6-1



「データ集まったか」


 厚い資料を机に置き、小浦は麻衣の隣の席にどさっと乱雑に腰掛けた。


「少し、ですけど」

「見せてみろ」


 はい、と返事をし、試験中のアプリデータを開く。カチ、カチとマウスに合わせて表示されるデータに、小浦の目がついていった。


 会社で麻衣が倒れ、小浦から怒鳴られたときはすくみ上ったが、それ以降はアプリのことをまめに相談できるようになっていた。


 麻衣が倒れた翌日、すみませんでしたと小浦に謝ると、ちゃんと休養を取れよと小さく返された。それがどこか優しい声色だったので、それから少しずつ麻衣の怯えは取れていった。


「まあ、こんなもんだろう。行った国に偏りが出るのはしょうがないし、海外にたくさん行ってるやつじゃないと集まるデータも少ない。ユーザー同士が交流できるように、SEに言ってテスト重ねておけ」


「わかりました」


 仕事の指示やアドバイスを受けながら、麻衣は急いでメモ帳に書き込む。小浦は早口で一度にたくさんの指示を出すので、内容を理解するのは後回しだ。


「ん・・・・何だこいつ。すごい数のデータだな」


 小浦が見たデータは、瞬のものだった。


 麻衣が瞬にテストを依頼して以降、瞬は何かと競うような速さで次々に写真を登録していた。世界一周以前にも海外へ出かけていたことから、その写真の量はすさまじい。アジアは、ほぼピンク色に染まっていた。


「こんなやつ、うちの会社にいるのか」

「その人は、私の・・・・・・友達で」


 瞬のことを、何と紹介すればいいか言葉に詰まった。結局友達と言ったが、小浦は何も気にしていないようだった。


「へえ、たくさんの街に行ってるデータがなかったから参考になるな。これ、見ろ。街ごとに出るフォルダが密集してて見にくいだろ。地図を拡大できるようにした方がいいな」


「はいっ!」


 海外へは、有名な都市部へ行く旅行者がほとんどだ。旅行雑誌でページが薄い、小さな都市へ行く者は少ない。他のデータは国の中でも大きい都市の写真ばかりだったが、瞬は小さな町の写真まで網羅している。都市ごとのフォルダが密集していて見にくい状態は、瞬のデータを見なければわからなかったことだ。


「いい友達いてよかったな」


 小浦の言葉に、こくりと控えめに頷いた。


 ふっと笑う小浦は、最近さらに角が取れたように思えた。


 開発中のアプリがテストデータを収集する状態になると、麻衣の仕事はしだいに落ち着いてきた。『メモリアルマップ』だけで満足してはいけないのだが、本配信されるまでは新しい企画を考える気になれない。何となくだが、小浦も他の企画を考えることを望んでいないような気がした。まずは一つ、このアプリを大事に仕上げたい。


 気持ちに余裕ができた麻衣は、最近あることを考えていた。


「佐倉さん、企画どうよ」

「最近やっと余裕ができてきたの」


「すごーい。小浦さんみたいになる日も近いかもね」

「もう、冗談やめてよ!」


 麻衣は、総務部の同僚とランチに来ていた。シカゴ風ピザが食べられる店がオープンしたと聞きつけ、女子社員四人でシェアしながら食べている。深皿で具材がたっぷりと乗せられたピザは、見た目どおりボリュームがあった。大人数でピザを食べると、一度に何種類もの味を楽しむことができていい。


「佐倉さん、週末バスケ見に行かない?関東リーグがあるの」

「ごめん、週末はちょっと」


 同僚の多田は、小中高とバスケ部で、社会人になってからもよく試合を見に行っている。麻衣も何度か一緒に行き、バスケのルールを完全に覚えられた。試合を見るのも楽しいが、今週末はやりたいことがあった。


