第8話 だから、初依頼は唐突に
朝五時に起きて、俺は支度を始める。
十五分で食事、十分のランニング。三分で着替えを済ませる。
「まあ、こんなところか。」
西野の家は、徒歩十分くらいだろう。普段は俺は自転車通学だが、今日は仕事なので、そんな甘えたことはできない。
こんな朝に被害に遭うことはまず無いと思うが、万が一にも対応するのが大切なのだ。
「じゃ、行ってきます」
そして、誰もいない部屋に挨拶をすると、部屋に物がないせいか、不気味に響き渡る。前料金で少し潤ったし、メダカでも飼ってみるのもいいかもしれないな。
〇
「やけに早いのね」
インターホンの奥で、西野はパジャマ姿のまま欠伸をする。
「朝六時と言ったのはお前だ」
「それはこう、雰囲気でね」
あはは、と若干苦笑いで西野は頬を掻く。
「第一今学校に行っても校門すら空いていないぞ」
「そうねえ、じゃ、朝ご飯とかどう?私のカルシウムたっぷりスクランブルエッグ、ご馳走してあげるわよ」
それは絶対卵の殻だろう。しかし、意外な発見でもある。てっきり料理も英才教育を受けているものだと思っていた。
「俺は食べてきたからいらん。あと――」
俺は近くの電柱に隠れている女子高生を連れ出して、インターホンの前に突き出す。
「こいつはお前のストーカーか?」
「ちょ、ちょっと誰ですかあなた。放してください!!」
どうやら俺たちと同じ高校の制服を来たツインテールの少女が、俺に吊るされながら喚いた。
「あら、
「はい、おはようございます、じゃなくて!この人誰ですか?佐奈ちゃんの彼氏さん?」
周防と呼ばれた少女は、慌ただしく訴える。
「嫌だ、彼氏だなんて、私たちはそんなちゃちな関係じゃないわよ。ねえ、凪妬くん?」
「変な誤解を生むような言い方はやめろ、ただのクラスメイトってだけだろうが」
「あら、酷い。昨日あんなに熱く私の助手になりたいと言ってくれたじゃない」
言い合えると、西野は俺にウインクをする。助け船、にしては心もとないが、まさか、こいつ本当に助手になれと言っている訳ではあるまいな?
「助手ってあの、
「そうよ。もうそろそろ助手も雇う時期かなと思ったのよ。周防さんも今日はその件でしょう?」
すると、周防はきょろきょろと周りを見わたし、それから俺は頭のてっぺんからつま先まで、じっくりとガン見したあと西野に聞いた。
「この人は信用できる人なんですか?」
「信用できるわ。だってお金払ってるんですもの」
西野は昨日話した内容をあっさりと話した。
「ええ!?いくらなんでもそれは...」
「西野、お前そんなに軽々と他人に話して――」
「他人じゃないわ。彼女はうちのお得意様だもの。他言無用と言えば守ってくれる。ねえ、そうでしょ?周防さん」
「ええ、まあ、佐奈ちゃんの頼みは断れませんが...」
苦渋の決断というように周防は項垂れる。こいつも西野に何か秘密を握られているんだろう。
「わかったならよろしい。周防さん、これが約束の品よ。」
すると、西野何やら清潔感のある小瓶を取り出す。
「そうね。二瓶で1200円ってところかしら」
たっか、一体何が入っているのだろうか。
「わかりました!ありがとうございます!!」
しかし周防はその瓶を見ると、目を輝かせる。
「おい、変な薬じゃないんだよな」
俺はそっと西野に耳打ちする。
「私をなんだと思ってるのかしら。あれは私特製の化粧水と、香水よ。昨日みたいなのは、オーダーメイドかつ、リスクも伴うから裏メニューなのよ」
裏とか表とか、本当に部活動なのか怪しくなってくるな。ただ、西野の言う通り、あの薬を売ったわけではなさそうだ。周防は、瓶の中の匂いを嗅いで幸せそうな顔をする。
「ところで、恋研ってなんなんだ?」
「そういえば、言ってなかったわね」
「恋研を知らないって、本当にうちの学校の生徒ですか?」
え、恋研ってそんな常識レベルで知られてることなの?本当に部活動の域を超えてないか?それ。
「この人、とっても浮世離れしてるから、仕方ないのよ。そうね、せっかくだから、正式名称を教えてあげましょう。恋研はね――」
「「恋ノ理論値研究会よ!」」
