第4話 だから俺は、その女を救ってしまう。
ある日曜の昼間、俺はいつも通りバイトに出かけた。
この日のバイトは家から遠い。
しかし休日であるが故、移動する時間も確保できるのである。
それにこのバイトは時給がいい。
高校生で時給1200円は素晴らしい。ま、肉体労働がかなりあるのだけれど。
それでも、俺は家庭教師なぞと云うものが苦手だから、これはいい部類になるのである。
そのバイトに行く途中、俺はある狭い路地を自転車で少しゆっくり走っていた。
そこでは日常茶飯事のように、キャッチセールスが行われている。
と言うのも、ここは南区に渡るための近道で、ナビでもなぜか大通りよりも優先される。
本当にこんな道で合っているのかと、路頭に迷った人々はヤンキーに捕まって変な壺を買わされるのである。
どうせ人を引っかけるなら金も撮った方がいい、なんてヤンキーも現金になったものだ。これがただのナンパなら鼻で笑えるのだが、微妙にアウトなラインであるので関わりたくないと感じさせるのである。
それならば、彼らの邪魔をせず、さっさと立ち退くのが身のためだ。
今日も相変わらずヤンキー達は女の人に話しかけている。こんな暑い昼間からやってるとかすごいな、と思ってしまう。
「ねえ、君名前なんていうの?連絡先教えてくれない?」
ハ、こんな聞き方でひっかかる女がどこにいる?そんなんだからいつまでも――
「え、名前は西野佐奈ですけど……」
はは、よかったなヤンキー八号。
そのバカな女をつれて、もうここに来ないでくれ…
祝福してさっさとこの路地を抜けようとしたところ、
少しその名前を聞いたことがある気がしたので、引き返してその顔を見に行った。
ああ、見たことある。確か、高校受験勢の同級生?
どこのクラスかは忘れたけど、美人やなんやとうるさくクラスメイトが言っていたので覚えている。
その時は同じ高校に美人がいるというだけで浮かれていたが、
このバイト尽くしの生活が始まってからはそんなこと忘れていた。
話したことも当然ない。
まあ、あいつがバカだったということを知れただけでもいい発見だ。
どうせ現実では美人なんてしょうもない人間なのだ。
さて、こんなところで道草を食っていても仕方がない。さっさと――――
「なあ、そこの兄ちゃん。あんた、いつもここ通ってるよなあ?」
えっと、誰に言ってるのかな、ヤンキー八号?
周りに男はいない。もしかしなくても俺に言っているのだろう。
あ、まずい。
「そうですけど…、なにか?」
「あんたさあ、写真とかとってサツに渡してたりしないだろうなあ?」
うおお!今時『サツ』っていう人初めて見た、とある種の感動を得た。
「撮ってませんし、警察にも言ってませんけど?」
「じゃあ、ちょっとケータイ見せろや。」
ええー、ほんとに撮ってないんだけどなあ、これでスマホ掏られたりするのか。
巧妙すぎて最早詐欺師である。
「わかりましたよ…、どうぞ?」
「えらく素直じゃねえか、それか別にスマホ持ってんのか?」
ヤンキー八号そんなに頭使えるのか。だが、本当に撮ってないし、そんな金ないんだよなあ…。
「え、俺貧乏なんで、持ってないですよ。」
「証拠はあんのかあ?」
ないんだよなあ、最強だよなあ、この流れ。
俺は目の前の理不尽に対して溜め息を吐く。
「ないですけど…」
「チ、お前ら、こいつは黒だ。とっつかまえて吐かせろや!」
すると、周りの茂みや塀から、十数人のヤンキー仲間が出てくる。
どこから湧いてきたんだかわからないが、事前準備が良すぎるな。
しかし、こんなことを思っていても、現実は大分不味い状況である。
俺は仮面ライダーではないので、絶体絶命である。
すぐに逃げるのがいいのだが…。
問題はこのバカ女である。
こんなところに置いて逃げたと知られたら、噂でも九割方俺が悪者として祭り上げられるだろう。先生の耳にも届くかもしれない。それだけは避けなければいけないのだ。
しかし、ここまで脱線した俺のスケジュールは再起不能であることも事実である。
俺の完成された秒刻みのスケジュールが。店長に挨拶して七時間働く有意義な時間も、それによって賄われる俺の私生活も。
しだいに俺の中に怒りが溜まっていった。おのれヤンキー八号、どうしてくれるんだ。今日働けば、八千四百円が手に入ったのだ。電球を変えられたのに、当分は食卓を彩ってくれるであろう塩鮭を買えたのに、そして、少し贅沢な茶葉を買えたのに。
お前が払ってくれるんか?
