第258話 山にあいた穴
「あちらだな。」
ジョノミディスが指すのは泉の南西の方だ。魔物の気配とも違う、なんとも薄気味の悪い魔力を感じながら泉を回り込んで山の奥へと入っていく。騎士たちも周囲の雰囲気が異様なのは感じているのだろう、一様に緊張した面持ちだ。
しきりに周囲を見回すも、魔物の姿はない。昨日だけでも一千以上を狩り倒したのだから、この一帯はほとんど魔物がいなくなっていてもおかしくは無いはずだ。
それなのに、異様な気配だけが山にこびりついている。
「岩の魔物が出たときは、何か、前兆のようなものは感じなかったのでしょうか?」
「いや、アーウィゼに出た岩の魔物は、本当に突然現れた。これほど分かりやすい前兆があったならば、もっと違った作戦を立てていただろう。」
それが逆に被害を抑える結果となったと考えざるを得ないのが悲しいところだ。岩の魔物に遭遇したら、逃げる以外の手段はないとジョノミディスは歯噛みする。
「ティアリッテ様は岩の魔物の前兆とお考えなのですか?」
「私は、魔物の大群といったら、嫌でも岩の魔物が想起されてしまいます。」
それを見たのは唯の一度のみだが、あまりにも衝撃が強すぎた。あの後、何度夢に見てうなされたか分からない。
倒しても倒しても、どんなに死骸の山を積み上げても尽きることなく押し寄せてくる魔物の大群。黄豹の背の上でなければ、とてもではないが持ちこたえられるものではない圧倒的な数。
それは、一番の恐怖の記憶でもある。
「誇張しすぎではないか? 一年生の頃の話なのだろう。大変なのは確かなのだろうが、今やればきちんと終わらせられるのではないか?」
私の話に、ジョノミディスは少し懐疑的な意見を述べる。確かにあれから三年半が経ち、私も成長しているという自覚がある。しかし、それでも私は自信がない。
「もしかしたら、そうなのかもしれません。そうであってほしいとは思います。」
私はあの戦いの勝利を見ていない。体力も魔力も使い果たして気を失ってしまい、気がついたら城の自分の部屋だった。押し寄せていた魔物は岩の魔物が倒れると勢いを失って湖へと逃げ戻っていき、残っていた魔物は黄豹によって蹴散らされたと聞いている。
「ティアリッテ様にも自信のないことがおありなのですね。」
「私はハネシテゼ様とは違います。公爵家の子として、俯いているわけにはいかないだけです。派閥の違うジョノミディス様に弱みなど見せられるはずもないではありませんか。」
今となってはそんな派閥などないに等しいが、婚約の打診もする前はそんなわけにはいかない。
そして、私が何を恐れているのかは、説明しないと分からない。万が一のことを考えると、失敗や恥などと言っていられない。
「ティアリッテ様が危惧していることは理解した。対策のしようがないのが困ったものだが……」
岩の魔物が出てきたら、すぐに撤退できるよう準備をしておく以外に取れる手段がない。できれば銀狼という〝守り手〟に来てほしいが、そのために魔力を大量に撒けば魔物もやってくることになるだろう。
不安を紛らわせるように話をしながら進んでいくと、果てしなく続く断崖の下へと着いた。そこには馬車でも通れそうな穴が開き、暗闇がずっと奥まで続いている。
「あの魔物の大群はここから来たのでしょうか?」
「そのようですね。奥に感じる気配は間違いなく魔物のものだ。」
「穴はいくつかあるようですね。」
騎士が指差す方向をみると、崖にはいくつも穴がある。地面に近いところもあれば、城の屋根の高さほどのところにも穴は開いている。全部同じところに繋がっているのか、別のものなのかは分からない。
「どうしましょうか?」
「誘き出せないかやってみよう。」
「魔力を撒いて、他の穴からも魔物が出てきたら危険すぎます。」
「ああ、ここから奥に向けて炎を撃ってみる。」
