第4話 講義の始まり
翌日は九時から講義が始まる。
時間に十分に余裕を持って講義室に来たのだが、ハネシテゼが既に席に着いていた。
「おはようございます、ハネシテゼ様」
講義室に入れるのは、生徒のみ。文房具の入った箱を側仕えから手渡される前に挨拶してから自分の席へと向かう。
座学では成績順で十五人ずつ小部屋に分かれて行われる。三列に並ぶ机は前に行くほど順位が低い班になっていて、私の机は一番後ろだ。
そしてその中で私の席は中央。すぐ左隣にはジョノミディス、さらに向こうにハネシテゼが座る。右側にはフィエル、ザクスネロの順に続く。
「随分と早いのですね」
「ここでは朝は何もすることがありませんから」
何もすることがない、なんてことは無いだろう。
朝から身を清め、身だしなみを整えて、側仕えたちと一日の予定を確認する。朝食を済ませた後は、親から届いている手紙にも目を通さねばならない。
盛りだくさんとまではいかないが、やることは結構ある。
「魔獣や畑の状況報告もないし、魔獣退治の準備もありませんもの」
「は?」
首を傾げて言うハネシテゼの言葉に、顎が外れるかと思った。
「魔獣退治って、それは大人の仕事でしょう? 子どもが何をするのです?」
「何と言われましても……、魔獣の発見報告を整理して駆除計画を立てて、どんどん狩っていかないとならないではありませんか。少しでも実り豊かにしたいですから」
それが大人の仕事だと言っているのだが……
「おはようございます、ティアリッテ様、ハネシテゼ様」
私が目を丸くしていると、いつの間にやって来ていたのか、侯爵家の子たちが挨拶してきた。
「あら、失礼。お話に夢中で、気づいていませんでしたわ。おはようございます、皆さまがた」
「おはようございます、ええと、ヨセニフィア様、ボルクワット様、それと……」
「コレミネアでございます」
ハネシテゼも立ち上がって挨拶するが、三人目の名前が出てこなかった。
だが、これはハネシテゼの失敗と言うには厳しいだろう。
「昨日とは随分雰囲気が違うのですね。コレミネア」
そうフォローを入れるが、実は私も分からなかったのだ。だから『皆さまがた』と濁したのだが……
「昨日は入学式でしたから、特別な衣装だったんです。あの服を毎日着られたら良かったのですが……」
照れ臭そうにコレミネアが言う。
見回してみると、みんな今日は式典用の服ではなくなってはいるが、雰囲気はそう変わらない。だが、コレミネアは髪型も化粧も全然違うのだ。
「明日もまた別人のようになっていなければ大丈夫です」
何が大丈夫なのかは知らないが、ハネシテゼは笑顔で言う。
「わたしたちは勉強をしにきているのですから、無理に着飾る必要もないですし」
席に座りながらハネシテゼが言う。
彼女は驚くほど切り替えが早い。
私も彼女に倣い、席に着いて文房具を並べていく。フィエルはともかく、ジョノミディスに失礼があると良くない。
鐘がなるとともにミャオジーク先生が入室してきて、講義が始まる。
最初の授業は算術だ。
「このクラスは全員、加算、減算は理解できているようなので、割愛します。乗算については理解していますか? モディエル、ちょっと説明してみてください」
先生は最前列の一人を指名する。
「えっと、数を何度も足していくことを簡単に行うこと……」
「ふむ。乗算の説明としては、ちょっと違いますね」
先生はそう言うが、どう説明すれば良いのだろう?
