5-2
歩道は綺麗に舗装されており、荷車が通る道としては歩きやすかった。道が広く、二人が並んでも更に一人分通れるスペースがあるほど余裕だ。
「そういえば、私が考案したアプリのテストが始まったの」
「えっ、アプリって、前に話してた僕のアイディアを元にしたっていう・・・」
「そう。そのアプリだよ」
あの発表会以降、企画書を修正しては小浦に文句を言われ続け、やっといいだろう、というGOサインを出されるまでに至った。
それから数ヶ月後のつい先日、テスト版のアプリが完成した。まだテスト版とはいえ、自分が企画したものが実になる感覚は、とても嬉しいものだった。
「確か、位置情報を利用した写真保存アプリでしたっけ?」
「それが大幅に変わったの」
小浦の一声から、写真の保存よりも旅行者向けに方針が変わった。それから麻衣はユーザーを旅行者に絞り、様々な企画を考案してきた。
麻衣はトレンチコートのポケットからスマートフォンを取り出し、画面を開いた。
「これなの、見て」
「わ、世界地図ですか?」
そのアプリの名前は『メモリアルマップ』だ。世界地図をアイコンにしたそのアプリを開くと、画面いっぱいに世界地図が広がった。
緑色の世界地図だが、麻衣が現在いる日本はピンク色に色付いていた。
「日本がピンク色になってますね・・・あれ、イタリアと、フィリピンと・・・ここはタイかな。ここもピンク色になってる」
「そう、行った国がひと目でわかるの。行った国と写真を登録すると紐づけされて、ピンク色になるの。その国を押すと、登録した写真が出てくるよ」
「へえ・・・」
瞬は興味を示したようで、ピンク色に色付いているタイを指でタップする。すると細かい街に分かれ、麻衣が訪れたバンコクの隣に、行った先で撮ったのだろう写真が出てきた。
「わあ!すっげえ!」
「でしょでしょ!」
日本から出たことのない社員からはつまらない顔をされたが、麻衣のように海外へよく行く同僚からは好評価だった。小浦はそれを見越して、一部のユーザーからの票を取りに行くことを狙ったらしい。
「いいですねこれ。世界征服した気分!」
「何それ」
瞬の言いぶりに笑うが、その気持ちは理解できる。まるで集めた図鑑を眺めているような、各国をコレクションしているような気持ちになるのだ。
「それで、瞬くんにもテストしてもらいたくて」
「えっ」
「駄目かな?」
瞬が日本に立ち寄るとわかってから、試してほしいとずっと考えていた。形は大幅に変わったが、そもそもの原案者は瞬だ。
「使ってみたいです!」
「よかった。一番いいデータが集まるのは瞬くんだと思って、試してほしかったの」
瞬のスマートフォンにテスト版アプリをダウンロードする。ニックネームを登録すると、すぐに瞬の世界地図が表れた。
「すっげえ・・・僕、今まで行ったところ全部登録しますね」
「楽しみにしてる。テスト版では私たちしかユーザーの情報が見られないんだけど、いずれはユーザー同士でそれぞれの地図を見られるようにする予定なの。そしたら旅行者同士で交流ができて楽しくなるよね」
「麻衣さん、本当にSEっぽいです・・・かっけえ」
「SEじゃないってば」
自分が生み出したかのようにすらすらと説明したが、実際にここまで育ててくれたのは、ほぼ小浦だ。色付くように視覚情報に訴えると効果的であることも、ユーザー同士の交流の場を作ることも、小浦の意見が元になっている。
「私は瞬くんの意見を参考にして企画したけど・・・本当はね、職場のできる先輩がほとんどしてくれたの。私は・・・何もしてないんじゃないかってぐらいで」
言葉にすると、一気に惨めな気持ちになる。企画をしているものの、実際には何もしていないのではという負い目を麻衣は感じていた。
「麻衣さんもその先輩と一緒に考えたんですよね?」