ジョノミディスとしては、魔物の気配がいくつもあるのに、何もせずに帰るという判断はしたくないらしい。少なくとも、挑発や威嚇をしたらどのような反応をするのかくらいは知っておきたいというところだろう。
「分かりました。爆炎は止めた方がよさそうですね、火柱あたりで良いでしょうか?」
「それで頼む。」
ジョノミディスの得意な魔法は水系統だ。火の魔法は私の方が明らかに上だし、ハネシテゼがここにいない以上は射程距離も私が最も長い。
穴の入口まで馬を進めると、まず明かりとして小さな火球を放って、その後に全力の火柱を穴の奥に向けて放つ。
狭い場所で火柱の魔法を使ったのは初めてだが、案の定と言うべきか、狭い穴の中は炎で満たされる。
「意外と奥の方は広いのだな。」
「そのようですね。」
荒れ狂う炎に照らしだされれば、穴の奥の方まで見えるようになる。見える範囲では、少し上に登るように真っ直ぐ続いているようで、奥に行くほど広くなっているようだ。
だが、この中に入っていく気にはなれない。このような場所で一番怖いのは、出口を塞がれ、閉じ込められてしまうことだ。
火柱が消えて行くのを穴の入口で見ていたが、魔物には特別な動きはない。何らかの反応があっても良いのではないかと思ったのだが、この程度では騒ぎにもならないようだ。
さらに火柱を二度、三度と撃ってみてもやはり変化はない。
「困ったな。出てきてくれないと退治できぬ。」
「あれだけ炎を繰り返したのです。熱すぎて出てこれないのではありませんか?」
腕を組み思案するジョノミディスに、騎士は安易にも穴の奥に向けて水の玉を放った。
「全員退避!」
慌てて叫んで穴の横の方へと馬を急がせる。その選択は以っての外だ。いや、ある意味正しかったのかもしれない。
馬を走らせていると、凄まじい爆音が山を震わせる。同時に熱波が背後を駆け抜けて行くが、振り返って騎士の無事を確認する余裕はない。
むしろ恐慌状態に陥った馬を抑えるので精いっぱいだ。
灼熱させた岩に水をかければ爆発を起こし、岩は砕け散る。
王族直轄地で岩の魔物倒したとき、初めて知ったことだ。通常では岩をそこまで灼熱させることはないが、穴の中に放った火柱の熱は行き場がなく、周囲の岩は相当な高温となっていたのだろう。
走りだした馬はなんとか方向を帰り道に向ける。疲れて馬が自ら足を緩めるまで、止めることは諦めた。ただでさえ異様な雰囲気の逃げ出したい場所なのだ。そう簡単に止まるはずもない。
「全員、無事か?」
ようやく馬を止めることができると、ジョノミディスも隣にやってきて後ろの騎士たちに声を掛ける。
「揃っていますね。一度山を下りて休憩にしましょう。」
とても、疲れた。
予想外の事態ということもあるが、異様な雰囲気の山を緊張しながら登っていれば、体力も消耗していたのだろう。
「そろそろ昼食の時間だな……」
そう言うジョノミディスも明らかに元気がない。騎士たちも、というより、馬も相当に疲れているようで息が荒い。
誰も、この場で魔物退治を継続しようという気力も残っていないようだった。
沢を下っていると、興奮気味だった馬も落ち着きを取り戻してくる。馬の足取りが安定すれば乗り手の負担も軽くなる。
改めて周囲を見回してみるも、何かが襲い来るような様子はないし、背後から魔物が押し寄せてくる雰囲気もない。
昨日に魔物を退治していた場所を通り過ぎ、私たちは足を止めた。
「この辺りで良いだろう。」
「そうですね。魔物の気配もありませんし、昨日の場所にはまだ魔力が残っていますから。」
魔物が来るとしたら、まず昨日の場所に向かうはずだ。総じて魔物とは魔力が濃いところに集まる習性がある。魔法の練習をしているならばともかく、単に休憩しているだけの私たち目掛けてやってくることはないはずだ。
そう思っていたのだが、食事を摂っていると複数の気配が一直線にこちらに向かってくるのを感じた。
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