家庭教師の説明を必死で思い出す。
「ハネシテゼ、説明できますか?」
指名は最上位に飛んだ。彼女が答えられなければ全員が分からないということか。
だが。
「簡単に言うと、長方形の面積の算出、でしょうか」
なんか謎の説明がされた。
想定外の答えなのか、ミャオジーク先生も固まっている。その反応に、ハネシテゼは別の説明を始めた。
「二つのベクトル間の演算の一つで……」
「済まない、何を言っているのか分からない」
だが、先生は眉根に皺を寄せて手を振る。私もハネシテゼが何を言っているのかサッパリ分からない。
「一方の数を、もう一方の数だけ足し合わせること」
「分かっているなら最初からそう言ってくれないか」
「申し訳ありません。どんな答えを求めているのか分からなかったので」
ようやく先生の満足する答えが得られたようだ。
「その説明だと足し算ではないのか? 乗算ならばモディエルの説明の方が正しいように思うが……」
「乗算法と乗算の違いです」
生徒の一人から投げかけられた質問にハネシテゼが即答する。
「乗算は、あくまでも数を足し合わせていくことを指します。乗算法はそれを素早く計算する方法です」
「その通りでございます」
ハネシテゼの説明に、ミャオジーク先生が大きく頷く。
そして、先生は計算の概念と計算法は別物だということを強調する。
「加算、減算では意味と計算方法はほぼ一致するので分かりやすいのですが、この先の算術では一致しないものが増えていきます」
そういえば、家庭教師もそんなようなことを言っていた。
概念の理解と、計算法の習熟は別物だ、と。
その言葉の意味は完全には理解できていないが、たぶん、先生も同じことを言っているのだろう。
算盤を使っての計算をおさらいして、1回目の算術の講義は終わった。
休憩を挟んで、地理の講義が始まる。
みんな、自分の領やその周辺は家庭教師に教わっているが、離れている地域については詳しくはない。いや、ほとんど知らない。
王族直轄領から始まり、大領地から小領地へと進んでいくらしい。
普段は他領の話など聞くこともないので、比較しながらの説明はなかなか興味深い。
一時間で説明できる量には限りがあるので、今日のところは王族直轄領と公爵領の関係で終わった。
昼食を済ませて、午後からは体術と魔道の実技演習が行われる。
指定された広場に行くと、数十の馬がいた。
整然と並んだ馬は体格も毛並みも良い。鞍が既に着けられており、今すぐにでも出発できそうな雰囲気だ。
「今日は馬術でも行うのでしょうか?」
「どこかに行くんじゃないのか? ここは馬を走らせる広さはないだろう」
私のつぶやきにフィエルが答えてきた。
確かに左右を見回してみても、一頭や二頭ならともかく、数十の馬を走らせるには狭すぎる。
「まず、みなさんには一人で馬に乗れるようになっていただきます。馬にも乗れなければ、遠出することもできません。左手前を最上位に、右方向に順番に乗ってください」
ミャオジーク先生の指示で、パラパラと馬へと向かうが、みんな一様に困った顔でキョロキョロとしている。
おそらくみんな乗馬はできるのだが、一人で馬の背の上に登ることができないのだ。私もその一人だ。台も無く、馬の背まで持ち上げてくれる従者もいない。一体、どうすれば良いのだろうか。
だが、ハネシテゼとジョノミディスだけは違っていた。
二人とも平然と鞍に跨っている。
「え? どうやって……?」
思わず声に出してしまった。私よりも背が高いジョノミディスはまだ分かる。だがハネシテゼは私よりはるかに小さい。あの体格でどうやって登ったのだろうか。不思議で仕方がない。
「ティアリッテは乗れないのかい?」
私がはしたなく口をポカンと開けていたら、ジョノミディスとハネシテゼが馬を操りやってきた。
「一人で乗れているのはお二方だけではありませんか!」
「その位置からでは乗れません。まず、馬の顔の横に立ってください」
台も無しに独力で登れる方がおかしいのだ。鞍を見上げながらそう思っていたら、ハネシテゼからアドバイスされた。
馬の首を軽く叩いて頭を下げさせて、手綱を少し短めに持つ。飛び上がりながら鐙に左足を掛け、体を左回りに反転させつつ右足を振り上げて、馬の首にしがみつくようにしながら鞍に跨がる。
説明を受けながらやってみると、なんとか馬の背に登ることができた。
ハネシテゼに腰を押し上げてもらったので、独力でとは言い難いが、次からは一人でできると思う。
フィエルやザクスネロもジョノミディスのサポートを受けながらも、無事に馬に乗ることができたようだ。それを真似したり、他の子と協力して持ち上げてもらったりして、鞍に跨る子が増えていく。
「一人で乗れる人は、他の人に教えてあげてください」
ミャオジーク先生の言葉に「なんで下級貴族にそんなことしてやらなきゃならないんだ」などと文句を言う者がいる。トップの二人が積極的にやっているのに、中位の者が何を言っているのか。
私も、ハネシテゼとジョノミディスがどう教えているのかを確認した後、困り顔の下級貴族の方へと向かう。
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