時間で終わるような量だ。

 私は理由あってクリスマスを会社で過ごそうと思っていた。スバルさんには申し訳ないが、私にも引くに引けない事情というやつがある。

「日付が変わるまでには帰れると思いますので、おうちでケーキでも食べててください」

「独りで、ですか?」

 スバルさんは寂しそうな、捨てられた子犬みたいな目で見てくる。

 うっ……。

 私は罪悪感で胸が締め付けられる。

「あっ、ならカードゲーマーの方たちと一緒にクリスマスパーティーとかどうですか? チキンとかケーキとか食べながらカードゲームするの、きっと楽しいですよ」

「しかし、そこにこずえさんはいないのでしょう?」

 ええい、どんだけ私のこと好きなんだこの人は! 大好きか!

「と、とにかく今年のクリスマスは申し訳ないのですが一緒に過ごせそうにないんです」

「そうですか……わかりました……」

 スバルさんは目に見えてシュンとしている。こ……心が痛む……。

「それにしても、最近こずえさん様子がおかしくはありませんか? 二週間ほど前から客間で寝泊まりしたいと言い出したり……」

 私とスバルさんは普段は一緒の部屋で寝起きしているのだが、たしかに私はこの二週間ほど、スバルさんを避けるような言動をとっている。

「目も充血してますし……寝不足なのでは? 客間でいったい何をしているんですか?」

 スバルさんの綺麗な顔が私の目を覗き込む。結婚しててもこれは耐え難い。

「ごっ、ごちそうさまでした! お皿洗って部屋に戻ります!」

「あ……」

 スバルさんからそっと距離をとって、キッチンの流しに食器を運ぶ。スバルさんの手が私の肩を掴みそこねて所在なさげに浮いている。

 早足で客間に戻った私は、ベッドに寝転がりスマホを取り出す。

 もう少し。もう少しでこの二週間という長く辛い戦いが終わるのだ。

 ――クリスマス、十二月二十五日まで、あと二日。


 クリスマス当日。

 イブの日にデートを済ませて今日の仕事に気合を注入した者、イブの日に仕事を終わらせて今日を満喫しようという者、クリスマスなんて滅べと呪う者。会社には様々な事情を抱えた人間が集まる。

 昼休み恒例の会議室でのカードゲーマーの集いでも、クリスマスへの怨嗟を募らせた者はいた。

「いや、彼女なんていたら今頃昼休みにカードゲームなんてやってませんて」

「まあ、奥さん連れてカードゲームしに来る人はいますけどね?」

 そう言って、カードゲーマーたちは恨みがましく社長――スバルさんを睨んでいるらしい。

「あれ、そういえば社長、奥さんどうしたんすか?」

「いえ、わたくしも探したんですが、どうも総務部にはいないようで……」

 スバルさんは不思議そうに首を傾げているようだ。

「避けられてるんじゃないすか? 何かやらかしました?」

「何も心当たりがないんですがねえ……」

 うーん、と悩んでいる様子のスバルさんの声が聞こえる。

 ……私がどこにいるかというと、スバルさんたちがいる会議室の隣の小会議室である。

 壁に耳を当てながら菓子パンをもぐもぐとむさぼるという、なんとも珍妙な姿勢で、私は昼食をとっていた。

 とりあえず昼休み中はスバルさんに見つからないように、ここで昼を過ごすつもりである。

 パンを食べている間も、スマホをいじる手は止めない。我々ゲーマーに休息などないのだ。

 結局スバルさんは隣の部屋の私に気づかないまま、昼休み中カードゲームに興じたようであった。


 クリスマス当日――二十一時。

 とっぷりと日は暮れ、私のいる総務部の明かりは夜景の一部となっていた。

 とはいっても、総務部の部屋にいるのは私たった独りだ。業務が終わったら電気を消して鍵をかけ、警備員に鍵を渡して報告するよう言いつけられている。

 その業務とやらは定時を過ぎて一時間ほどで終わったのだが、私の戦いはまだ終わっていない。

 もう少しだ、もう少しで圏内に――。

 ふと、スマホとにらめっこしている私のデスクに、トン、と缶コーヒーが置かれた。

「――こずえさん」

「――!?」

 デスクに座った私は、すでにスバルさんに背後を取られていた。

「す、スバルさん……?」

 緊張で汗がどっと出る。もう帰ったと思っていたのに。

「一度は帰ろうと思ったのですが、ケーキを買って戻ってきました。よろしければ、一緒に食べませんか」

 スバルさんが黒のロングコートを着たまま私の隣の席に座って、デスクの上にケーキの箱が置かれた。やけに軽い音がするなと思ったらそのはずで、ケーキはたった二切れしか入っていない。

 私と、スバルさんの分。

「こずえさんはショートケーキ、お好きでしたよね」

 スバルさんは怒ってもいないが笑ってもおらず、至って平静な様子で箱に入っていた紙皿にショートケーキを乗せてこちらに寄越してくる。

「ケーキを食べるときくらいは、スマホを置いたらいかがですか?」

 今はその、いつもどおりの丁寧な口調が怖い。

「……怒ってます?」

「……そんな、あまりにもわかりやすく隠し事をされたら、怒る前に呆れてしまいます」

 スバルさんはハァ、とため息をついて、ブラックの缶コーヒーをぐいっと飲む。

「わたくしよりもスマホゲーを優先した。そういう認識でよろしいですか?」

「だ、だって、神裂殺ちゃんが初めて上位報酬になったんですよ!? 私が『IDOL=MY STARS』を始めるきっかけになった最推しが! 初登場から苦節五年にしてついに!」

