第260話 魔物の土地

 崖の横穴に入っていくと、中の空気は湿っていて変な臭いが満ちていた。どこまで続いているのか、穴はかなり深く、奥の方がどうなっているかは見通すことなどできない。


 明かり用の火球を放ってやらなければ足下も見えない暗闇の中、銀狼は私たちを乗せたまま穴の奥へと進んでいく。魔物の数は思ったよりも少なく、先頭を走るジョノミディスが全て雷光で倒している。


 時折、枝分かれしたりもしているが、銀狼は一列になって穴の中を迷わず駆けていく。まるで道を知っているかのようだが、そんな疑問を投げかけても、言葉を話せない銀狼が答えてくれるはずもない。不安もあるが、銀狼の首にしがみついているしかできはしない。


 しばらく走っていると、前方に火球とは違う光が見えてきた。出口が近いのだろうかと光の方を見ていると、銀狼は枝分かれした別の道に入ってしまう。そんなことを三度繰り返し、四度目の光は真っ直ぐに向かっていき、再び太陽の下に出ることになった。


「これは、どういうことだ?」


 私たちが出たのは湖を見下ろす山の中腹だ。周囲は岩が露出していて草木は生えてはいない。とはいっても、少し先に行けば樹木もあるし、草も芽吹き始めている。


 それ自体は別に珍しい光景でもないのだが、問題は周辺の空気が、まるで向こう側とは違うことだ。


「山を一つ越えただけでここまで違うのは驚きですね。」

「ティアリッテ様はここが何なのかご存知なのですか?」

「単に、魔力がないだけです。魔物に食い尽くされてしまっているのでしょう。」


 ゆっくりとそんな話をしていることもできない。私たちの乗る銀狼は勝手に歩いていくのだ。西向きの斜面を北の方へ進んでいく。その先には木々がまばらに生える林があるが、そこは魔物の気配ばかりである。


「待ってください。魔物を退治するなら、魔力を撒いて誘き出しましょう。」


 声をかけると銀狼は林の手前で足を止めた。そこから見えるほど、魔物はいくつも数え切れないほどに林の中にいるのだ。いつものように魔力を撒くと、獣や虫がぞろぞろと出てくるのだが、今回は見たことのないものも出てきた。


「何だあれは?」

「魔物の植物か?」


 植物の根のようなものが、何十本もすごい勢いで地を這いながら伸び進んできていた。小型の魔物の押し潰し、互いに絡まりながら魔力を撒いたあたりを目指してくる。これには雷光が効かないようで、何度か撃ってみても変わらない勢いで伸びてくる。


 そこに銀狼の放った灼熱の飛礫が根を引きちぎり焼いていく。さらに魔獣も魔虫も魔木もお構いなしに吹き飛ばし、死骸に燃え広がる。



 林の中にいる魔物の数は随分と多いようで、出てくる魔物は止まるところを知らない。死骸はものすごい勢いで増えていくのだが、少々違和感がある。


 試しに林に向けて魔力を撒いてみて、その違和感の正体が分かった。


「ジョノミディス様、その林は全てが魔物です。焼き払いますので離れてください。」


 少なくとも、見えている範囲の木々は全てが魔物だ。丸ごと焼き払った方が早いだろう。全力を込めた火炎旋風で林に向けて放つと、軋んだような音が悲鳴を上げるように周囲に響く。


 炎の中から逃げるように飛び出してくる魔物は雷光で仕留めていけば、一時間ほどで周囲は静寂を取り戻した。


 木々はまだ燃えているが、林は岩場に囲まれているため、大きく燃え広がることもないだろう。こちらは放っておけば良い。というか、銀狼は燃える林を無視して湖の方に下りていく。


「あちらも、魔物だらけですね。」

「呆れるほど、魔物しかいないな。」


 人の入らない地域とはいえ、ここまで魔物ばかりだとも思わなかった。普通の山は、魔物ではない獣もいっぱいいるはずなのに、ここにはそれがいるようには見えないのだ。


 移動の最中に見つけた魔物は片っ端から倒していると、途中で私は不吉なものを見つけた。


「銀狼、あの窪みの方に行ってくれますか?」

「どうした?」

「大きくはないですが、あれは岩の魔物ではありませんか?」


 そう言うと、騎士たちにも緊張が走る。ブェレンザッハに巨大な岩が現れたのは一年ほど前のことだ。ジョノミディスはそれと直接対峙しているし、一緒に見たも騎士も多いと聞いている。


