5-3
「すみませんこんな道で。しばらく通ってなくて、こんなにつらいの忘れてました」
「ううん、近道なんでしょ。上れてよかったよ」
坂を上り切ると、先ほどの集落よりも古く見えるアパートが数棟建っていた。陽が傾いてきたせいでアパートが作る影は長くなり、不気味な雰囲気が漂っている。
「ここに三人目が住んでるの?」
「はい・・・僕の、会わせたい人が住んでます」
え、と驚く暇もないまま、瞬は電気ストーブを持ち、二階へと上がった。慌てて麻衣も荷車に残っている毛布とホッカイロを持つ。
アパートは年季が入っており、階段を歩くとギシギシと不協和音が鳴った。今にも底が抜けそうで、麻衣は恐る恐る一歩ずつ足を踏み出す。
「ここが僕のきっかけなんです」
「きっかけ?」
きっかけとは、どういう意味だろう。
瞬が階段を上がりきり、あるドアの前で立ち止まるとノックした。
ドアが開くと、黒人の男性が出てきた。その大きく逞しい体つきに、麻衣の表情はまた強張る。男性の腕の筋肉は盛り上がっており、体格が大きいだけでなく、しっかりと鍛えているような体だった。
「アデル!」
今までの雰囲気とは違い、瞬は慣れ親しんだような声を掛ける。会わせたい人と言っていたし、知り合いなんだろうか。
「瞬じゃないか!久しぶり!」
アデルと呼ばれた男性は、流暢な日本語で話し始めた。先ほどの二人とは打って変わり、日本人に近い日本語だ。
「アデル、久しぶり!日本に帰ってきたよ」
「よく無事で帰ってきたな!おっそれはストーブか!」
「壊れたっていうから、しょうがなくね。余りが出たからよかったよ」
アデルは、電気ストーブを嬉しそうに受け取った。どうやら三人目はこのアデルのようだが、その様子は来たばかりの難民とは思えなかった。
「そちらは?」
アデルの声に、麻衣に視線が集まる。
「紹介するよ、こちら麻衣さん。今日は備品を一緒に配給してきたんだ。麻衣さん、こちらはアデル。五年前に難民認定されたんですけど、備品が壊れてはこうやってたかってくるんです」
「おい、たかるとは失礼な!」
「僕が高校生のとき、初めてボランティア支援をしたのがアデルです」
文句を言うアデルを他所目に、麻衣は瞬と初めて会話した日のことを思い出していた。
『高校の行事で難民を受け入れてる施設にボランティアに行ったんです』
確かにそう言っていた。
そうか、この人が施設にいた難民だったのか。
「初めまして。よろしく」
「よろしくお願いします」
差し出された手を握ると、アデルは力強く麻衣の手を握った。
中に促され、アデルの部屋に入る。部屋はエキゾチックな絨毯が敷かれていたり、壁に木製の人形が飾られていたりと、故郷のものと思われる雑貨が多かった。
「だいぶ早い帰りじゃないか」
「一時帰国してるんだ。まだ旅は続けるよ」
三人で居間のテーブルを囲むように座る。テーブルはアジアンテイストが染み出した、模様が彫られている木製の造りだ。
「にしても、五年でストーブ壊す?乱暴に使ったんじゃないの?」
「普通に使ってただけだ。貧弱なんだよ」
「機械に貧弱とか言うなよ」
瞬とアデルが笑い合う。敬語でない、軽い言葉を使う気さくな瞬の姿が新鮮だ。二人は、見えない信頼関係で繋がっているようだった。
「アデルさんは日本語が上手ですね」
「四年前ぐらいから必死に勉強してな。瞬のおかげだよ」
「瞬くんの?」
とっさに麻衣は瞬の方を向いた。
「なんだ、話してないのか?ケチケチしやがって」
「変な日本語ばっかり覚えるなよ。アデルのプライドに関わるから、アデルから話してもらおうと思って」
どうやら瞬は、アデルとのことを話すために麻衣をここに連れてきたらしい。瞬の過去の話ならば、ぜひ聞きたいところだ。アデルはえーと、と思い出すように話し始めた。
「さっき瞬が言ってたけど、俺は五年前に難民と認定されてな。認定されるまでに二年もかかったんだ。日本にいながらのその二年はすごくつらかった。いや、故郷にいたときの方が命の危険があってもっとつらかったはずなんだが・・・知り合いがいなくて、世界に俺一人だけって感覚が、すごくつらかったんだ」
アデルが昔を思い出すように目を細める。つらい話をさせているのかと思ったが、苦しい表情はしていなかった。
「それから難民認定された後も、俺は塞ぎ込んでた。仕事の紹介なんかもしてもらえるようになったのに、誰にも会いたくなかった。故郷に帰りたくてたまらなかった。そんなときに訪ねてきたのが瞬だった」
「あれ、その話って・・・」
少し聞き覚えのある話だと感じた麻衣は、瞬に顔を向ける。
瞬が高校生のときに難民へのボランティアをしたことは聞いていた。そのとき、馴染めなくて引きこもっている難民がいたと言っていたが、まさか。
瞬は麻衣の表情を察したのか、それを言い当てた。
「馴染めなくて、部屋に引きこもってた難民がアデルですよ」
「ええ?!」
麻衣はゆっくりとアデルに向き直る。そのさまからは、引きこもっていた人とはにわかに信じられなかった。現在のアデルの外見は、屈強で強面な黒人男性だ。
「そんなに驚かなくても」
「だって、全然そんな風に見えない」
「何だ、やっぱり俺のこと話してたんじゃないか」
「旅のことを話すついでに少しね。麻衣さんには、僕の夢の話もしてるんだ」
