7-2







 麻衣はアデルとともに駅へ向かい、電車に乗った。


「アデルさんは、よく瞬くんの家に行ってたんですか?」



「何回か行ったことはある。瞬が海外に行くって決まってからは、海外はこんなところだって教えたり、持ってくといいものを教えたりしてたんだ」



 アデルの表情からは、家族ぐるみで付き合っている情景が想像できた。



「そのとき瞬の家族に会って、俺が教えるから海外でも大丈夫だって言ってた・・・・大丈夫じゃ、なかったけどな」



 アデルは、ふっと自嘲するように笑った。麻衣は、まだ笑えなかった。



 電車からの風景が閑散としたものから住宅街に変わってくると、麻衣とアデルは電車を降りてタクシーに乗った。


 ここが瞬の育った町なのだと、窓から見える景色を眺めるのは不思議な感覚だった。瞬の家に向かっているのに、当人はいない。



 ここだ、とアデルがタクシーを止めて降りると、その正面の家につかつかと歩みを進めた。麻衣はアデルから遅れを取らないように、足早に追いかけた。




 アデルがその家のインターホンを鳴らすと、すぐにドアが開き、瞬の母親らしき人が出てきた。


「こんにちは。わざわざありがとうございます」


「突然すみません。さっそく、ありがとうございます」


 アデルと瞬の母親は慣れた雰囲気で、やはり一緒に来てもらってよかったと麻衣は安堵した。


「そちらの方が、電話で話していた・・・」


「佐倉麻衣と申します。今日は、突然お邪魔してすみません」


「いいえ。はるばるありがとうございます。どうぞ、あがってください」



 自分が母親だと言われなくともわかるほど、瞬の母親は瞬と顔立ちが似ていた。可愛らしいアーモンド形のぱっちりとした目は、母親譲りだったのだろう。


 瞬のいない実家を訪れるのは、不思議な感覚だった。麻衣が瞬の母親に案内され廊下を歩いていると、通された奥の部屋で麻衣はあるものに釘付けになった。




 それは、瞬の遺影だった。




 それを見たとたん、確かに瞬が亡くなったのだと麻衣は理解した。


 間違いであればいい。同姓同名の日本人だっているだろう。ニュースには、写真だって出ていなかった。そんな、よぎった全てのもしもをかき消して、麻衣はその事実を受け止めた。



 瞬の母親がろうそくに火を灯すと、アデルが線香をつけ、長い時間手を合わせた。

 アデルは、どこでそんな所作を覚えたのだろう。初めて覚えた、手を合わせるという日本の文化が瞬の葬式だったとしたら、残酷な話だ。


 続いて、麻衣も線香をつけた。遺影を見上げると、瞬はよく笑っていた。その笑顔がとても可愛くて、よく癒されていたのだと、麻衣は思い出した。麻衣は、アデル同様に長く手を合わせた。



 ありがとう。


 今まで、ありがとう。



 言いたいことはたくさんあったけれど、感謝だけを心に灯した。



「ありがとうございました」



 麻衣は瞬の母親に向き直り、礼をした。



「いいえ。こちらこそ来ていただいて、ありがとうございました。麻衣さんのことは、瞬からも聞いていたんです」


「私のことを、ですか?」


「はい。たまに電話したときとか・・・・この前帰ってきたときに、ちらっとですけど。アデルさんの家に行ったことも聞きました。すごいアプリを作ってる人がいるんだって、あの世界地図を嬉しそうに見せてくれましたよ」



 瞬の母親が、嬉しそうにそう言った。瞬に、とてもよく似た笑顔で。

 とたんに、それまで一度も流れなかった涙が、麻衣の頬を伝った。ニュースを見てから今日まで、麻衣は涙を流すことができていなかった。


 瞬との関係は、麻衣と瞬二人だけのものではなかった。瞬が嬉々として人に話すほどの存在になれていたんだと、瞬の母親から聞いたその事実が麻衣の心にじんわりとにじむ。


 麻衣が涙をぬぐっていると、どこかに行っていた瞬の母親が、手に携帯を持って戻って来た。



「これを麻衣さんに見せたかったんです」


 見せられたのは、どこか見覚えのある携帯だった。


「これは、瞬の遺品です。この前スーダンから送られてきました。荷物はほとんど取られてしまったんですけど、スマホがその辺に落ちていたのを現地の人が大使館に届けてくれて、送ってくれたんです」