ひえぇ、とヤンキーの一人が怯える声が聞こえた。
「なあ、あんた、今日は朝何食った?」
俺は近くに立てかけてあった工事用の支柱を持った。これは薙刀の自主練の時によく使っていたから手に馴染む。
「なにって、そりゃパンとかだろ」
「パンか、いいよな、甘くて。でも俺は一杯の
それを聞いて何故かヤンキーたちは仰け反る。
「すまんな、このところ鬱憤が溜まっていたんだ。手加減はしないがいいよな。君らが吹っ掛けてきたんだから」
答えようとしたヤンキー八号の首筋を鉄の支柱が掠めた。
もうどうにでもなってしまえ。
俺は好きで独りになったわけではない一匹狼のように、悲しく吠えた。
〇
数分後、そこにはもう俺とバカ女しか立っていなかった。身の危険を感じた者たちが一斉に逃げ出したのだ。
俺と彼女は目を見合わせた。いまだ不満が抑えられていない俺の顔を見ると、彼女はニヤリと笑みを浮かべ、そして声を上げて笑った。
「なかなかやるじゃない、箕島くん?」
なんでこいつ俺の名前知ってんの?自分で言うのもなんだが、俺のことを知っている人間は、校内に数人しかいないはずだ。
「不祥事だ。それに、ここで見たことは忘れろ。それぐらいの恩は売ってやったはずだ」
「ええ、箕島くんがとびきりの貧乏だってことは、みんなには黙ってあげるわ」
「言うな。哀れみの目を向けるくらいなら金をくれ」
すると、西野は財布を取りだす。
「やめろ、冗談だ」
「…あなたの場合、冗談か本当かわかりにくいのよ。それに別にいいわよ。危機を救ってくれた仲だもの、下人に給料を払うのも、やぶさかではないわ」
そういって、俺に諭吉を差し出す西野。そして俺は無言でそれを掠め取る。
「ほんと、現金ね」
「仕方ないだろ、生活が懸かってるんだ」
俺は慎重に財布に諭吉を保存してから、バイト先へ謝罪のメールを送った。
すると、不意に西野は俺の自転車に腰掛ける。
「せっかくだし、家まで送ってよ。私、さっき怖くて、腰が抜けちゃった」
甘い声で囁く彼女は、ぜんぜん不調そうではない。
「いやだ。俺はもう疲れた、これ以上は――」
「諭吉、渡したわよね?」
俺は素早く運転席に座る。
「ええ、どこまででしょうか、お客様」
「とりあえず、南区の三丁目まで行ってもらおうかしら。」
またニヤリと笑いながら、美女の悪魔は言う。
なんて性悪だ。これを俺が拒否できないことを知ってて言っている。
「いいわ。…そういえばあなたも向こうから来たってことは、箕島くんもあっちの地区に住んでるの?」
こいつ、鋭いな。まあ、同級生だしいいか。
「ああ、そうだが?」
「ふふ、そうなんだ。」
「気持ち悪いな、その笑い方どうにかできないのか?つかなんで俺の名前を知ってる?」
「あら、これは魅惑的な笑みというのよ。男ならだいたいは堕ちてくれるのよ?
それから、あなたの名前ぐらい知ってるわよ。有名じゃない。『倫理観ゼロの箕島くん』それに私は同じ学年の子は全員顔と名前を憶えているから。」
酷いあだ名だが、まだ名前で呼ばれているのはいいことだ。
こいつを家まで送って、バイトはさぼりかあ…。
最悪だな、ついてねえ、どうしちゃったんだよ、今日は、ほんとに…。
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