間話 だから、俺たちは取引をする。

「おっと」


 放課後、一棟と二棟の間の渡り廊下で、俺は人と肩をぶつけた。ここは人通りが多いので、少しぶつかる程度ではみんな気にしない。

 しかし、この生徒は自ら当たりに来たように見えた。


「すいま――」

「こんにちは、箕島くん。」


 その女生徒は、悪びれもなく挨拶をすると、俺の腕を引く。


「どちらへ行くおつもりで?」

「図書館ですが、俺に何か用ですか?生徒会長」


 彼女は顔を上げると、何度か見かけたことのある、人を引き付ける笑顔で微笑んだ。


「図書館ですか、では私もついていきましょう」

「いやいや、生徒会の仕事は大丈夫なんですか?」

「問題ありません。それより、あなたは何を読まれるので?」


 暇なはずはないと思うが。何せ、彼女は言わずと知れた生徒会長、米澤よねざわ英理花えりかだ。人望はとても厚い。


「...最近は詩集ですかね。小説より軽く読めて、味わい深いものもありますので」

「あら、いいですね。なら、私のおすすめをいくつか見繕ってあげましょう」


 うきうきとしながら、会長は俺の前を先導する。どうしたんだこの人は。彼女との面識はないのに、突然待ち伏せられると、違和感を持つなと言う方が難しい。


「あの会長、なにか俺と関わりありましたっけ?」


 単純な質問をすると、会長はこちらを振り返らずに笑った。


「カンケイ?確かにそんなものはないですね。ですが、都合が変わりました」


 会長はコツコツとローファーを小気味良く鳴らして、図書館の前まで走って行った。


「箕島凪妬くんのことは存じておりました。家が要人の護衛を代々していること。そして、ことも。」


 俺は固まった。確かに秘密裏にやっているバイトではあるが、俺が依頼を受けた数は数少ない。契約にはこの営業情報を漏洩しないことも含んでいるのだが...


 俺が彼女を警戒すると、会長はそれを読み取ったように俺に近づいてきた。


「ですが、あなたは表舞台でその力を活かそうとはしなかった。学校であなたの話題は何一つ聞きませんでしたし、意味のある沈黙だと思っていたから、今まであなたとは関わりを持ちませんでした。」


 会長は、懐から豪奢な扇子を出すと、俺の前で開いて見せた。


「ですがあなたは今日、恋研に入部しました。大方、西野さんが無理矢理取り入れたんでしょうが、それでも、あなたが入部届けを出すとは思わなかった。これはなんらかの心変わりがあったと受け取っていいのでしょう?」


 なるほど、つまりこの人は俺に期待をしているのだ。『何に』なのかはわからないが。


「心変わり、と言うわけではありませんが、そうですね。強いて言うなら、あなたが俺を使うことはできます」


 彼女の理論は少し拡大解釈ではあるものの、ここまで俺のこと知っている人に楯突くのは危ない。


「ただし、これは弾んでもらいますよ?」

「これ?」


 俺が銭を指で形作ると、急に彼女はポカンとする。


「お金ですよお金。まあ、初回サービスは安くしておくので、ご贔屓にしてくださいね」


 今度は俺から会長の手を引いて、図書館の中に入っていく。会長は未だぼんやりとして、俺の言った言葉の意味を咀嚼できていないようだった。

 人は唐突に想定していない単語が出てくると、思考が止まってしまうと言うが、今、会長はその状態なのかもしれない。


「あはは、ふふふ。面白いですね、本当にあなたは面白い。」


 会長は何を思ったのか、突然笑い出す。しかし、美人と話すのは楽しいな。西野も容姿はいいが、品がない。学校では見事に隠し通しているつもりだろうが、あれだけ腹黒さが色濃ければ、隠しても滲みでると言うものだ。


『なんだか楽しいですね』と、釣られて笑いかけると、なんだか背中がゾッとする。俺は緩みかけていた感情に蓋をし、会長を本棚へ誘った。


「閉館まであまり時間は無いので、手早くお願いします」

「そうですね。本来ならばじっくりとお話ししたいものですが、仕方がありません。やはり、これとこれでしょうね」


 そして会長は、ゲーテとポーの詩集を取り出した。変わった趣味ではあるものの、彼女も相当な読書家なのだろう。参ったな、好みが似ている。金をくれるなら雇われると言った手前だが、これなら本の話題だけでこちらから茶会に誘いたいくらいだ。


「ありがとうございました。では、用があればいつでも言ってくださいね」

「それなら、連絡先を交換しておきませんか?」


 そんなことを唐突に言い出すと、会長は自分の携帯を俺に見せる。


「そんな、いいんですか?」

「何がですか?この方が都合が良いでしょう」


 そうして俺と会長は連絡先を交換し、会長は上機嫌に帰って行った。


「コレは、喜んでいいんだよな?」


 俺は心底驚いていた。高校に入ってから、誰とも連絡先など交換したことがなかったし、それに期待しないようにしていた。


「最初に交換した相手が会長だなんてな」


 確かに俺は会長に興味がなかった。関わることもないと思っていたからだ。尊敬、いや信仰の対象みたいな存在が、今日のように自分に接してくれることがあろうとは。


 俺も半ばウキウキとして、部室に荷物を取りに行った。戻ると西野が鬼の形相で待ちぼうけていたのは言うまでもない。

 

 

 


 


 






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