 瞬の母親がその携帯の電源を入れると、迷いのない手つきで内臓されているアルバムアプリを開いた。その中に、『メモリアルマップ』と題されたフォルダがあった。



「これ・・・・!」



 何度も目にしている、自分が手がけたアプリの名前のフォルダに目が釘付けになる。麻衣がそのフォルダを見ていると、瞬の母親はフォルダをタップして開いた。


 そこには、国や町ごとにフォルダ分けされた、たくさんの写真があった。分け方は、『メモリアルマップ』と同じだ。アフリカの国名や町の名前がついたフォルダがずらっと並び、フォルダを開くと何十枚もの写真が出てくる。



「これを世界地図に載せるの、楽しみにしてたんでしょうね」



 瞬の母親が瞬の思いを汲んだようにそう言うと、麻衣の目から大粒の涙が溢れた。



 繋がっていてくれた。

 遠く、離れた国にいても、やり取りができなくなっても、繋がりを途絶えさせないでいてくれた。


 風景写真が多かったが、写真の中にはたくさんの瞬がいた。笑っている写真、ものを食べている写真、さまざまだったがどれもみな楽しそうだ。


 こんなにたくさんの写真を撮って、丁寧にフォルダ分けをしながら、瞬は何を考えていたんだろう。

 アップするの、面倒だな。

 これで、また世界征服が進む。

 そんなところかもしれない。


 けれど、おそらくきっと、麻衣の喜ぶ顔を思ってくれたにちがいない。


 それくらい、自負したってばちは当たらないだろう。



 瞬の『メモリアルマップ』の桜の色付きは、モロッコで止まっていた。



 それを見たとたん、麻衣の心は揺れ動いた。




 何かの覚悟を決めるとしたら、今なんだろう。マザーがセブ島で施設を開いたように。金野が、塾を再び開いたように。


 瞬が、旅に出たように。

 

 麻衣は、どくどくと鳴る鼓動とともに、瞬の母親に向き直った。



「瞬くんの・・・・お母さん。私に、この写真をアップさせてください」



 麻衣は、瞬の母親をじっと見つめた。



「私に、瞬くんのアカウントをください」



 それは、自分の中に初めて感じた、心の熱だった。



「瞬くんの旅を、完結させたいです」



 初めて、成し遂げたいと思ったことだった。






 仏壇を目の当たりにすると、瞬が亡くなったという事実を受け入れられたような気がした。

 どこかすっきりとした気持ちでいる自分を、麻衣は不思議に思っていた。今は、心に静かな熱が灯ったように体が温かい。



「すっきりしたみたいでよかった。来年は墓参りに行こう」



 麻衣は来た道を戻り、アデルと電車に揺られていた。麻衣もアデルも目が赤く、泣きはらした顔は周りからちらちらと見られている。



「俺さ、瞬を手伝おうと思って。あの界隈の難民の暮らしを助けようとしてたんだ」


「あの界隈・・・・・?」


「俺の、近所の集落。あそこはこれからも難民を受け入れてくだろうし、俺は日本に来る経験をしてきた分、やつらの気持ちがわかる。日本での仕事にも慣れてきたから、その手伝いをしようかと思ってたんだ」


 それは、瞬がアデルに残した大きな影響だったんだろう。


「瞬が帰ってきてから話そうと思って、先延ばしにしてた。本当、馬鹿だったよ。言いたいときに言っておかないと駄目なんだな・・言ったら、喜んでくれただろうな」



 こんな気持ちを、どこかで。



 いつだったか、どこかでそう感じた気持ちが、アデルの言葉に重なるように麻衣の心によみがえった。

 走馬灯のように一瞬でそれを思い出した麻衣は、たまらず喉を震わせ、声をしゃくり上げた。



「麻衣さん、どうしたんだ?」


「私も、そう思ってたんです。瞬くんがいないところで、何かを始めようと思って。瞬くんがいない間に、何かしようと思って、ボランティアに行ってみたんです」



 涙を流しながら、麻衣は話した。



「そのことを瞬くんに話したら喜んでくれると思ってたんですけど・・・・言えなくて。そのときは、上手くいってなかったから話したくなくて。本当に、今思えば本当に・・・話しておけば、よかった」



