6-3



 その週の半ば、瞬からメッセージが来た。


【今日電話できませんか?】


 久しぶりに、心が跳ねた。声を使って瞬と話すのは、日本で会って以来だ。それから、電話はしていなかった。


 確か、瞬は今イタリアにいたはずだ。こちらは夜の九時だが、あちらは昼といったところだろう。向こうが活動的な時間に、電話をするのは珍しい。今日は、出かけていないのだろうか。


 返事代わりに麻衣から電話を掛ける。呼び出し音が鳴っている間のどきどきした鼓動を、久しぶりに味わった。


「もしもし麻衣さん、久しぶりです」


 電話に出た瞬は、相変わらず明るい。


「もしもし、久しぶりだね。元気にしてた?」


「元気です。麻衣さんはどうですか?」

「元気だよ。今日は出かけてないの?」


「実は今日、船が欠航してしまって」

「え、今どこにいるの?」


 瞬がイタリアにいると聞いたのは三日前だ。もしかすると、もう別の国に移動しているのかもしれない。


「シチリア島です。イタリアを長靴に見立てたときの、蹴ってるやつです。ここから船に乗ってモロッコに行こうと思ってたんですけど、欠航してしまって。観光名所は行ってしまったので、今日はホテルでのんびりしようかなと」


「災難だったね。イタリアはだいぶ周れた?」


「一通りは。ヴェネチアとか、ミラノとか、ローマとか」


「いいなあローマ。私も行ったことあるんだけど、また行きたい」


 イタリアに行ったのは、大学の卒業旅行のときだ。数年前の記憶を思い出すと、懐かしい。


「麻衣さんも割と海外行ってますよね。コロッセオ、すごくよかったですよ」


「モロッコからそのまま、アフリカに入るの?」


「その予定です」

「どの国に行くの?」


 アフリカといえば、治安が心配になる国も少なくない。

 心配する麻衣を察したのか、瞬が口を開いた。


「いろいろ周りたいんですけど、安全第一で行くつもりです。モロッコと、エジプトと、南アフリカは行きたいなと・・・・・でも、アフリカは難民が多い地域なので、観光地じゃないところにも行って、難民と関われたらと思ってます」


 瞬の言葉を聞いて、胸がずんと重くなる。アフリカで観光地でないところというのは、整然とされていない地域ばかりだ。


 だが、そもそもの瞬の旅の目的は、難民の現状を見ることだった。ついにその目的にたどりつくことは嬉しいが、アフリカと聞くと治安の悪いイメージが先行し、不安になる。


「行きたいところは、危ないところなの?」


 麻衣は勇気を出して聞いた。こういう質問は、瞬の志を邪魔してしまいそうで、聞けないでいた。


「アフリカの難民は、内戦地域や紛争地帯に多くいるので、そこに行くとなると・・・・安全とは言えないかもしれません」


「・・・・・そうなんだ」


 聞いた途端、息が詰まる。内戦や紛争という言葉のリアルさに、心臓がどくどくといった。電話の呼び出し音のどきどきとは全く違う、命を感じるものだ。


「Wi-Fiがあるとは限らないので、メッセージもあまり送れなくなるかもしれません。でも、僕も危ないところに飛び込もうとしてるわけじゃないですよ。セブ島で会ったマザー、覚えてますか?」


「うん、もちろん」


「マザーが紹介してくれた難民キャンプがあるので、そこに入って過ごすつもりです。紹介もなしにいきなり日本人が行っても、相手にしてもらえませんからね」


 瞬が言うには、昔、マザーとともにセブ島の施設を運営していた人が、アフリカの難民キャンプにいるらしい。瞬はそのつてをたどって、その人の世話になるようだ。


 その話を聞き、麻衣は少しほっとした。難民キャンプの暮らしに慣れている人と行動をともにするならば、わりかし安全だろう。知り合いの知り合いでも、瞬の助けになってもらえるのならば嬉しいことだ。


「それなら、少しは安全そう」


「やりたいことをやる前に死にたくないですからね」


 瞬は、笑いながらさらっと言いのけた。

 日常でこんな言葉を聞くなんて、想像もしていなかった。彼がやりたいことをするには、命の心配をしなければいけないのだと、改めて実感させられた。


「そういえば、アプリすごく使ってくれてるよね」


 怖くなった空気を変えたくて、麻衣は明るい話題を振った。


「見られてるんですか?恥ずかしいですね」

「テストユーザーだからね。観察させてもらってます」


『メモリアルマップ』の瞬の世界地図は、瞬く間にピンク色に染まっている。アジアや中東、ヨーロッパは緑色の地域を探すのが困難なほど、たくさんの写真がアップされていた。


「他の社員にもテスト見てもらってるんだけど、みんな感心してるよ。瞬くんの写真見て、ここ行きたいって言ってる人もいて」


「うわ、そういうリアルな感想嬉しいですね。知らないところで見られてるのは、恥ずかしいですけど」


 その社員の反応を見て、やはりユーザー同士の交流は欠かせない、と麻衣は確信した。テスト段階ではユーザー同士の交流はできない仕様だが、本配信には必ず取り入れるべきだろう。


「私も楽しんでる。瞬くんと一緒に旅してるみたいで」


「はは、それいいですね。麻衣さんと旅行、してみたいな」


 さらりと言った瞬のその一言に、思わず麻衣は赤面した。急に鳴り出した心臓が、どきどきとうるさい。

 突然の不意打ちに、麻衣は何も言えなくなってしまった。

 今のは、どういうつもりで言ったんだろう。


「あ、すいません。船の情報出たみたいなので、ちょっと行ってきます」


「うん。私はそろそろ寝るね」


 瞬の言葉にふと時計を見ると、もうすぐ日付をまたぐ時間だ。


「仕事頑張ってくださいね。おやすみなさい」


「瞬くんも気を付けてね。おやすみ」



 結局、その一言をどういうつもりで言ったのかを聞くことも、麻衣がボランティアへ行ったことを言うこともできなかった。

ボランティアに行ったことはいつ言い出そうか悩んでいたが、あまり活躍できなかったのに報告するのは恥ずかしい、という気持ちが邪魔をした。また電話したときにでも、雑談がてら報告しよう。

 そう考え、麻衣は眠りについた。

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