第588話 船旅
春の船旅は順調だ。天気が悪いと揺れるし寒いしで辛いのだが、空は晴れ水面にさしたる波もなし。帆を大きく広げた船は、滑るように水面を走っていく。
船が動きだしてからは
一発の威力を上げたり届く距離を延ばしたりなどと欲を言えばきりがないが、まずはしっかりと思い描いたとおりに制御できるようになることだ。
「お手本を見せますので、威力、速度、そして軌道を可能な限り同じになるように撃ってみてください。」
非常に懐かしい訓練だ。私も七歳くらいの頃に母や姉に教わって、そっくり同じように撃てるようにと頑張ったものである。彼らにも真似ができるよう、威力を抑え速度も落とし、左へと少し曲げながら川面に水の球を放りこむ。
ばしゃん、と
「えいっ!」
「はっ!」
かわいらしい掛け声で水の球が飛んでいく。が、私の放ったものと同じようにとはいかない。大きさも速度もてんでばらばらだ。
「大きさを合わせるところから始めた方が良さそうですね。」
そう言って小さめの水の球を横に浮かべてもう一度やるように促してみても、二人とも不満そうに口を尖らせる。
「そのように威力を抑えたのでは魔物を退治できないのではありませんか?」
どうやら、彼らは「はやく強い魔法を撃てるようになりたい」と思う種類の子であるようだ。男の子にありがちではあるのだが、しっかりと制御できるようにならないと強い魔法を教えるわけにもいかない。
「火の魔法は延焼しないよう、威力や狙う場所には細心の注意が必要ですよ。過剰な炎で森ごと焼いてしまうようでは困ります。強力な魔法をただぶつければ良いというものではありません。」
森に隠れている魔物を脅して追い出してみたり、周囲には傷をつけないよう障害物だけを破壊することもある。その時に威力の調整ができなければ、計画は失敗に終わるだろう。
実際の魔物退治は強力な魔法で蹴散らしていくことの方が多い。しかしそれでも、領主一族がそれしかできないのでは困るのだ。
「そもそも、一人の魔法だけでは倒せない場合もあります。五十匹以上もある魔物の群れや反乱軍を相手にする場合などだ。」
多数を相手にする場合、部下や仲間と並んで敵を撃つのが基本だ。そのときに他者と合わせることもともなく各々が勝手に攻撃するのは、敵に逃走や反撃の機会を与えるようなものだ。
下手をすれば同士討ちを引き起こす可能性もあるし、極めて意義の低い戦い方であるだろう。
そう説明しても、納得したくないような顔をするが、これに関してはしっかりと理解しておかなければ先に進むことが許されない。魔物を退治するときに部下を巻き込んだり、群れの大半を逃がしてしまったりすればついてくる部下はいなくなるだろう。
「ティアリッテ様は、わずかな人数で大部隊の足止めをしたと聞いています。それはどのようにしてやったのですか?」
「それは罠や奇襲を用いるのが前提なのですけれどね。魔物退治でも同じことをするのでお見せしましょう。」
口で説明するよりも、実際にやって見せた方が分かりやすいだろう。杖を握り、大きく右から左へと振る。
八十ほどの水の球が壁のように連なって二百歩先まで飛んでいけば、騎士たちからも驚嘆の声が上がる。一つひとつの大きさは先ほど手本として見せたのと同じくらいだが、数を束ねれば脅威となりうるのが一目瞭然だろう。
「このように魔法を並べて、敵を抑え込むのです。私は一人でできますけれど、多くの騎士は十数程度しか撃てませんので何人も並ぶことになります。そこで隙間があれば敵の突撃を許してしまうことになりますし、それに対応すれば壁の維持も難しくなってしまうこともあるでしょう。」
一発の威力が弱くても、並んでいるから脅威なのだ。それができれば敵を近づけさせないことは難しくない。もっとも、互いにそれをするから戦局が硬直化しやすいのではあるが、それは今の説明には不要だ。
納得してもらったところで、二人の訓練を続ける。今はまだ水の球を一つずつしか撃てないが、そこは地道に訓練を繰り返してできることを増やしていかなければならない。私だって彼らくらいの年齢のころは、やはり一発しか撃てなかったのだ。
