5-1



「麻衣さん、こっちです」

「待って瞬くん」


 ボランティア施設へと向かうためにホームへ急ぐ瞬を、麻衣は追いかけていた。ごった返す東京駅の人の波を、二人でかき分けているところだ。


 休日の東京駅は旅行客が多く、いつもより人出が多い。一度目を離したら見失ってしまいそうで、麻衣はずっと瞬の背中を見続けていた。


「この電車です」


 瞬に続き、慌てて電車に乗る。千葉方面に向かうらしい。


 二人並んでつり革につかまると、ようやく目の前に瞬がいるという実感が湧いた。久しぶりだというのに、会うや否や「お久しぶりです麻衣さん。それじゃ行きますよ」と弾丸のように発射した瞬を追いかけることで精一杯だった。


 普通は再会を喜び合ったりとか、少し話してから出発するものじゃないの?と麻衣は横目で瞬を睨む。

当の瞬は流れる外の景色を眺めていて、その横顔は精悍な顔つきをしていた。


 初めて瞬と会ったのは、四ヶ月前だ。たまに送られてくる写真でも見ていたが、それから肌は黒く焼け、体は少し細くなったような気がする。けれどその顔つきは、どこか責任感のような、しっかりしたような、目に強い魂を宿したようなそんな顔をしていた。


 じっと見ていた麻衣に気付いたのか、瞬が振り向いた。ちゃんと目が合うと、何だか気恥ずかしい。


「セブ島とは雰囲気が違いますね」

「え、私?」


 瞬がこくんと頷く。


「お姉さんって感じ出てます」


 セブ島では暑くて髪を結っていたが、今日はセミロングの髪を降ろして毛先を緩く巻いていた。日本では大体そうしているが、瞬に見せるのは初めてだ。


「いい感じかな?」

「可愛いですよ」


 ノリで言ったものを、真面目に返されると照れてしまう。顔を赤くした麻衣は、窓の方を向いた。


「なんか、褒め上手になった?」

「はは、コミュニケーション力はだいぶ付いたかもしれないですね」


 電車が進み、乗客が少なくなると麻衣と瞬は横並びで座った。


「今日はどんなことをするの?」


 事前に質問していたが、当日のお楽しみです、の一点張りで何も知ることができなかった。


「今日は日本にいる難民のサポートをします」

「サポートって・・・どんなこと?私、日本に難民がいることも知らなかった」


 言い放ってからはっとする。確かセブ島のときも、ストレートチルドレンがいることすら知らないと宣言していた。無知であることに恥ずかしくなったが、瞬は気にしていないようだった。


「そうですね、あまり知られてません。受け入れはしてるんですけど、外国に比べて受け入れてる人数がすごく少ないんです。日本の法律が厳しくて、増やせないんです」


「じゃあ、法律を変えたらいいの?」


「うーん、緩くすればいいってものでもなくて・・・偽装した難民が入国するケースも増えてきたので、複雑になってきてて難しいんです」


「瞬くんは物知りだね」


 すらすらと出てくる瞬の知識に圧倒される。


「興味があるからですよ。あまり詳しくないのに、ついてきてくれる麻衣さんの方がすごいです」


 ふふん、と麻衣は笑顔で応えたが、それは、瞬と一緒にいれば楽しい体験ができるだろうと瞬を信じ切っているからだ。


 駅を降り、二人はまばらな人混みの中をしばらく歩いた。

季節は本格的な秋になろうとしていて、東京でも紅葉が見られる気温になっていた。


「紅葉を見られると思ってませんでした。ラッキーだったな」


 瞬が嬉しそうに、赤や黄色に色付いた木々を見上げる。日本では当たり前にやって来る四季の変化は、海外では見られないことが多い。海外旅行は楽しいが、行くと決まって気付くのは日本の美しさだ。


「いい時期に当たったね」

「そうですね。親友に感謝しないと」


「そういえば、結婚式はどうだった?」


 結婚式は先週末だったと聞いていた。聞いた途端、瞬はすごくよかったです、と興奮気味に話し始めた。


「やっぱり帰ってきてよかったと思いました。行けなかったら、一生後悔してたと思います。招待状を返す前に、共通の友達がアドバイスくれて。サプライズで登場してみたらって提案してくれたんです。その友達と新婦さんとで計画立てて、親友には黙って出席してみました」