「あっ、デートでしょ」


「違う違う。ちょっと、ボランティアに行こうと思って」


「なに、どういう風の吹き回し?」


 同僚が身を乗り出して尋ねてくる。ボランティアに行くと言うだなんて、何だかくすぐったい。


「この前、友達に誘われて行ってみたんだけど、思いのほか楽しくって」


 ただの善人にはならないようにしたかった。人助けをして気持ちいいから、とかそういう理由にはしたくない。

 ただ、自分が楽しかったから。また楽しみたいから行くだけだ。


「すごーい!」

「休みの日に、尊敬するわ」


「違うよ。いいことしようとか思ってるわけじゃないから」


「なんか、最近の佐倉さん楽しそうだもんね」


 多田の言う意外な言葉に、首を傾げる。少し前はアプリ開発のことでうんうんと唸っていたが、今はそんなに楽しく見えるのだろうか。


「アプリの企画が落ち着いたからかな」


「違うよ、もっと前の話!仕事も今は楽しそうな雰囲気だけど、夏ぐらいからかな。生き生きしてて、彼氏できたのかななんて話してたんだよね」

「そうそう」


「で、まさか小浦さんとじゃないかってね!」

「「きゃー!」」


「違うよ、もう!」


 昼は久しぶりに賑やかなランチを過ごした。

 思いっきり笑って楽しかったが、多田たちが言っていたのはいつの話だろう。生き生きなど、していただろうか。




 ボランティア募集とネットで調べると、多種多様なボランティアがあった。障がい者や子どもへの支援、街の景観づくりなど、内容は多岐にわたる。難民の支援は、その中でも数少ないものだったと調べてわかった。


 ひとつずつ詳細を見ていく中で、これならやれるかも、と思ったのは子どもへの教育支援だ。

セブ島で体験したのが子どもを対象としていたからか、またあんな笑顔を見たいと思っていた。


 教育支援のボランティアに絞っても、そのやり方は多様にある。ボランティアスタッフとして登録し、児童館や学童クラブに派遣されるものや、週末に集まり、スポーツやレクリエーションをして子どもと親睦を深めるものなど、ボランティア団体によって様々な支援方法があるようだ。


 悩んだ末に、麻衣はボランティアスタッフとして登録することにした。勉強の他に子どもとスポーツをしたり、キャンプに引率したりするのはハードルが高いと思ったからだ。やることが大きければ大きいほど引率する大人の数も増え、またそういうスタッフは大学生が多いので麻衣は気後れしていた。



 登録して数日経った頃、案内メールが来た。麻衣にボランティアに来てほしい、というメールだ。ついにきた、とメールを開くと、誘いは小さなボランティア塾からだった。


 ボランティアで、塾なんてあるのだろうか。

塾といえば、子どもを持つ家庭が料金を払って通わせるものだ。それがいまや無償の時代になってしまったのだろうかと、時代の移り変わりを感じた。それからボランティア塾のことを調べると、無償で子どもに教育する熱心な塾があるという記事が出てきたが、麻衣の行く先とは違った。麻衣が行く予定のボランティア塾の名前を検索しても、ヒットすらしなかった。


 とりあえず、行くだけでも行ってみようと参加する旨を返信すると、週末の土曜日に来てほしい、という連絡事項が来た。初日は説明があるので、早く着くようにしてほしいとのことだ。


 大学を卒業してからまだ三年とはいえ、中学時代から十年は経っている。参加を決めたものの、いざ行くことが決まると教えられるだろうかと不安になっていた。


 ボランティアに参加することを、瞬に報告しようか悩んだ。話せば、きっと喜んでくれるだろう。

だが、麻衣はどこかむず痒いような、恥ずかしいような気持ちでいた。報告してしまえば、あなたの影響でボランティアを始めましたと言っているようなものだ。それは恥ずかしいし、少しばかり癪に障る部分が邪魔をして、麻衣は瞬に報告できないでいた。


 それに、現在瞬がいる国はヨーロッパのどこかだ。日本とヨーロッパの時差は、八時間にもなる。メッセージのやり取りは、一日に二往復が限界になっていた。

朝、麻衣が瞬にメッセージを送ると、仕事が終わった頃に返事が来ているので、それに対して返信する。瞬からの返事は夜中のうちだ。最近はそんなルーティンでやり取りをしている。


 電話もめっきりと減った。電話をするとなると、電話の時間に合わせて日中の行動を制限したり、寝る時間をずらさなければいけなくなるほど、互いの生活時間がずれていた。


 瞬が今、どこにいるのか知るだけで精一杯だ。ヨーロッパは面積が小さい国もあり、すぐに国を移動してしまうと、感想すらも聞けないことがある。


 だが、麻衣は瞬が前に進んでいる証拠だと思い、気にしないことにした。進めば進むほど、日本に帰って来る時間もやがては来る。麻衣は麻衣で、自分の時間を大切にしようと思い、そこで踏み出したのがボランティアだ。自分なりに考えだしたことでも、瞬の影響を大きく受けている、と麻衣は自覚していた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る