5-4

「・・・と、ごめん。リーダーに今日の終了報告してくる」


 瞬が携帯を持って外に出る。窓の外からは夕日が射していた。そろそろ帰らなければいけない時間だろう。


 静かになった二人の空間で、アデルは口を開いた。


「瞬が世界一周すること、最初に相談されたのは俺なんだ」


 どこか一点を見続けるアデルを不思議に思った。


「将来難民の支援をするために、世界を周りたいって。聞いた途端、俺は自分を恨んだよ」


「どうしてですか・・・?」


 先ほどの様子とは違う、神妙な面持ちでアデルは話し始める。二人の様子からするに、アデルは瞬を応援しているようだった。なのに、なぜだろう。


「俺のせいだって。俺が引きこもってたから、瞬を焚き付けてしまった。もっと俺みたいな人たちを救いたいって、きらきらした目で言われたんだ。その頃には瞬とは何でも話せる仲になってた。学校のやつらでもない、家族でもない、しがらみのない仲間って言えばいいのかな。それが心地いいみたいで、俺が外に出られるようになってからも瞬はうちに来て、学校のこととかその日あったことを報告し合ってたんだ」


 懐かしむようにアデルは昔話をする。麻衣は、ただ話を聞くことしかできなかった。


「世界は危険だろう?いや、他の国のやつらなら俺もここまで止めない。ある程度自衛ができるからな。幸せなことだが、日本は安全すぎる。初めて日本に来たときは、何て平和ボケしたやつらだって思った。店で飯を買いに行くのに、荷物を席に置いていくだろう?あんなの、盗んでくれって言ってるようなもんだ」


 麻衣にも心当たりがあるほど、その光景はよく見かける。


「俺も最初のうちはすごく反対した。言われたよ、アデルならわかってくれると思ったのにって。でも俺だって瞬が心配だった。日本にいたら安全なのに、どうしてわざわざ外に出る必要があるんだって、何度も瞬に言った。ボランティアなら日本でいくらでもできるだろうって。でもな、麻衣さんもわかると思うけど、あいつの気持ちは決まってた。最終的に、俺は折れたよ。絶対無事で帰って来いって約束してな」


「瞬くんは嬉しかったと思いますよ。アデルさんが応援してくれて」


「俺が応援するって言ったときの瞬は、本当に嬉しそうだった。あんなに嬉しそうな瞬を見たのは、俺が外に出られるようになって以来だ。だから、もし他のやつらが反対しても、俺は応援しようって決めたよ。行くまでに海外の心得をたくさん叩き込むことにしてな」


 瞬が語った夢に対して麻衣が応援すると言ったとき、瞬はとても喜んでいた。それほど、瞬は周りの人から反対されていたんだろう。


「麻衣さんも応援してやってくれよ。あいつも喜ぶ」


 アデルの言葉に、心がちくりとする。応援はしているが、本当はとても心配だ。

一度応援すると言った手前、なかなか心配だとは言えない。素直に言えたら、どんなにいいだろうか。


「・・・私は、夢を追いかけている瞬くんとしか会ってないから、こうするしかないんです」


 アデルに言葉を返すまでに、時間をかけた。


「私も、日本を出る前の瞬くんと仲が良くて、止められる立場にいたなら、反対していたと思います。でも私が出会ったのは、もう走り出している瞬くんだったから。私は受け止めて、応援するしかなかったんです」


 いつの間にか、麻衣の目に涙が浮かんでいた。


 応援していたのに、彼の夢が叶うことを願っていたはずなのに、心の中ではずっと心配していた。返信が来るのが遅ければ無事を心配し、時差が広がれば広がるほど、交わせなくなるやり取りに心が擦り切れそうだった。


「でも、私は応援してます。夢に向かっている瞬くんも、今日一日見た瞬くんも、すごくかっこよかったから」


 そう言い切ると、アデルは目に涙を溜めてうんうんと頷いていた。


「ありがとな、麻衣さん。瞬のことをそこまで思ってくれて・・・。きっと、海外で出会ったのも何かしらの運命だったんだろうな」


 しんみりとした空気だったが、アデルから運命という言葉が飛び出すものだから、くすっと笑ってしまった。


「運命、信じてるんですか?」


「笑ったな。全部運命なんだよ。俺と瞬が出会ったのも、瞬が俺を連れ出してくれたのも。麻衣さんと瞬だって、海外で出会うなんてすごい確率だろう。これは絶対、何かの縁だよ」


「意外と可愛いですね、アデルさん」


 ふふ、と笑うとそうだろう、と涙を手でぬぐう大男が答える。なんて似合わない組み合わせだろう。


 瞬が中に入ってくる音がしたので、大急ぎで涙を拭った。


「どうしたの?!何で二人して泣いてるの?!」


「あの・・・私の実家で、昔飼ってた猫の話をしてね・・・」


 麻衣はとっさに取り繕った。


「そう、実は俺は大の猫好きでな」

「アデル、そうだっけ・・・・?」


 思い付きの言い訳で誤魔化したが、瞬は信じてくれたようだった。




「じゃあアデル、またね」


 アパートの外で見送られる。瞬とアデルは、またしばらくのお別れだ。


「楽しんでこい。無事で帰って来いよ」

「もちろんだよ」


 二人は強く抱き合った。アデルの抱擁は力強く、瞬は苦しそうだったが、それが嬉しいらしかった。麻衣とアデルも握手で別れた。


「麻衣さんも、また会おう。瞬が帰ってきたら盛大に迎えようぜ」


「もちろんです。楽しみにしてます」


 夕日が小さく射す、夕方と夜の境目だった。瞬と麻衣が視界から消えるまで、アデルはずっとずっと見送っていた。


 荷車を施設に置き、駅に着く。

 麻衣と瞬も、駅でお別れだ。


「今日はありがとう。誘ってもらえてよかった。ボランティアも楽しかったし、アデルさんとも会えてよかった」


 本音を語り合うほど、アデルと打ち解けたのは内緒だ。


「僕の独りよがりな一日でしたけど、楽しんでもらえてよかったです。やっぱり麻衣さん、ボランティアの才能ありますね」


 もう、何それとは言わなかった。


「私もそう思ってきたところ」


 受け止めた笑顔で返した。ホームに入ってくる千葉行きの電車を見ると、一気に名残惜しくなる。


「また新しい国に行ったら、連絡してね」


「はい。写真いっぱい送りますね」


「それじゃあ」


「また」


 反対方向へ向かう電車に乗った瞬に、麻衣は手を振っていた。駅のホームで、電車が見えなくなるまで、ずっと。



 涙が出るほど、大事な人になっていたみたいだ。アデルと話したとき、堰を切ったように気持ちが溢れ、止められなかった。


自分の中で、それほど大切な人になっていたなんて。



 電車の中で、すっかり暗くなっている外を見る。目に映った上り坂は、荷車を押して瞬と上った坂だろうか。



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