第294話 ブェレンザッハの歓迎

 日々を忙しく過ごしていると、あっという間に三ヶ月は過ぎてしまう。

 食料生産量は昨年までよりも減らしているが、その分だけ塩の生産量を増やすことに力を入れることになっている。


 産業の転換というのは単純にそこに人を回せばそれで済むという話でもない。必要な道具も揃えねばならないし、運搬経路や取り扱う商人も必要だ。ただ民や海辺の小領主バェルに指示をしただけでは、間違いなく失敗する。


 橋や港の守りの石に魔力を補充して回りつつあちらこちらと調整を繰り返し、夏が近づいて来た頃にやっと人や物が揃い増産体制が整った。しかし、その出荷を見届ける前に私の出発の日がやってきた。


 私のやるべき仕事はできたと思う。結果を見ることができないのは残念だが、あとはフィエルや兄姉に任せるしかない。




「寂しくなるな。」

「フィエルも早く婚約者を決めてしまうと良いですよ。」


 私にとって双子の弟フィエルナズサが最も近い存在であったように、彼にとっても私は似たような位置付けだったのだろう、随分と沈んだ顔を見せる。


 生まれてからずっと隣にいたフィエルと別れるのは寂しいことではあるが、遅かれ早かれそんな日は来るものだ。いつまでも姉弟が最も近い存在とは言っていられない。フィエルだって、いずれは結婚して子どもももうけることになる。


「では行くぞ。」


 父の言葉に、私は馬車に乗り窓を開けて手を振る。この城にはもう二度と来ることがない、ということもないだろうが、少なくとも二、三年は来る暇などない予定だ。


「結婚しに行くのだ、嬉しそうな顔をしたらどうだ。」

「無茶を言わないでくださいませ、お父様。この城を、エーギノミーアを出ていくというのはやはり寂しいものです。私だってこの土地に愛着があるのですよ。」


 私がこの地で生まれ育ったの僅か十四年だ。父の半分にも満たない年月だが、私の生活の大半はここにある。離れるのが寂しくないはずがないだろう。


「土地を大切にし、その土地に誇りを持つのは、貴族として、領主一族としてとても重要なことだ。それ自体はなんら責められる謂れのないことだ。しかし、ブェレンザッハでそのような顔をすることは許されぬぞ。」

「心得ています。今だけは振り返らせてくださいませ。どんなに悪くとも、王都から先はブェレンザッハを見ていきます。」


 私がそう言うと、父は僅かに口元を歪めた。どうしてだろうと思ったが、父はすぐに口を開いた。


「そうか、ファーマリンキへ行く妹を見送ったときとは違うのか。」


 父の妹、つまり私からみると叔母にあたる方が結婚によってファーマリンキに移動している。その時は、やはり私と同じように言われていたらしい。だが、八日あれば着くファーマリンキと、最短で十四日を要するブェレンザッハでは気持ちの切り替えにかけることのできる時間が全く違う。


「もう、ほんの数日だけ甘えさせてくださいませ。」


 私がそう言うと、父は大きく溜息を吐きつつも「これが最後だ」と頭を撫でてくれた。



「この景色も様変わりしたものだ。」


 流れゆく景色をぼんやりと眺めていると、父がそう言う。私はほとんど覚えてもいないが、畑も森も今ほどの緑の濃さはなかったらしい。父が生まれた頃には不作に悩まされており、それ以前の状態は父も知らない。


 この土地をもっと豊かにしたいという思いはあるが、それはもう諦めなければならない。その代わりにブェレンザッハを発展させていくのがこれからの私の仕事だ。


 一週間かけて王都に着き、そこからは迎えに来ていたジョノミディスと共にブェレンザッハへと向かう。つまり、後ろを向いて郷愁に浸っている場合ではない。現実と未来を見て進んでいく必要がある。少なくとも、私から求婚したのだ、ジョノミディスの前で沈んだ表情などできるはずもない。


 さらに一週間以上かけてブェレンザッハに着くと、街をあげて大歓迎された。


 馬車で街門をくぐったところからの大歓声である。あまりの大声になにごとかと驚き慌てて、ジョノミディスを笑わせてしまった。


「はるか東のエーギノミーアから其方そなたが来ると民にも周知してある。多大な食料を支援してくれた恩ある姫君と言ってあるから感謝しているものも多かろう。」

「少々大袈裟すぎではありませんか?」


 窓から顔を出して手を振って見せるも、嬉しいというよりやはり戸惑いの方が大きい。私はあまり目立つのは好きではないのだが、ジョノミディスは何か勘違いをしていないだろうか。


 大騒ぎの群衆の中を通り、馬車は城へと向かう。

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