第589話 国境をこえて

 船を降りて以降は延々と陸路での旅だ。ウンガス王国にきたときの道を逆に辿っていくが、旅程は全く逆に考えればいいというものでもない。

 私たちの立場も変わったし、何よりもオードニアムとヨドンベックの子どもも連れているため、野営は本当に何かあって町への到着に間に合わなかった場合のみの手段だ。


 天気が私たちの都合に合わせてくれるわけでもないし、雨で泥濘ぬかるんだ道は馬車の進みも遅くなる。


 ヘージュハック侯爵の城に着くまでに五日かかり、さらに東進してセデセニオ伯爵の城に立ち寄りミュウジュウ侯爵の城に着くまで十一日を要した。


「あと、どれくらいあるのですか?」


 いいかげんにうんざりした様子でオードニアムの側仕えが尋ねてくるが、バランキルの王都まではまだまだ長い。


「近いところから説明すると、ここから国境まで約四日、山を越えるのにまる一日を要する。その後、ブェレンザッハの領都までさらに八日。王都はそこから七日だ。」


 合計すると残り二十日だ。

 天を仰ぎ、悲嘆にくれたような声を上げられても、旅程の短縮はできない。私とジョノミディスだけならば空を翔けていけば二日程度でブェレンザッハの領都に到着できるだろうが、他の誰も同じことはできない。


 もっとも、辛そうにしているのは側仕えだけだ。騎士はもとより長期の遠征など慣れているし、ネゼキュイアの侵攻に際して今と同じ程度の期間のほとんどを野営で過ごしたりもしている。


 それから比べれば、最低でも小領主バェルの邸に泊まっている限りは弱音を漏らすこともない。


 ミシュレアスとキャノメルの二人も意外と大丈夫だ。道中に魔法の訓練を繰り返し、確実に上達している自覚もあるからだろうか、毎日意欲的に頑張っている。


 そんな彼らも、どこまでも続く山脈が近づいてくると不安そうな顔を見せる。山麓の町ディノアムにまできたら、当然のことだが山はもう目の前を見上げるものになっている。


「思っていた以上に険しいですね。本当に越えられるのですか?」

「私たちもここを越えてきたのですよ。」


 馬車が登っていけるようにも見えないのだろう、騎士も不安そうな顔をするが道はちゃんとある。とはいえ、今は山の上半分ほどは白く雪に覆われたままだ。雪を除けながら進むことも考慮すべきだろう。


 ディノアムの町を出て山に入っていくと、道は細く悪くなっていく。それでもポルプニの町までは、普通に通れる道だ。通行するものもあるし、整備が全くされていないわけでもない。


 問題は、ポルプニを越えて以降、アーウィゼに着くまでの区間だ。国境の山はウンガス王国もバランキル王国も領土の主張をしておらず、責任をもって道を整備する者はない。

 私たちがウンガス王国に来た頃は、国境の道を塞いでしまった方が良いと主張する者も少なくなく、道の整備に割く予算の話をするどころではなかったくらいだ。


 進んでいけば、案の定、巨大な水溜まりができていたりする。


「さて、訓練の成果をみせるところですよ。」

「こんなところで何をするのです?」

「水を吹き飛ばしたうえで、泥濘ぬかるんだ道を乾かし均すのです。」


 まず、飛礫つぶての要領で飛沫しぶきを横の森に向けて飛ばしてやる。私が数回やってみせれば騎士たちもすぐにできるようになる簡単な魔法だ。

 それをミシュレアスとキャノメルの腕を通して使うことで伝えてもらうが、そのころには水溜まりの水はすっかりなくなっている。


「飛沫は次の機会ですね。火の魔法で地面を熱し、風の魔法で乾かすのはできるでしょう?」


 手本を見せれば、どの程度の火球をぶつければ良いのか分かるだろう。周囲の森を焼いてしまわないよう、威力やぶつける位置に注意しなければならない。それらは今までの訓練が身についていれば問題なくできるはずのことだ。


 教えてやったとおりに二人が火と風の魔法を繰り返してやれば、濡れた地面は急速に乾いていく。数十歩にわたる広さのあった水溜まりだったが、一時間もせずにきれいになくなり馬車での通行も無事にできるようになる。