 話せば、瞬はなんと言ってくれただろう。


 麻衣さん、すごいですね。


 やっぱり、ボランティアの才能ありましたね。


 瞬が言いそうな言葉が、次から次へと頭の中に浮かんでくる。


 けれど、どれも違う。麻衣は、褒められたかったわけではない。



「・・・こんなに一生懸命になれることに、気付かせてくれてありがとうって、伝えたかった」



 嗚咽が止まらくなった麻衣は、ひとしきり泣いた。

 セブ島での子どもたちの笑顔も、日本で見た難民の笑顔も、金の塾で見た生徒たちの笑顔も、どれも心が温かくなるものだったことを思い出す。


 それに気付かせてくれたのは、瞬だった。




「でも、私は・・・ボランティアをして、人助けをしたいと思ってたのに・・・瞬くんのニュースを聞いたとき、真っ先に人違いだったらって思ってしまったんです。瞬くんじゃありませんように、他の誰かだったらいいのにって、誰かの不幸を願ってしまったんです。私、そのときの自分がすごく怖かった。知らない人なら誰が死んでもいいのかって、これが私の本心なのかもしれないって、そんな自分を見つけたことが怖くて・・・・瞬くんのお母さんにはああ言ってしまったけど、本当は私にそんな資格ないんじゃないかって、怖いんです」



 そんなことを考えてしまった自分に、アカウントをもらって瞬の意思を継ぐ資格があったのだろうかと、麻衣に後悔がよぎった。この考えが瞬に見透かされてしまうのではないかと。それが、怖くて怖くてたまらなかった。

 麻衣はぐずぐずと鼻水をすすり、涙で濡れている手でまた涙をぬぐう。顔も手も、もうぐちゃぐちゃだった。



「それは違う。俺だって、そう思ってた」



 これ、とアデルが麻衣にハンカチを差し出す。汚すのを申し訳なく思ったが、麻衣はそれを受け取り、涙をぬぐった。



「ニュースを見てとっさに、何かの間違いだ、瞬のわけがないって、俺だってずっと思ってた。当たり前だよ。瞬のことを大事に思うなら、みんな思うはずだ。でもそれは、誰かの不幸を願ってるんじゃない。瞬が生きてることを願ってたんだろう。麻衣さんが、そのくらい瞬のことを大切に思ってた証拠だ」



 アデルの言葉が、すうっと心に染み渡る。もやがかかっていた心に、晴れ間ができたようだった。



 そうだった。代わりに、誰かに不幸になってほしいのではない。


 瞬が無事でいてほしい。ただ、それだけを願っていた。



「だから、せっかく一生懸命になれることを見つけたんだったら、自分からやめないでほしい。それは、瞬が作ってくれたきっかけだろう?」



 大切なことを、忘れていた。



「そうです・・・・瞬くんが、教えてくれたことでした」



 心の奥に熱が灯ることの楽しさを、教えてくれたのは瞬だった。






 瞬の母親は、喜んで瞬のアカウントを麻衣にくれた。

 すぐにでも瞬の旅の続きに出たい麻衣だったが、その前にやらなければいけないことがある。


 週が明けた月曜日に出勤すると、麻衣は小浦の隣の席に座った。



「小浦さん、すみませんでした」

「、どうした」



 ここ最近とは違う麻衣の様子に、小浦は驚いていた。



「『メモリアルマップ』、すぐに完成させます。それまで引き続き、よろしくお願いします」



 麻衣が頭を下げると、小浦は麻衣をじっと見つめた。



「お前、何かあったな」



 小浦は、にやりと口角を上げた。



「何の影響か知らねえけど、よかったな」





 『メモリアルマップ』が本配信されたのは、それから一ヶ月後のことだった。

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