それを聞いたアデルは、一瞬驚いた表情をしたように見えた。
「懐かしいね、そのときのアデル」
「当時の瞬は可哀想だったなあ。高校の行事で来ただけなのに、俺は出て行けとか構うなとか、殺すぞとか言って殴り掛かったんだよな」
「それ、張本人が言うなよ」
「しゅ、瞬くんは大丈夫だったんですか?」
聞いただけでぞっとする話だ。今の瞬でさえ小柄なのに、高校生の瞬が大柄なアデルに襲い掛かられたらと想像するだけで肝が冷える。
「はは。周りのやつらに止められて未遂に終わったよ。そんなことしてたから、誰も俺には手を付けられなくてな。今思えば、施設の職員にも見限られてたと思う。でもな、瞬だけはそれから毎日、ここに通ってくれるようになったんだ」
「毎日、ですか?」
麻衣は思わず聞き返した。
「そう、その日から毎日、学校帰りに寄ってくれるようになったんだよな」
「自転車でここまで通うの、いい運動になってたよ」
「毎日俺を外に出そうとしてくれてたよ。部屋を掃除してくれたり、飯を作ってきてくれたり、ゲーム持ってきてくれたり。あのときの部屋は、今の俺でも思い出したくないぐらい酷いのに、瞬は凄かった」
感慨深く頷いたアデルに、瞬が意地悪く笑う。
「部屋で土足は当たり前で、トイレもペットボトルとか、ビニール袋に放置してたんですよ。」
「お前、女性の前でそれを言うか」
アデルは瞬に噛みついたが、麻衣の顔は引きつっていた。引いているという方が正しい。
以前、部屋が動物園の檻の中より酷いと言っていたが、そういうことだったのか。
数ヶ月ごしに、瞬の言葉の意味を理解する。確かにそれは、人間の暮らしとは思えない。
「そういうの、一つずつ綺麗にしてくれたり、日本語教えてくれたり・・・そうしているうちに、瞬には心を開けるようになってな。外に連れ出してくれたんだよ。施設の職員たちも驚いてた。半年ぐらいはかかったよな」
「そうだね、アデルはしぶとかった」
「言うじゃねえか」
二人が笑い合う。二人は、肌の色も育った国も違うけれど、すっかり気の許せる間柄のようだ。話しぶりから、もうわかってはいたけれども。
「それが僕の夢のきっかけになったんです。何でこんなに一生懸命になれるんだろうって、自分でも思ってました。雨の日も寒い日もここに通って、友達とか、職員さんにも止められたんです。でも外に出たときのアデルを見て、続けてよかったって思いましたし・・・自分の夢が見えた気がしたんです」
「WinーWinってやつかな」
「はは、そうだね」
二人は、支援という枠を超えたんだろう。
その先は、友達か、仲間か、別の形か。二人の関係の形はわからないけれど、二人にしかわからない、とても素敵な関係がそこには生まれていた。
「高校のボランティアのこと、詳しく知らなかったのでびっくりしました。アデルさんはその頃から逞しかったんですか?」
アデルと瞬が顔を見合わせる。悪戯っ子のように二人はにやりと笑っていた。
「初めて会ったときはなあ・・・」
「ガリガリだったよね」
「ええ?!」
想像できない。目の前にいるのは、なんとかブートキャンプをいまにも踊り出しそうな屈強な黒人男性だ。
「ろくに食べてなかったんでね。今の体は、ちゃんと働いてから作ったものだよ。ところで、俺からも聞いていいかい?」
「はい」
アデルの目は麻衣に向けられていた。
「麻衣さんは、大学の友達?」
「いえ、社会人です」
若く見られたことに反応し、少し照れる。
「麻衣さんとはフィリピンで会ったんだよ」
「フィリピンって・・・あのフィリピンか?」
瞬が頷く。
「そう。英語を勉強しに行ったセブ島で知り合ったんだ」
「へえ、旅行中にかい」
「そう。それで日本で会おうってなって。ですよね」
麻衣も頷いた。
「お前、海外でナンパしたのかよ。やるじゃねえか」
「ぶっ!違うよ、ナンパじゃない!」
こんなに焦った瞬は初めてだ。吹き出すなど、瞬らしくもない。
「私たちも、話せば長いね」
「そうですね・・・あんまり話したくないな、絶対馬鹿にされる」
「そう言われちゃ、聞くしかねえな」
麻衣と瞬の出会いも、最初から話した。予想通り、瞬の持ち金が足りなくなったくだりで、アデルはにやにやと悪い笑みを浮かべていた。こうして人に話してみると、麻衣と瞬もそう単純な出会いではなかった。
「女性に奢らせるとか、あり得ないだろ。しかも海外だぞ?お前、返さないでトンズラする気だったろ」
「僕は返す気満々だったよ!そういえば、まだ返せてませんでした。すみません」
「ううん、それはもういいんだよ」
アデルはお国柄、というやつか男性としてのプライドを持っているようだ。日本の若者言葉を我が物のように操っているのにも、感心する。今日会ってきた二人も、いずれはこんな風に、日本語を自分のものにしていくのだろうか。
「まあ麻衣さん、こんなやつだけどこれからもよろしくな。何かあったら助けてやってくれよ」
「お前は親かよ」
二人がまた笑い合う。アデルと出会えて、普段の瞬とは違う一面を知ることができたような気がする。アデルを紹介してもらえてよかった。
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