「馬で先行して、水溜まりを処理していきましょうか。その都度待っていたのでは、時間がかかりすぎてしまいます。」

「馬で先行ですって? そのような雑務をミシュレアス様にさせるのですか?」

「では、其方そなたたちがやるか? 進みを最も遅らせたくないのは其方そなたらと思っていたが。」


 私の提案に側仕えは何故か難色を示したが、騎士の方は山の中での野営はできるだけ避けたいと意見が一致しているらしく、子どもや側仕えが泥濘の処理をすることには肯定的だ。


 対して、側仕えは騎士がやれば良いというが全く周囲の状況が見えていない。情報としては事前に与えてあるはずなのだが、外に全く出ないと、ここまで思考が硬直化するものかとも思う。


 騎士がしない理由は、早く山を抜けたい理由と同じだ。


「この山の中はウンガスの土地でもバランキルの土地でもない。強いて言うならば、魔物の土地だ。」


 端的に説明してやっても分からないのは、ここまで魔物の襲撃らしい襲撃がなかったからだろうか。船の上で私たちが撃退してやったこともあったはずなのに、それは見ていなかったのだろうかと少々呆れてしまう。


 ミシュレアスとキャノメルの二人は、役に立てるなら役に立ちたいとのことなので、最終的には揃って出てもらうことになった。


 途中でウンガス側の国境関門を越えて延々と山道を進んでいけば、大小の水溜まりに出くわす。そのたびに水を吹き飛ばし地面を乾かしていけば、馬車も順調に進んでいける。


 予定通りに峠を越えて一度野営をし、翌日にもさらに峠を越えて東に行けば夕方にバランキル側の国境関門に到着した。


「やっとここまで来たか。」


 懐かしさにブェレンザッハの騎士たちは顔を綻ばせるが、ここの宿泊設備は貧弱だ。基本的には常駐している騎士のためのものであるため、ベッドの数も多くはない。

 全員がベッドを借りれるはずもなく、子ども二人の他は関門の脇で野営を張ることになる。


 翌日にはグィニハシを抜けてスゥミガシへと至る。山の中にあるやたらと開けた草原に首を傾げる者もいたが、ウンガスの侵攻で滅びた町の跡地だと告げれば揃って表情をこわばらせる。


「建物の影すら見当たらないのだが、一体何があったらこうなるのですか?」

「朝に通ってきたグィニハシもそうだが、ここのスゥミガシを滅ぼしたのはウンガスの騎士だ。町の建物だが、そのウンガスの騎士と一緒に岩の魔物に踏みつぶされた結果がこれだ。」


 恐る恐る尋ねてきた騎士だったが、予想外の答えに目と口を大きく開く。

 バランキルに攻め入った騎士が魔物に殺されていたとは彼らも聞いたことがなかったのだろう。私たちも敢えてそんなことを広く喧伝したりはしていない。


「ずいぶんと聞いていた話と違うのですな。」

「いや、むしろどのように聞いていたのだ? あちらにいた頃はあまり話題にもしづらくてよく分かっていないのだ。」


 王宮内では、侵攻のことは話題にしないのが暗黙の了解となっていたし、最近ではどのような噂になっていたのかなどもほとんど知らない。改めて聞いてみると、寝返った部隊があるだの、奴隷として使われているだのと事実と全く異なる話が吹聴されているらしい。


「まさか、魔物によって全滅したとは考えたこともありませんでした。」

「魔物の使役術などというのは役に立つものではなかったということか。」


 がっくりと肩を落とす騎士が多いが、今の話はブェレンザッハ側に攻めてきたウンガス軍の話だ。イグスエン側の話は少々異なり、ほぼすべてのウンガス騎士を撃滅している。


 いずれにせよ、ウンガスから寝返った騎士の話なんて聞いたこともないし、奴隷として使えるものとも思えない。死ぬ気で頑張れば杖も何もなしに魔法を使うことはできるのだから、奴隷としても簡単に叛乱を起こされるだろう。

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