 近づいてみると、やはり岩の魔物としか思えないものが二体動いていた。幸いと言うべきかその大きさはそれほど大きなものではなく、私が両手を広げたよりは小さいくらいだ。


「あれをどう倒す?」

「騎士のみなさんは後ろを向いていていただけませんか?」

「ティアリッテ……」


 私が何をしようとしているのか察したようで、ジョノミディスは呆れたようにかぶりを振る。だが、あれに生半可な魔法は通用しないはずだ。少なくとも、雷光が通用しないのは既に確認されている。


「その前にやってみることがあるだろう。」


 そう言ってジョノミディスが放ったのは、銀狼の使う灼熱の飛礫だ。これの威力は決して低くはないのは見ていれば分かるが、岩の魔物に通用するのかは分からない。私も重ねるように同じ魔法を使ってみる。初めて使う魔法の加減は分からないが、二人分の灼熱の飛礫に銀狼も重ねて恐ろしいことになってしまっている。


「これで無事でいられる魔物などいるはずもございませんでしょう。」


 騎士は苦笑いでそう言うが、岩の魔物がこの程度で倒れることはないと思う。気配は消えていないし、魔法の嵐が終わると、岩の魔物は未だ動き続けているどころか、こちらへと進んできていた。


 そしてそこにジョノミディスの水の玉がゆっくり飛んでいく。


「銀狼、急いで離れてくれ!」


 叫ぶと同時に銀狼は一斉に斜面を駆け降りていく。そして、背後で大きな爆発が起きた。


 振り返り見てみると爆風が激しい砂煙を上げているが、私たちのところまで届きはしない。銀狼の足はとても速く、あっという間に数百歩も離れていた。


「倒せたようですね。」

「そのようだな。子どもでも呆れたほどの頑丈さだが、あれくらいの大きさならば私たちだけでも退治できそうだな。」


 砂煙が晴れずとも、魔物の気配が消えていることは分かる。銀狼も既に倒した魔物には興味がないようで湖の方へと向かって歩いていく。そちらも魔物の気配しかしないのだから嫌になってしまう。



 湖畔に魔力を撒くと、湖の中からいくつもの魔物が這い上がってくる。小型の虫から、かなり大きいトカゲまで、種類も数もとても豊富である。

 魔物が来るのは水中からだけではない。岩の隙間から出てくる小型の魔物も多いし、結構離れたところからもやってくる。


 その全てを雷光で貫いていく。雷光が通じないのは珍しいようで、雷光に撃たれた魔物はことごとく倒れ伏していく。


 出てくる魔物の数は凄まじいが、ここでは魔物を灰にしていく必要もない上に、馬もいないので何も考えずに魔力を撒き、出てきた魔物に雷光を撒いていける。本当に小さな魔物は銀狼が踏み潰していくし、少しくらいの狩り残しは気にしなくても良い。


 三時間ほど続けていたら、そこらじゅうが魔物の死骸で埋め尽くされているような状況だ。


「少し休みたいです。」


 そう言うと、銀狼は身を翻して斜面を登っていく。湖畔から少し離れた岩場で腰を下ろし、背負い鞄から取り出したパンをかじりながら眺めていると、魔物はまだまだ集まってきていた。


「一体、この辺りには魔物がどれほどいるのだ? 既に退治した数は千や二千では済まぬだろう。」

「この湖周辺で数万はいるのではないでしょうか。獣も植物も、全て魔物ですよ。」


 どう考えても、一日や二日で退治し切れる数ではないのだが、人が踏み入ることのないこの地で、魔物退治はどの程度しておけば良いのかは分からない。銀狼はある程度時間をかけることができるのかもしれないが、私たちにはそれほど多くの労力を注げるほどの余裕はない。


「日没には一度村まで戻りたいところだな。」

「そうですね、魔物退治をしていられるのもあと一時間少々といったところでしょうか。」


 穴を通って戻るのにもそれなりに時間がかかる。銀狼には上手く伝えて戻ってもらわないといけない。


「あと一時間、頑張りましょうか。今、あそこにいる魔物は蹴散らしてしまいましょう。」


 大きく伸びをしてから銀狼に跨る。

 何度触れてみても、銀色の毛は滑らかな手触りでいつまでも撫でていたい気分にさせられる。一緒に昼寝をしていられたらどんなに良いだろうと思うが、今はそれは叶わない。

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