昼から始めた訓練だが、続けていると夕方に港に到着する前にミシュレアスもキャノメルも魔力も体力も尽きてしまう。これも、自分の経験を振り返ってみれば普通のことだ。
「二人とも、よく頑張ったな。」
「素晴らしい上達ぶりです。」
「そのようなお話なのですか? 貴族らしく振舞っていただかなければ困ります。」
ジョノミディスや騎士たちは子どもたちの頑張りを褒め労うが、背筋を伸ばして立つこともできない状態に側仕えたちは不満そうに眉を寄せる。しかしそれは、魔物退治に出ることのない立場だから言える、非常に身勝手な言葉だ。
「敵を打ち倒すためには品格などと言っていられぬこともある。少し疲れたからといって休んでいては訓練にはならぬだろう。万全ではないときにでも勝利をもぎとれる強さこそが領主一族に求められることだ。」
相手が魔物でも侵略者でも、負けてしまったのでは話にならない。領地を守るためには、何が何でも勝たねばならない。
ミシュレアスとキャノメルの後ろで騎士たちは真剣な顔で聞いているが、戦いから外れてしまった側仕えたちにはどうにも響かないらしい。どう言えば理解を得られるか悩ましいが、理解されなくても構わないかとも思ってしまう。そもそも彼らは、戦いには向かないと判断された者たちだ。
「ティアリッテ、その話は後で良い。」
ジョノミディスが割って入ってきたのは、川上に魔物の気配を感じたからだろう。水中の魔物の気配は分かりづらく、気づいたのは私とほぼ同時だ。おそらく水底から浮上してきたのだろう。
「大型の魔物だ! 揺れに備えよ!」
「魔物だ!」
「取舵転進! 最大まで加速しろ!」
ジョノミディスが声を上げると同時に、船首の方からもいくつもの怒号が重なる。
水夫がばたばたと走り回る船の通路を駆けていくのも難しいため、私とジョノミディスが帆の上を通って前へと急ぐ。
「もうすぐ港だというのに、どこからやってきたのだ?」
「考えるのは後です。被害が出るまえに叩いてしまいましょう。」
今までならば魔物がこちらの攻撃圏に入ってくるまで待つしかなかったが、既にジョノミディスも自在に空を翔けられるようになっている。上から魔力の塊を投げ落として注意をひきつけ、さらに雷光を雨のように降らせる。
水の中にいる相手には効果が期待できないが、水面から頭を伸ばしてきていれば
二匹が盛大に
「支えてくれ。」
言ってジョノミディスが使うのは渦の魔法だ。風を集めて巨大な旋風を作りだすのと同じ要領で水の流れを作り出せば、魔物はその流れに逆らおうとする。
地上の生き物が強風を受けたときに、ぐっと身構えるのと一緒なのだろうと思う。
無視して全力で逃げようとすれば、おそらく可能なのだろうとも思う。
しかし、わずかな時間だが動きを止めてしまうのだ。
あとは爆炎で水を吹き飛ばし、露出した魔物の胴に雷光を叩き込んでやるだけだ。
ジョノミディスがさらに力を込めて魔物の死骸を東の岸に押し流すように水を流してやれば、西側へと回避に動いている船に衝突することもない。
「死骸の処理まではできぬが、退治は完了した。」
船に戻るとミシュレアスとキャノメルを連れて船長へと報告をする。これに不満そうな顔をするのは側仕えだけではない。
騎士ですらも、こちらが出向くのではなく船長を呼ぶべきだと主張する者もある。
「陸に上がってからの報告ならば、呼びつけるので良いだろう。だが、ここは水の上だ。そして彼らが動かさなければ、船はどこへ行ってしまうか分からぬ。」
船というのは大部隊での行軍に似ている。あれこれ行動の制限が多く。とても不自由で融通がきかない。進むにも止まるにも、向きを変えるだけでも大騒ぎしてやっとできる。
隊長が急に持ち場を離れれば、部隊の統制に支障が生じるだろうことを考えれば、船長も同じであると認識しておいた方が良い。船があらぬ方向に進んでいき壊れたり遅れたりすれば困るのは乗っている私たちなのだから。
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