「うん・・・まあ、少しはね。そのピンク色になるところとか」
緑色がピンク色に色付くさまは、桜が花咲くところをイメージした。お花見という文化があるほど日本人にとって桜は身近な存在で、遠くにいても日本を思い出せるのではないかと思ったからだった。
「この色、桜を見てるみたいで好きですよ」
「・・・ありがとう」
意図が伝わっているのは、気持ちを汲み取ってもらえたようで嬉しかった。
アプリのことを話しながら瞬と歩いていると、平屋の住宅が連なっているのが見えてきた。同じ形の家が何軒も連なり、違うのは屋根の色が赤か青か、そんな違いだけのようだ。
瞬はその家の前に出ている表札を一つ一つ見てまわり、ある家の前で立ち止まった。
「ここですね」
「タ・・・ボー・・・?」
「タボですね。事前に連絡してあるので、いるといいんですけど」
瞬が呼び鈴を鳴らすとドアが開き、中から大柄な黒人男性が出てきた。あまり対峙することのない黒人に、麻衣は体が強張る。
「こんにちは、タボ。荷物を届けにきました」
「コンニチハ」
瞬の挨拶に、タボは片言で返した。ドゾ、と部屋の中に案内されたので、麻衣は瞬とともに暖房器具を持って部屋に入った。
タボの部屋は、殺風景だった。家具はなく、あるのは布団だけだ。タボは土足のまま部屋に入ろうとし、一歩進んだところではっと靴を脱いだ。まだ靴を脱ぐという文化に慣れていないようだった。
「これは電気ストーブね」
瞬が電気ストーブのコンセントを差して電源を付けると、温かい空気が出始める。タボが使い方を理解したとわかると電源を消したが、タボはまた電源を付け、温風に当たり始めた。すでに寒さを感じていたらしい。
「これは、ホッカイロ」
瞬がホッカイロを手に持つ。
「ホッカイロ」
慣れない言葉を咀嚼するようにタボは繰り返した。
瞬がホッカイロの封を切り、中から取り出した灰色の袋をしゃかしゃかと手でこする。何度かこすり合わせた後、ホッカイロをタボに渡すと、温かいことに驚いたようだった。
「あっ」
しかし次の瞬間、タボは灰色の袋を破ってしまった。中から飛び出した鉄の粉が床に降りかかったが、瞬は気にしていないようだった。
瞬はタボに向かって、開けるのはいけない、とでも言うように指で×印を作っている。日本語が得意でないタボに、身振りで使い方を教えているようだった。
おそらく、瞬はわざと袋を破らせたんだろう。言葉を使わずに使い方を教えるには、それが手っ取り早い。
教えることに慣れているんだろう、その瞬の様子を麻衣は眺めていた。
「じゃあね」
「アリガトウ」
暖房器具を渡してタボの家を出ると、外には同じ形をした平屋が広がっていた。麻衣はその光景に疑問を抱く。
「ねえ、ここってもしかして、みんな難民が住んでるの?」
「そうです。施設が借り上げて、ここに住んでもらうようにしてます。近所に同じ境遇の人がいた方が不安もないですし」
「そうだね、先輩がいたら安心だよね」
「でも、日本人からしたら怖いみたいですね。難民が集まる場所って」
「・・・・・確かに」
実際、麻衣が初めてタボを見たときは、怖気づいた。外国人が多いと、どこか近寄りがたい雰囲気を持ってしまう。
「それで、あそこにあった児童館が移転しちゃって、施設の拠点にさせてもらってるんです」
「えっ、そうだったの?」
施設の裏話にそんな話があったとは驚きだった。
「近所に難民が集まってるっていうのは、子どもの親としては怖いみたいで・・・いろいろと要望があったそうです。今は難民のイメージが先行してるんですけど、僕はそれを払拭したくて。ここで、難民と近所の人との触れ合いワークショップをやってたんですよ」
確かに、全く触れ合わないのと、付き合いがあるのではイメージが変わってくる。麻衣も初めはタボが怖かったが、接した後は平気になっていったのは事実だった。