「…なんと言うか、酷いな」
西野の性格が全面に出ている名前ではあるが、中学生以下が聞いたらドン引きするレベルのネーミングだ。
「何が酷いのかしら、私が三週間かけて付けた名前に文句でもあるの?」
西野は突き刺すような視線を向けてくる。俺は何か的確なツッコミを入れられるわけもなく、両腕を挙げて降参の意を示す。
「まあ、私も最初聞いた時は胡散臭すぎて本当にあるのか疑いましたが」
周防は小声でこぼす。しかし、地獄耳の西野はそれも一瞥で黙らせる。やはり、周防も苦労しているようだ。俺は周防に少し親近感を感じた。
「じゃあ、周防さんも箕島くんが恋研に入ったことを広めてね」
「良いんですか?たぶん、『誰?』から説明することになると思いますが。」
おい、それを本人の前で言うな。別にいまさら気にしていることでもないが、真っ向から言われると少し傷つく。
「いいのよ。いえ、だからこそするべきだわ。彼にヘイトが向けばそれだけ私も動きやすくなるもの。」
どうやら、西野の頭の中では、俺が注目されて嫌われるところまで見えているようだ。
「西野。いくら金で雇っているからと言っても俺がいじめられたらどうしようもないぞ」
「あなたを虐める?そんなことができる人が本当にこの学校にいるのかしら」
西野は俺の涙の暴走を見て、武に関しては以上なほど信頼しているのだろう。何を根拠に、と言えば済む話かもしれないが、彼女が俺のことをどれだけ調べているかわからない以上、迂闊なことは言えない。周防もいるしな。
「わからないぞ、世の中には言葉のナイフってやつが普及しているからな。俺だって傷つく」
俺は今こそお前に虐められている瞬間なんだぞと言う意味を込めて、一睨みする。
「どうかしら、あなたを言いくるめられる人なんて、私以外にいるとは思えないけど。」
それがどうしたの、と言わんばかりの態度だ。自分の悪気を隠そうとしないところは、もはや尊敬できるが、目が怖い。横で周防が震えてるぞ。
「まあ、いいさ。約束は守る。だからもうそろそろ登校の用意をしろ。あと周防を逃してやってくれ」
「逃す?いえ、まあいいわ。ごめんなさい周防さん。長い時間引き止めてしまって。もう行っていいわよ」
「はい!いや、いいえ!!ありがとうございます」
西野が許可すると、周防は逃げ出すように去っていく。
「お前、友達いるのか?」
「あなたに言われたくはないわね」
去り際に、容赦ない言葉を飛んでくる。そう言うところじゃないのか。そういうところ。しかし、俺が抗議の視線を追撃しても、西野は当然の如く立派に足を踏み鳴らして家へ戻っていく。
「これは、参ったな」
西野は俺を助手として部に迎え入れ、それを公表するつもりとある。これは――彼女なりのSOSなのか?いや、俺も信じたくはないが、人を盾にするのは、人間の切迫した感情を表す暗示だ。
「あら、らしくもない考えるポーズなんかをして、どうしたの?何か悩み事?聞いてあげてもよろしくてよ?」
意味がわからないほどの速度で速着替えしてきた彼女を見て、俺はますます困惑する。
「いや、なんでもない。行こうか」
俺が紳士的な行動をするのを見て、西野も目を見開く。
何はともあれ、俺はこいつに興味を持つことにした。一体彼女はどう言う人間で、何を考えているのか。一見には全てを見抜けない西野佐奈と言う人の内面は深いのか浅いのか。知ってどうと言うことはないが、彼女は天才の域を超えた人間なのかは知っておきたい。それを見極めるのが今回の契約の目的であり、この契約が切れた時、俺は彼女への対応を決める。
おっと、俺がそういうサイコ味のある性格だと思われてはたまらない。
俺が評価をつけるのは、それが義務であり、契約だからだ。西野とは別の契約者、かつ、彼女よりも長い付き合いである。当然、契約金もケタが違う。
世の中、結局金なのだ。
○
「おはよー!西野さん。」
聞き覚えのある声がした、振り向けば、やはり、委員長だ。名前は
「あら、おはよう水無瀬さん。今日は機嫌が良いわね。なにかあったの?」
「いいや?別になんとも、私は西野さんの元気そうな顔を見られただけでご機嫌よ!」