「すごい名前のアイドルですね……」

『IDOL=MY STARS』は、私がこの会社に入る前からプレイしていたスマホゲームだ。まあ巷によくある女の子のアイドルを育成するゲームなのだが、私がこのゲームを始めるきっかけになった神裂殺ちゃんは、私の心の支えと言っても過言ではない。就職活動だって、殺ちゃんに貢ぐためだと思えば頑張れた。まあそのときスバルさんに一目惚れすることにもなるのだがそれはそれ。

 その大恩人である殺ちゃんに、やっと報いることが出来るチャンスなのだ。あとサンタ服着てる殺ちゃんが可愛いので単純にほしい。

「それで? 今何位ですか?」

「……千三十五位です……」

 イベントの上位報酬を手に入れるには、上位千位圏内に入らなければいけないのだが、どうしてもあとひと押しが足りない。

 ――端的に言えば、課金アイテムによるブーストが足りない。

 スマホゲームは課金額がすべてである。無課金勢は普段からちまちまアイテムを貯めるか、お金の代わりに時間を使う――つまり、二十四時間態勢でスマホに張り付くしかない。しかし、しかしだ。それでも課金する者としない者には超えられない壁がある。無課金勢が課金勢を押しのけて上位報酬を手にするなど、よほどのことがない限りありえない。そんな世界だ。

 私は殺ちゃんがいつか可愛い服を着てイベント上位にデビューする日を夢みて、『殺ちゃん貯金』をしてきた。この五年間、ずっとだ。それでも、――それでも、届かないというのか。なんという人外魔境。天は我を見放した。

「まったく……」

「あっ」

 スバルさんはため息混じりに私のスマホを取り上げる。ま、まさか「わたくしよりスマホゲーを優先した罰としてスマホを没収します」とか言い出す気か!?

 今スマホを没収されたらこれ以上ランキングを上げることができない……! 殺ちゃんは、二度と手に入らない……。

「そんな、世界の終わりみたいな絶望に満ちた目でわたくしを見ないでくださいよ……ほら」

 スバルさんは私のスマホをいじると、あっさり返してくれた。

 その画面を見て、私はぎょっとする。

 ――ランキング、一位。しかも、二位とは五桁以上差をつけている。

「え、なに、これ……チート?」

「失礼な、わたくしはそんなセコい真似はしません。正々堂々と、課金アイテムを買って使っただけです。わたくしのクレジットカードから」

 そう言って、スバルさんは真っ黒なカードをちらりと見せる。そ、それは真の金持ちしか持ってないとかいう、伝説のアレですか……!?

「これで多少順位が落ちても、まず上位報酬の圏内から外れることはないでしょう。……これで、このあとの時間、こずえさんはわたくしのものです」

 いや、五桁も差をつけたらそう簡単に順位が落ちるとも思えないし、どう考えてもオーバーキルである。

「……スバルさん、もしかして拗ねてます?」

「この二週間、スマホゲーにこずえさんの心を奪われていたと思うと、それは拗ねますよ」

 二週間。スマホゲーのイベントの開催期間だ。

 そして、今日がそのイベントの最終日である。二十二時に、イベントが終了するが……これだけ大差をつけたら、私の上位報酬は確定だ。

「――もし、このゲームが男性アイドルを育成するゲームだったら、わたくしの嫉妬心はこんなものじゃ済みませんよ?」

「いや、別に女性向けゲームあんま興味ないんで、そこは安心してください」

「……」

 スバルさんはフッと力を抜いて笑った。言いたいことはそこじゃないと言いたげだったが、私もそれをわかっていて論点をずらしたので問題ない。

「それでは、ケーキを食べたらもう会社を出ましょう。こずえさんのことですから、もう業務は終えてゲームで遊んでたんでしょう?」

「まったくそのとおりなのでぐうの音も出ませんね!」

 そこで、初めて私達は笑いあった。

「……さて、この二週間、わたくしから逃げ回った分は、きっちり埋めていただきますよ?」

 不意に、スバルさんが私の耳元でそう囁く。

「えっ……埋める、って……」

「わたくしの伝家の宝刀(黒いカード)まで使わせたんですから、それなりの報酬は必要ですよね?」

 別に頼んでないのに……! いやでも、スバルさんの助力がなければ、殺ちゃんには届かなかったわけで、私に拒否権はない。

「……わたくし、二週間もこずえさんに避けられて、寂しかったんですからね?」

 しょんぼりした顔で上目遣い。私に対する必殺技である。

 こうして私はスバルさんに、助けてもらった『お礼』をすることになったのであった。……どんな方法で『お礼』をしたのかは、伏せておく。

 そして、『IDOL=MY STARS』の匿名掲示板ではイベントランキング一位の異常なポイント数について話題が盛り上がったとか盛り上がってないとか。

 私は怖いから見てないけど。


〈おわり〉

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