3-2
「何で言われたことできてねえの」
「すみません」
「企画書出すだけを、何をそんなに悩んでんのって聞いてんの」
「そ、れは・・・・」
いくらでも言い訳ができた。雑務や定例業務もそれなりにあって考える時間が取れないこと。何から考えて、何から始めればいいのかわからないこと。悩んでいるだけで時間だけが過ぎていくこと。
でも、この人にはどれも通用しないことはわかっている。
「上手く思いつかなくて、すみません」
たくさん考えた。どんな商品がいいか自分なりに考えた。けれど、自信がない。どれを思い付いても、こんな提案をして恥ずかしいとさえ考えてしまう。
小浦は息を吐くような少しのため息をついた後、「今日は他の人の聞いといて」と息とともに言った。
そう言われたことが情けなかった。
今日は異動後初の企画発表会だ。小浦より在職の長い先輩は他にいるが、そのエースたる所以からか小浦がまとめ役のポジションに就いている。
「私は謎解きゲームアプリを考案しました。最近、バラエティ番組や参加型イベントも流行しているので、注目が集まると思います」
「ああ、流行ってるよねえ」
曽根崎がうんうんと頷いた。
「もう市場には出回っていて、後追いなのでは」
「謎解きを考案する有名人もテレビに出始めましたよね。監修していただければ、注目が集まるかもしれませんね」
「そんなに上手く監修に持ち込めるでしょうか。忙しいでしょうし」
他のメンバーが各々自分の意見を述べる。消極的な流れになっていた中、小浦が口を開いた。
「悪くないですね。謎解きアプリでもRPGゲームのように進めていくものもあれば、面をクリアしてIQを測るものもある。市場調査が欠かせませんが、飽和していても差別化を計れると思います。」
挙げられた問題点を素早く分析し、その場をまとめた小浦はさすがと言わざるをえなかった。彼より上の先輩たちが、小浦の意見に聞き入っている。
麻衣にとっては、どの発表も参考になるものだった。もちろん企画としてボツになったものもあったが、なぜボツになったのか理由を聞いたり、考案者に対するアドバイスを聞くとなお参考になった。
私ももっと、頑張らないと。
今まで机とにらめっこしながらうんうんと唸っていたが、それではらちが明かないことに気付いた。まずは自社製品をよく知ることや、市場調査が不可欠だ。発表会が終わる頃には、自分なりの道筋が見えた気がした。
「発表会、どうだった」
小浦がホワイトボードを消しながら聞いてくる。その表情は見えない。
会議室の後片付けは若者がやると決まっていて、小浦は麻衣とともに後片付けをしていた。エースなのに雑用をしっかりこなしているところが、先輩からやっかまれない理由でもあるらしい。
「みなさんすごかったです。どの発表も参考になりました」
「次はやれそうか」
「頑張ります。私、考えるだけじゃだめなんだなって気付いて・・・会社が今までリリースしたアプリも全部知らなくて・・・あ、勉強不足ですみません」
正直に打ち明けると、ホワイトボードを消していた小浦が睨んできたので慌てて謝った。大きな話題になったアプリは知っているが、ニッチなアプリは何となく知っているもののどんな内容か知らないものもある。
「まずはそこから、基本的なところから勉強を始めます」
「そうだな、基本は大事だ。とりあえずうちの商品ぐらいは覚えとけ。売ってるのと似たようなアプリ考えて発表したら気まずいだろ」
そう言われ、はっとする。その考えは思いもよらなかった。自分が甘かったことが、その発言で思い知らされたような気がした。
「はい、気を付けます。時間はかかりそうですけど・・・」
「東洋大学の精神知ってるか」
「はい?東洋大学?」
突然、突拍子なことを言う小浦に聞き返した。
「一秒を削り出せの精神。この精神で、東洋大学は箱根駅伝で優勝した。これは仕事にも応用できる。生活の中で一秒を無駄にするな」
「あ・・・はい」
小浦が、いつものつっけんどんな口調で話すものだから理解するのに時間がかかったが、おそらく励ましてくれているんだろう。とても不器用なそのアドバイスに、わかった途端笑いがこぼれた。
意気込んだものの、前向きな気持ちはそう長く続かなかった。
数多くリリースしていても全てが売れているわけではない自社製品。市場に溢れかえり、日々順位が入れ替わるアプリたち。
知れば知るほどその渦にハマり、いいアイディアなど浮かばないまま終電近くまで会社に残る日々が続いていた。
「もう、頭がぐちゃぐちゃ」
オフィスに残っているのは麻衣一人だ。一週間で唯一の華がつく金曜日、同僚たちはとっくに帰っていった。
知識が増えれば、なおさら何が当たるのかわからない世界だった。絵が綺麗で、他のゲームと見劣りしないようなアプリが半年ほどで終了している。かと思えば、パズルを解くだけのゲームアプリがランキング一位を取り続けている。コスメの話題や恋愛ニュースに特化した女性向けの情報アプリも根強い人気だ。