そう、水無瀬もとい委員長は、とにかく明るい。誰かれ構わず話しかける癖があるようで、外部生ではあるものの、俺になんの偏見もなく話しかけてきたのは後にも先にも彼女のみだ。
「今日もかわいいね、西野ちゃん。」
今度は前方から背の高い生徒、ではなく教師がカツカツとハイヒールを鳴らしながら歩いてくる。
「あら、
「そうね。おはよう、水無瀬さんも西野ちゃん、それから、箕島くんも。」
彼女は新任の先生だが、生徒との距離の近さであったり、屈託のない話し方から、生徒に人気の先生だ。三谷原先生の笑顔は周りを二次元から現実に引き戻し、誰にでもそれを平等に見せるため、同時に男どもに夢を見させる。ついたあだ名が魔女だ。
「おはござです」
俺には眩しくて目も当てられない。挨拶には小さく返すと、そそくさとその場から立ち去ろうとする。
「ちょっと待ちなさい。」
西野が俺の肩をつかむ、おのれ、片手で俺を止めるとは、一体握力幾つあるんだ。
「彼、私の部に入るんですよ。ということで、先生、彼の入部届を下さい。」
「え、そうなの?」
彼女が素っ頓狂な声を上げると、周りの通行人も俺の方を見る。
「ええ、不本意ながら――」
「これは特大スクープだわ、カメラを回さないと」
三谷原先生は、お洒落な鞄には似合わない無骨なトランシーバーを取り出すと、誰かと連絡を取り出す。そう、彼女は新聞局関係者だった。
二十秒としないうちに、腕に新聞局とつけた同級生らしき人物がこちらへ走ってくる。
「先生、本当ですか?あの恋研にセカンドメンバーができるなんて…」
「ああ、どうやら私たちは歴史的瞬間に立ち寄ったのかもしれないわ。よし、これは、夕刊に乗せましょう。今から局へいくわよ!」
「え、もう朝礼まであんまり時間が――」
冷や汗を流しながら、その少年はメモを取る。よくこの理不尽に耐えているものだな。ご愁傷さまだ。
「おっと、私ったら、先に素材よね。はい、二人とも、並んで並んで!」
先生は、俺と西野を並ばせると、少年からデジカメをひったくる。
「ちょっと先生、それは俺の肖像権が許さないんですけど」
「私が許すわ」
あなたは私の所有物だとでもいうように、西野は不敵に笑う。
「そうねえ、何かポーズして頂戴」
「いいわね、箕島くんは手と膝をついてちょうだい。私が上に座るわ」
「名誉棄損で訴えるぞ」
ああでもないこうでもないと言いながら、結局俺はしゃがんで、西野は立ってピースをするという形に収まった。どうしても、西野は俺が自分より下に映っていないと気が済まないらしい。
「じゃあ、これからの活動について一言どうぞ」
いつのまにか、映像局の少年は熊のついた目をパッチリと開き、光のある視線をこちらに向けていた。
「そうですね。これからの活動内容は、以前と変わりませんが、いっそう精進して参ります。これからも恋研をご贔屓に!」
笑顔で西野は言い放つ。特に内容もないのに人を惹きつけるのだから、声と容姿の説得力は憎たらしい。
「じゃあ、はいはーい!」
俺たちを見ていた群衆の中から、元気よくと手が上がる。
「はいはい、何でしょうか?」
西野は釣れた釣れたと言わんばかりの形相で、手を挙げた人に詰め寄る。
「依頼よ依頼。今日の放課後寄らせてもらうから、予約していーい?」
「いいですよ。お名前は?」
「1Dの
それだけ言うと、その人は友達と思われる人との会話へ戻る。
「マジか、俺がおかしいのか、もしかして」
この圧倒的な人気と、依頼の手軽さ。もはや、この部活は、ある種の公共機関になりつつあるのかもしれない。
俺は漠然としていると、背中に痛みが走る。
「何ボケっとしてんのよ。これからよ、これから。初依頼なんだからちゃんと完遂しなさいよね」
「俺がやるのかよ」
「当たり前でしょ。私は今日ピアノと書道とバレエの習い事があるの」
だから、失敗したら減給よ。と言い残して、西野も教室へと駆けていく。
「無責任なやつだな」
俺は、目の前をひらりと落ちた桜の花弁を静かに踏みつけた。
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