第8話 想定外の事態

「うわあああ!」

「助けて!」


 ネズミが目の前に迫り、悲鳴を上げて馬を返して逃げ出すが、一人が遅れている。

 ネズミの爪は馬上までは届かないが、馬の脚はネズミ爪に裂かれて、血が飛び散る。


「た、助けてくれええええ!」


 暴れる馬に振り落とされそうになりながら、泣きそうな声で叫ぶ。


 これはマズイのではないか。

 あのネズミの集団の中に落ちたら、生きて帰ってこれるとは思えない。

 馬は必死に暴れ、蹴飛ばし、ネズミから逃れようとしているが、ネズミの数が多すぎて、逃げられそうにない。


 ハネシテゼは動こうとしない。先生も杖を構えたまま動かない。


「ミャオジーク先生、ハネシテゼ様、なんとか彼を助けることはできないのでしょうか」


 フィエルが青い顔で、懇願するように言うが、できるならとっくにやっているだろう。


「距離が近すぎる上に、動きが激しすぎる。魔法を撃てば彼にも当たってしまう」


 ミャオジーク先生が苦々しい声を吐き出のに対し、ハネシテゼは無表情というより興味がなさそうだ。


「ハネシテゼ様は魔獣退治の経験があるのですよね。このような場合にはどうすれば良いのかご存知ないのでしょうか」


 私としても人が死ぬようなところを見たくはない。何とかする方法がないものか、必死に考えてみるも何も思いつかない。ハネシテゼならばあるいはと思ったのだが、ハネシテゼは先生とは対照的な態度だ。


「簡単なことです」


 意外な答えが返ってきた。簡単ならばすぐに実行すれば良いではないか。


「ティアリッテも他の方々も、わたしが先ほど言ったことをもう忘れてしまったのですか?」

「先ほど……?」

「ええと、あの魔獣が死んだふりをしているかもしれない……?」

「ええ、それで?」

「確実にとどめを刺すように、と」

「はい、そうです」


 ハネシテゼが何を言いたいのか分からない。他に何か言っていただろうか。


「ジョノミディス、ティアリッテ、フィエルナズサ、それにザクスネロ。みんなを率いて向こうの魔獣を討滅しなさい」


 私が頭を悩ませていると、ミャオジーク先生から指示が出された。


「え?」

「か、彼は……?」


 ジョノミディスたちも困惑し、言われたことを飲み込めていないようだ。


「あなたたちが為すべきことは、あの魔獣に速やかにとどめを刺すことです。彼を助けることではありません」

「だ……、だが……」

「窮地であればこそ、敵の数を減らすのです。死んだふりをしている奴らがあちらに加わったら、持ちこたえることもできなくなるでしょうから」


 ハネシテゼの言っていることは、理屈としては分かる。だが、あまりにも冷たいのではないか。


「迷っている暇はありませんよ。ここは教室ではないのです。議論ならば、終わって帰ってからにしてください。自分勝手な考えで指示を無視していると、ああなるのです。目の前に悪い見本があるのに分からないのですか?」


 ハネシテゼの言い分はあんまりだ。

 私が自分勝手? 指示を無視している? ハネシテゼの指示は自分勝手ではないのか? 言い返せない自分が悔しくて仕方がない。


「ティア。ネズミを、やるぞ」


 いつのまにか隣にやってきていたのか、フィエルが私の肩を叩く。


「まず、あっちの奴らを蹴散らす。それで向こうの気を引ければ少しは有利になるのではないか?」


 フィエルは既に気持ちを切り替えている。見ると、ジョノミディスもザクスネロも魔獣の様子を観察し、距離を測っている。

 私だけがモタモタしているわけにいかない。

 涙を拭い、手綱を握りしめて馬を進める。


「ティアリッテ、あの端のほうのひっくり返っている奴は分かるか?」


 ジョノミディスがネズミが倒れている辺りを指しながら作戦を説明する。

 私の爆炎魔法を合図に、水の玉での一斉攻撃、突破してきたネズミがいれば火球で足止めをする、ということらしい。


 他の者たちにも作戦を伝え、ネズミがよく見える場所へと移動して陣形を組む。

 ネズミを右手側に、横を向くように馬を並べる隊列だ。私の位置はほぼ中央。爆炎魔法を放った後はすみやかに後ろ側へとまわる。



「よし、みんな準備はいいか? ティアリッテ、はじめてくれ」


 ジョノミディスの指揮で、私は両腕に魔力を集中していく。兄たちのように片手では扱えないし、魔力の集中に長い時間がかかってしまう。

 だが、逆に言えば両手を使って時間をかけさえすれば使えるということである。フィエルはそれでも失敗するし、ジョノミディスやザクスネロも成功させる自信がないのだという。