まるでわからない、と麻衣は自分なりにまとめ上げた資料を閉じた。
時計を見ると、飲みにいった同僚が一次会を終える頃だ。金曜日くらい早く帰ろうと、消灯し施錠をして会社を出た。恵比寿駅へは十五分ほどの距離だ。
今日の映画は何をやるんだったかな、と流れていたCMを思い出す。確か根強い人気のあるアニメ映画だったはずだ。夜ご飯を片手に見ようと心の中に緩さが灯った。
恵比寿駅へ向かう途中にある恵比寿ガーデンプレイスは、夜だというのに煌びやかな明かりがついていた。年中クリスマスかと思うほどに街路樹は明るく、その一角は煌々と明かりを絶やさない。そこを通る人々もみなはじけるような笑顔で歩いている。金曜日の夜は特別な夜だと、迎えるたびに思う。
ふと携帯を見て、ある人とのトークルームを開いた。
【これからインドに向かいます!日本はそろそろ梅雨入りですか?】
一週間前から、そのメッセージでトークルームは止まっている。
先週の瞬からのメッセージをずっと既読無視している状態だ。
仕事にかまけて、返事をずっと先送りしてきた。小浦が言ったことが更なるプレッシャーとなって、どんな時間も節約しようと思ってきた。
ぼうっと、瞬のメッセージを見つめる。
けれど、これでよかったのか。
これは節約していい時間だったのか。
アプリを開くたびに目に入る瞬のメッセージが、気がかりでしょうがなかった。
お互いに、繋がれるのはこのアプリが全てだ。互いに知っている情報は名前と、大まかな住んでいる場所だけ。電話番号も住所も、職場も通っている大学も何も知らない。
これに返信しないまま時が過ぎれば、彼との縁はこれで終わるだろう。一時期インターネットで流行りだしたメル友のように、それらの行く末はどれも自然消滅だ。
このまま、瞬とも自然消滅していいんだろうか。
麻衣は、ここで縁を繋げようとも自然消滅するだろう未来が見えていた。だって彼はこの先何ヶ月と、もしかしたら何年と世界を渡り歩くかもしれないのだから。
その間ずっと、素性も知らない相手とやり取りを重ねる自信などなかった。
それならいっそ、このままなかったことにしてしまった方がどんなに楽だろう。異国の旅の思い出として、心に残せたら。
瞬のメッセージを眺めながら地下鉄への階段に足を踏み入れる。考えがまとまり、携帯を閉じようとしたときだった。
画面いっぱいに瞬のプロフィール画像が表示された。
「え、なに・・・・」
これが意味することを理解するまでに、携帯のバイブレーションは何度も震えていた。ようやく理解したのは、電話がかかってきているということだった。それも、瞬から。
やっと頭が追いついて、ずっと震えている携帯に誘われるまま通話ボタンを押した。
「もしもし・・・」
「もしもし、麻衣さんですか?こんばんは!」
どきどきする暇も与えさせてくれなかった。電話越しに聞こえる、麻衣とは相反する元気な声色に圧倒される。
「こんばんは・・・久しぶりだね。あの、どうかした?」
急に電話を掛けてくるなど、何かあったのだろうか。
「いえ、麻衣さんから返事が来なくなったので、大丈夫かなって心配してて」
「え・・・」
「あ、違うんです。今インドのホステルに泊まってるんですけど、そこで同室のやつらに何の気なしに話したら、面白がって携帯取られて・・・」
最後の方は尻すぼみだった。その声の後ろからは、酒が入っているのか騒がしい声が聞こえてくる。いわゆる、酔っ払いのノリを
「すみません、こんな形で。でも心配してたのは本当なんです」
けれどきっぱりと言うその声に、心外ながらも鼓動が大きく高鳴ってしまった。機械を通して聞く瞬の声は一ヶ月前よりも大人びている気がして、ますます麻衣をどぎまぎさせる。
「心配してくれてありがとう」
「仕事、まだ忙しいんですか?」
「あっ・・・うん、まだばたばたしてて」
数週間前に、仕事で疲れたとやり取りをしたことを覚えてくれていたようだ。
「仕事が忙しくて上手く時間が取れなくて・・・もっとタイのこと聞きたかったな」
「タイ、すごくよかったですよ。人が優しいんですよね」
滑らかに続く会話は、セブ島での思い出がよみがえるようだった。それを思い出すと、どこか強張っていた心が解けて自然と話せるようになっていた。
「ねえアユタヤ遺跡の近くの、カオマンガイが有名な屋台知ってる?私、あそこのすごく好きなの」
「ああ!食べてませんけど通りましたよ。僕は日本が懐かしくなって、その近くでたこ焼き食べました」
「え、たこ焼きが売ってるの?」
タイの話に花を咲かせる。麻衣は三年ほど前にタイを訪れていたので、共感できる話が多かった。
「そういえば、麻衣さんはどんな仕事をしてるんですか」
