第6話 だから、俺は混乱する


 家の中は大きなお屋敷であった。一体何に使うのかと思うほど部屋が多く、案内が居ないければ瞬く間に遭難するだろう。庭は日本庭園で、鹿威ししおどしがどこからか無機質な音を立てていた。


「へえ、あなたが凪妬くん?」


 もう何分歩いただろうか、なぜか階段を上がったり下がったりしたあと、それはもう奥の間に西野の母はいた。


「そうですけど…?」


 お茶はでないのか、ここ。エアコンはもちろん扇風機すらなく、しかしながら汗一つかかない一同を見て、俺は自分が何か変な空間に迷い込んだのではないかと混乱した。 


「言い忘れましたね、私は西野佳代にしのかよと云います。今日は娘が随分とお世話になったようでありがとうございます」


 そういって、佳代さんは頭を下げる。どうやら、お母さんはいい人らしい。子とは雲泥の差である。


「いえいえ、あんなこと何でもないですよ」


 俺は云いながら苦笑する。人に感謝されたのも何年振りかわからないから、返し方がわからないのだ。


「それで、あなたたち、逢瀬の予定は立てたのかしら?」

「「は?」」


 前言撤回、雲行きが怪しくなってきた。


「ちょっとお母様、何よいきなり」

「何よってあなた、私はあなたが高校生になっても恋人の一人も作らないものだから、心配していたのよ」


 そして、佳代さんは微笑みながら楽しそうに手を振る。


「怖い冗談はやめてくださいよ」

「そうよお母様。いくら私が縁談を受けないからって彼にするはおかしいわ」

「まあまあ、物は試しよ」


 そう言って、はウインクする。一体何を試すのだろうか。


「残念ながら、俺にそのような意思はないので、お断りさせていただきたい」

「ええ!!そうなの?佐奈」


 佳代さんは驚いたように西野を見る。


「当り前じゃない、私だって嫌よ。それより、お母様、あれを」

「あら、あれを使うの?やっぱり――」

「そんなんじゃないわよ!早く」


 すると、何やら飲み物らしきものとコップが運ばれてくる。西野はそれをニヤニヤしながら、俺に差し出す。


「喉が渇いてるでしょ。これを飲みなさい」

「ちなみにこれはなんでしょうか?」


 聞くと、西野はこれまで見たことのないような笑顔を浮かべる。


「ちょっと甘いジュースよ」

「嘘つけ」


 俺はそのコップを受け取ると、匂いを嗅ぐ。

 確かに柑橘系の香りはするが、それだけではない。これは――


「睡眠薬入ってるだろ、それもかなり」


 すると、二人は大きく目を開く。


「へえ、さすが」

「どうしてわかったのよ!あなた何者?」


 毒味の練習で何度も使った、とは言えないよな。俺は咳払いした。


「それよりも、お前、俺にこれを飲ませてどうするつもりだ?」

「ちょっと、サンプルが欲しかったのよ。あなたぐらいの歳のモニターがいないものだから、ちょうど良いと思って」


 やはり、こいつはどこか頭のネジが外れているようだ。


「断る。そもそも睡眠薬なら、誰に飲ませても寝るだけじゃないか」

「やだなあ、私がただの睡眠薬なんて作ると思う?そんなものしないでしょ」

「じゃあ、これは何だ?」


 西野はニッと笑ったまま動かない。


「それは企業秘密なの。ねえ、お願いだから、飲んでくれない?」

「無理だ。そんな得体の知れないもの飲んで堪るか」


 融通の利かない人間なんだ。俺は、「それでは」といって、来た道を引き返す。


「あら、タダじゃ返さないわよ」


 すると、佳代さんは不敵にほほ笑む。そして、俺の周りに黒服の人が集まってくる。


「あんたらは、さっきの!」

「やあすんませんねえ、兄ちゃん。騙すようなマネして。でも大人の事情なんすわ」


 ヤンキー八号が俺の肩をつかむ。これはつまり、一連のことはこいつらの企みだったと云うことだ。


「どういうつもりだ?」

「ごめんね。あとでお金は振り込んどくから」

「そういう問題じゃ…てかなんで俺の銀行口座知って――」


 パニックになった俺をよそに、西野はその液体に指を入れる。


「はあ、もういいわ。岩澄、やりなさい」

「わかりました」

「申し訳ないが、俺は老いぼれに気絶させられるほど弱くもないぞ。」


 後ろから来た腕を左手で掴み、姿勢を低くして右肘でちょうど心臓を思い切り突いて、後ろへ吹き飛ばす。


「まあ、そうなると思っていたわ。けど――」

「む、んんん!」

 

 西野が俺の口に指を突っ込む。


「安心して、ネイルはしてないし手は洗ってるわよ」


 何かしようと思ったが、一瞬、何もできなくなった。体が西野へ暴力をふるうことを拒否したように、動かなくなった。


 意識がすぐに薄れていき、一瞬で深い闇に落ちた。


「もうちょっと考えてくれてもいい…わよね。」

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