「いきます!」


 叫んで魔法を放つ。

 狙い通りの場所で炸裂した魔法は、何匹かのネズミを吹き飛ばす。


「みんな撃て!」


 手綱を手に後方へと下がっていく私のすぐ横で、水の玉が一斉に放たれる。

 爆炎魔法の際にネズミの悲鳴が聞こえてきたし、何匹かが動き出すのも見えた。水の玉での攻撃はそいつらを狙ってのものだ。



 私が振り向くと同時に、火球が一斉に飛んでいく。

 まだ動いているネズミがいるということだ。


 急いで次の魔法のために右手に魔力を集中していく。爆炎魔法では時間がかかりすぎるし、火球をさらにもう一発重ねても意味はないだろう。

 水の玉は苦手だし、残る手はひとつだけ。


「風よ、炎を巻き上げろ!」


 旋風の魔法が火球を巻き込み、炎の嵐をとなる。火球が効きづらくてもこれならば痛手を与えられるのではないだろうか。


「周囲に水を撒くのです! 火球もどんどん追加してください!」


 横手からハネシテゼの声が上がる。次の水の玉の準備をしていたジョノミディスたちは頷き、次々と放り投げていく。

 さらに火球も追加されて、巨大な火柱がネズミたちを包み込む。


 さすがに耐えきれないのか何匹かのネズミがその中から逃げ出してくるも、外側の水たまりに足を踏み込むと悲鳴をあげて勢いよく倒れ込んでいく。

 肉の焦げる臭いがここまで届いているし、これで痛手を与えられていないということもないだろう。



 火が収まると、焼け焦げて転がっているネズミたちの姿が露わになる。完全に動かないものもいるが、ぴくぴくと動いているネズミもいる。


「ティアリッテ、もう一度、あの風魔法を使えるか?」


 ジョノミディスが聞いてくるが私は力なく首を横に振る。爆炎魔法を二度も使ったのだ。もう、体力が残っていない。これ以上魔法を使えば、自力で王都に帰ることもできなくなってしまうだろう。


「ジョノミディス様、風ならば私も使えます」


 フィエルが進み出る。彼は私と一緒に魔法を習ってきたのだから、得意分野は違えど同じ魔法が使える。火では負けるつもりはないが、水ではフィエルの方が得意、風魔法はどちらが上ということもない。


「よし、分かった。フィエルナズサは風を、他は全員、火球を叩き込め」


 再度火柱が上がり、ネズミを確実に死へと追いやる。



 ふと気になって、ネズミに取り囲まれていた子爵の子を見ると、数匹のネズミが周囲に転がっている。

 私たちがとどめを刺している間、先生たちも黙って見ていたわけではないということか。


 少し安心して声をかけると、ハネシテゼは何故か不服そうだ。


「別に彼を助ける必要などないのです。指示を無視する者は早めにいなくなってくれた方が助かります」


 聞いてみるとハネシテゼの答えは非情なものだった。だが、死んでしまえばいいなどというのは、あまりにも酷いのではないだろうか。


「今回は、自分たちだけで済んでいますが、身勝手な行動は全滅を招くことすらあります。先日、そう教わったばかりではありませんか。私が動くことではありません」

「ですが……」


 何とか食い下がろうかと思っても言葉が出てこない。

 かわりに涙が溢れるばかりだ。


「まあ、もう少しだけ持ちこたえれば助かりますよ。そんなことより、周囲に気をつけてください。魔力と血を嗅ぎつけてくる魔獣がいないとも限りません。ほら」


 ハネシテゼが指した方向に、何か動く影がある。目を凝らし注意深く見ていると、影はだんだんとこちらに近づいてくる。


「まあ、あれは私がやってしまいますよ」


 先生の答えも待たずに、ハネシテゼは馬を駆って一直線に黒い影へと向かう。そして杖から放った赤い光が魔獣を撃つとすぐに引き返してきた。


「も、もう終わったのですか?」


 目をまんまるに見開いてフィエルが呆れたように聞く。

 先ほども一撃で一掃しているし、ハネシテゼにとってこれくらいは普通なのだろう。


 何ごともなかったかのような涼しい顔をしているハネシテゼだが、突如目を細めて森へと視線を向けた。


「ま、また新しい魔獣でしょうか?」


 私には森の奥にいるものの姿は見えない。魔力を使いすぎた今は、私はもう戦力にはならない。いつもなら、自分の身は自分で守れると思っていたが、今は不安しかない。


「大丈夫です。どうやら、間に合ったようです」


 何が間に合ったのだろう。

 だがハネシテゼは笑顔で「心配ない」と言うのみだった。

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