「じゃあ、親友さんは当日まで知らなかったんだ」


「はい、だからすごく驚いてて。新郎新婦が入場して、少し経ってから僕が登場するって流れで。なんだか主役みたいになってしまって、いいのかなって不安だったんですけど・・・親友が泣いて喜んでくれたので、結果的にやってよかったなって思いました」


 海外にいるはずの友人が、結婚式に駆けつけてくれる。喜ばない人などいないだろう。

 麻衣はその情景を想像し、目を潤ませた。


「最高の演出だね」

「ちょっと、何で麻衣さんが泣いてるんですか」


 瞬は混乱しているものの、どこかその顔は笑っている。


「なんか感動しちゃって。年取ると涙腺弱くなるんだよね」


 麻衣は笑いながら目尻の涙をぬぐった。


 以前麻衣が感じた、瞬の無事がわかってほっとした感覚を、瞬の親友も感じたのだろうか。そう思いを巡らすと、目を潤ませずにはいられなかった。



 秋らしい澄んだ空気の中を歩いていくと、こじんまりとした白いドーム型の建物が見えた。清楚な雰囲気のそれは周りの民家とはどこか異なり、ひと目で人の住まいではないとわかる出で立ちだった。


ここです、と瞬はその建物に近寄る。駅からだいぶ離れたその通りは人通りがなくなり、外からも建物の中からも音が聞こえないほど静まり返っていた。


 瞬はポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。


「他に誰もいないの?」

「はい。今日は僕たちだけです」


 前回のような大人数でのボランティアを想像していたので、麻衣は思わず、え、と声が漏れた。


「あ、話は事前に通してあるし、鍵も預けてもらってるので大丈夫ですよ」


 不安になったと思ったのか瞬は慌てて補足したが、驚いたのはそこではなく、二人きりで活動するということだった。


 その点に関しては瞬は何とも思っていないようで、まるで入り慣れた学校のように靴を脱ぎ揃え、廊下の電気をパチパチと点けていく。その様子を見ていると、本当にここに通っていたんだなあと過去の瞬が見てとれるようだった。


 麻衣も瞬の後に続き靴を脱いだ。靴下越しに感じる床は、秋の気温に促され、ひんやりと足の裏にまで伝わってきた。


 廊下の両脇には部屋があるのか、ドアが並んでいた。きょろきょろと周りを見まわす麻衣をよそに、瞬はすたすたと前に進んでいる。


「ここが施設?」


「そうです。元は児童館だったんですけど、無くなってしまって・・・改装して、集会場所にしたり物置にしてます」


 瞬に続いて奥の部屋まで進むと、確かにそこは物置のようだった。埃っぽい空気の中に椅子が重ねて並べられており、子どもが遊ぶようなおもちゃまで棚に飾ってある。


「今日は難民の人たちに毛布や暖房器具を届けます」

「暖房器具?」


 やっと具体的な活動内容を明かしてくれた。


「今日は、アフリカの人たちに暖房器具を届けます」


 瞬の話によると、日本が受け入れる難民はほとんどがアジア人らしい。ごくまれにアフリカ人もいるが、アフリカは温かい気候のため、日本の秋ですら冬のように寒く感じるという。


「冬を経験したことがないので、越えるのが難しいんですよね。この辺は寒くない方ですけど、アフリカは二十度を下回らない国もあるんで、初めての冬は厳しいみたいで」


「そうなんだ」


 ところどころで垣間見える、瞬の難民やアフリカに対する知識の広さに驚く。いくらボランティアをしていても、興味がないと覚えられないだろう。


「僕は毎年やってるので、今年はここのリーダーが任せてくれました。今年日本に来た人たちを対象に家を訪問していきます」


「それ、二人でできるものなの?」


 二人だけで、それも家を周っていくなんて。前回が大人数での活動だったこともあり、麻衣は人手が足りるのか不安になっていた。


「三人だけなので大丈夫ですよ。家もここから近いので、歩いていけます」


 去年も経験しているだけあって、瞬はてきぱきと動いていた。

麻衣はというと瞬の指示に従い、毛布やカイロなどの軽い備品を入り口まで運ぶ作業だ。それも三人分という数少ないものだったのですぐに終わった。


 瞬はいつの間にか外に出ており、倉庫から荷車を取ってきたようだった。中には三台の電気ストーブが置いてある。麻衣は荷車の空いているスペースに毛布とカイロを詰め込んだ。


「じゃあ行きましょうか」


 瞬が荷車を担いで進む。麻衣はその横に並んで瞬の歩幅に合わせて進んだ。

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