第291話 領主の仕事

 春までの約二ヶ月は、他の領地との交渉やそれに付随する事務が仕事だ。


 土地そのものを巡った諍いは何百年もなく、ここで話をするのは特産品の融通の話だ。エーギノミーアには塩の増産が求められている。食料の生産量が増えた分だけ、塩の消費量も増えてきているということだ。特に、これから畜産品も増えていくと、塩の必要量は必然的に増える。


 昔から塩と言えばネネミア伯爵領と言われるくらい、彼の領地では製塩に力を入れているのだが、これ以上産出量を増やすのは難しいらしい。その一方で、エーギノミーアやデォフナハでは、この数十年でかなり減少しているということだ。


「塩というものは生産量を増やせと言えば、すぐに増えるものなのでしょうか?」


 私は塩田は見てきたことはあるが、海の水から塩を取り出す全工程を把握しているわけではない。特別な技術や知識が必要なのかも分かっていない。増産を要求されても、どれだけ増やせるのかは見当もつかないならば誰かに聞くしかない。


「製塩に携わっていた農民はいるはずです。彼らに戻るように言うことはできるでしょう。」

「人だけいても、必要な道具がなければ仕事ができないのではありませんか?」


 農家に転業して年月が経っているならば、製塩の道具はもう廃棄してしまっているかもしれない。どうしても必要な道具が不足しているのだとしたら、それを作るところから始めねばならない。


 文官たちに確認してみるも、そこまで把握している者はいないようだった。


「夏までは増やせない、と考えた方が良いかもしれませんね。」



 安易に引き受けて、結果としてできなかったなどということは許されない。だからといって安全に振りすぎて出し惜しみするのも能がないというものだ。


 これまでの生産量と転業してもらう人数を考えて、自信を持って確実に達成できると言える量、不安があるが恐らく可能と思われる量、そして、頑張れば何とか達成できるかもしれない量の三段階で試算して、相手の求める期限を加味して交渉に臨むことになる。


 領主一族ということで交渉の席には私も同席するが、基本的には父が話をすることになる。私は求められない限り発言を禁じられた。


 別にそれは私が失言が多いからとかそういう理由ではない。ウォルハルトも同様であるし、相手方も領主一族も話をするのは領主一人だけだ。配偶者も子も黙って交渉を見守っているだけで、言葉を発するのは最初と最後の挨拶と、途中求められて質問をするときのみだ。


 彼我ともに個人としての発言は求めておらず、言葉の全てが領地を代表としてのものである。それが前提とされる場なのだと説明されれば、私も発言などできるはずもない。求められての質問だけでも、国王や王太子との面会よりも緊張する。


 王族との会談は、失礼なことのないようにと礼儀作法に気を配りはしていても、言葉を誤れば謝罪し訂正することが認められている。何より、今までは子ども扱いされていた分だけ、気楽に話をすることもできていた。そんな気遣いは一切されないのに、言葉を口にできるはずもない。


 考えてみれば、そうなる理由も分かる。何か不都合があるたびに「今のは個人としての立場からの発言だ」「未熟者故に言葉の選択を誤った」などと翻されていれば話は進まないだろう。失言を流してほしければ、交渉の席ではなくお茶会でも開いて話をしていればいいのだ。実際、最終的な交渉の段に至る前に、お茶会で大凡の話はしているし、そこでは私も発言を許されている。




 領主のみが行う仕事のうち、私が見てもいなかったものはこれが最後だ。

 兄たちに比べて、私は仕事を教えられる時期が随分と早いらしい。今年には結婚しブェレンザッハに行くことは決まっているため、その前に必要な教育は全て終わらせる予定だ。


 春までには全ての交渉を終わらせ、雪解けとともに領地へと帰る。可能な限りともに過ごすようにしていた婚約者ジョノミディスともしばらく離れることになる。

 次に会うのは夏の結婚式のときだ。


 準備期間は決して長くはない。のんびりと過ごせるのは、帰りの旅路のあいだまでだ。

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