「アプリの制作会社で働いてるよ」
「え、SE(システムエンジニア)ですか?」
「ううん、私は企画する方で・・・って言っても、四月に異動したばっかりでまだまだ何もわからないの」
ふと、小浦の顔が頭によぎる。事実だが、何もわからないと話す自分が情けなくなり今度は麻衣が尻すぼみになった。
「どんなアプリを作ってるんですか?」
「ゲームとか、料理のレシピを検索するのとかいろいろあるよ。今一番売れてるのは、猫とまむしが戦う・・・」
「ニャンマム大バトルですか?僕、あれやってますよ。今レベル一五〇です」
「瞬くん強い!私、リリース初日からやってるけどレベル七二だよ」
「まだまだですね」
瞬がにやりと笑ったのが、携帯越しでもわかった。
地下鉄への入り口の横にあるガードレールにもたれかかって通話する麻衣に、道行く人がちらちらと視線を投げる。いつもはそんな視線を気にする麻衣だが、このときばかりは気にならなかった。
「企画って、麻衣さんがアプリを考えるってことですよね?」
「うん、そうなるかな」
実際はまだ何もしていないのだが、端的に言えばそうだ。
「それって本当にすごいですね。麻衣さんが考えたアプリが、世界中の人の目に触れるんですよね。すごいなあ、働くって」
「ちょ、ちょっと待って。私は来たばっかりで、全然大きいことはしてないの」
「でもこれからするかもしれないし、そんな会社に勤めてるってことでしょう。それを作った会社の一人ってすごいですよ」
「違う、全然そんなんじゃないの!」
大きな声を出してしまったことに驚いて、我に返った。
瞬の方は無言だ。きっと、驚かせてしまっただろう。
続くのは、大声を出してしまったことの言い訳だった。
「・・・新しいアプリを企画しないといけないのに、何も思いつかなくて・・・先輩からも、呆れられてて。焦ってたの・・・それで、瞬くんに返信もしてなかった」
瞬とのやり取りの時間を短縮しようとしていた自分が、自然消滅を狙っていた自分が浅ましくて嫌になる。
「だから全然すごくないの、何もしてない・・・瞬くんの方がずっとすごい。自分で夢のために海外に出て、自分で選んでて。ずっとずっと眩しいよ」
瞬のきらきらとした目を思い出す。それに対して、なんて自分は意地悪いんだろう。
心配して電話をくれたというのに、こんな話をして引かれてしまっただろうかと反応を待った。
「僕は写真整理アプリなんてあったら嬉しいですね。旅に出てから写真が増えましたし、簡単にフォルダ化できるような・・・今使ってるやつ、使い勝手が悪くて。あ、でも他の人から見たらそんなに需要ないのかな?」
「・・・・へ?」
「あと海外の情報がわかるアプリなんかいいですね。人気の街の情報はあるんですけど、ほんの小さい街の情報って全然わからなくて。あ、これもバックパッカー以外には需要ないかもしれないですね」
「考えてくれてるの・・・?」
「はは、素人の意見で全然参考にならないと思いますけど。こういう、痒いところに手が届くようなものがあったらなってたまに思うので」
麻衣は小さなアイディアはいくつか思いついていた。だが似たようなものはすでに市場に出回っていて、もしかしたら一蹴されるかもしれない。そう思うと、形にできなかった。
「ううん、ありがとう」
小さい企画一つすらできていない自分が、何を考えていたんだろう。
「そういう小さな需要がありそうなものから考えてみる」
「おおー、麻衣さんかっこいいです」
瞬からの褒め言葉が、自分の身の丈に合っていなくて恥ずかしい。そう思うけれど、耐えてみよう。いつかこの言葉に似合う自分になれるように、少しの背伸びから始めて。
「ありがとう、頑張るね」
「無理しないでくださいね」
長い時間電話していたからか、瞬の後ろから彼を呼ぶ声が聞こえた。一緒に飲もうと言っているようだ。
「呼ばれてるね、飲みに戻っていいよ」
「あ、すいません。それじゃあまた。麻衣さんも気を付けて帰ってくださいね」
おやすみなさい、と言って瞬との電話は切れた。麻衣からは何も言わなかったが、麻衣の電話口から聞こえる雑音で外にいると判断したんだろう。
相変わらず敏いな、とその気配りに感心する。思った以上に話し込んでいたようで、見ようと思っていた映画はすでに始まる時間になっていた。
帰ろう、と地下鉄の入り口の階段を降りる。その足取りは軽かった。
少しの不満を、少しの希望をメモしてみよう。きっとそういうところからアイディアは生まれる。
そして、明日は自分から瞬にメッセージを送ろう。インドの話を振ったら、また会話が盛り上がるかもしれない。
また、繋がった。
トークルームに残った瞬との通話時間を見て、ふっと笑みがこぼれた。
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