「もしかして私に会わせたい人って、ここの外国人さんたち?」
電話で会わせたい人がいると言われていたことを、麻衣は忘れていなかった。
「うーん、惜しいですね」
「もー!そろそろ教えてよー!」
「すぐにわかりますよ」
次の人を探しているのか、表札を一つ一つ見てまわる瞬にねだるも、まだ教えるつもりはないようだった。
「次はサラ・・・ですね」
呼び鈴を鳴らすとドアが開き、中から妙齢の黒人女性が出てきた。
「こんにちは。今日はありがとう」
「すごい、日本語話せてる」
「仕事してるので、少し覚えました」
サラが話す日本語は流暢だった。タボは片言の単語で話していたが、サラはしっかりと文章で話している。
「これが電気ストーブで、こっちが毛布で、これがホッカイロです」
「ホッカイロの使い方は・・・」
「わかります」
瞬の説明を遮ると、サラはホッカイロの封を開け、しゃかしゃかと振り始めた。
「仕事の人に教えてもらったんです」
「すごい、完璧!」
「寒くなってきたので助かりました。ありがとう」
雑談を交えて、サラへのサポートは滞りなく終わった。
「この調子じゃ、すぐに終わりそうですね」
サラの家を出た二人は、三人目の住まいに向かう準備をしている。荷車の中は残り一人分だけになっていて、すかすかだ。
「私、何でわざわざ器具を配りに行くんだろうって思ってたの。三人を集めて配れば早いのに、届けてあげるなんて優しいなって」
これまでの二人を見て、麻衣はその理由に勘づき始めていた。
「みんな、状況が違うんだね。タボみたいに丁寧な説明が必要な人もいれば、サラみたいに全然いらない人もいる。だからわざわざ届けてあげるんだね」
「いや、重いからですよ。落として、電気ストーブを壊されたらたまりませんから」
「ええ・・・」
麻衣は恥ずかしさで縮み上がった。
「でもその視点、好きです。一人一人と会って話した方が暮らしぶりもわかりますからね」
瞬はフォローしてくれたが、赤面した麻衣はしばらく黙っていた。
「残る一人は別の集落にいます」
荷車がぐんと軽くなったようで、瞬はすいすい進んでいく。来たときのように、麻衣も横に並んで一緒に歩いた。
「こっちを通りましょう。ちょっとつらいんですけど、近道なんで」
「つらい?」
瞬が言った意味はすぐにわかった。最初は平坦な道が続いたが、右に曲がったところでひどく急斜面の坂が表れた。それも荷車と相性の悪い、上り坂だ。
「あー重っ・・・!」
軽くなったものの、荷車の全体重と重力が、容赦なく瞬に襲い掛かる。それまで軽々と運んでいた瞬の歩みが遅くなった。涼しい気温だというのに、坂を上る瞬の額にはだんだん汗が滲んでいく。
その様子を隣でじっと見ているなど、麻衣にはできなかった。
「麻衣さん、大丈夫ですよ!僕、運べますから」
「いいの、私にも手伝わせて」
隣を歩いていた麻衣は荷車の後ろに回り、両手で押し進めた。
荷車は重かったが、二人で進めれば何のそのだ。押す力が合わさり、瞬の歩みは元のペースに戻っていく。
荷車を引く瞬の後ろ姿を見て、麻衣は考えていた。こんな、青春映画を見たことがあるような気がする。あれは、荷車でなく自転車だったろうか。
その映画の主人公たちは、自分たちの夢や目標を語り、それに向かってきらきらしていた。
上り坂を自転車で上り切るその表現は、今思えば、彼らの心境を表していたのだろうか。
そうだとしたら、今の私たちは何に向かっているんだろう。なんて、映画の物語を自分たちに投影できるほど、何者かになったつもりはないけれど。
似たような状況が、麻衣の心に問いかけてきた。
私は、どこに向かおうとしてるんだろう。
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