4-1
「いい感じじゃない」
大通り沿いにビルが立ち並ぶ、街並みの一角。二階より上はオフィスになっているが、一階はお洒落なイタリアンカフェになっている。小洒落た店構えの、通りに面したテラス席で麻衣と遥は向かい合っていた。
遥は季節限定のズッキーニとレモンの冷製パスタを、麻衣は店長おすすめの渡り蟹のクリームパスタを食べていた。食べ終わりに近く、そろそろ食後のドリンクが来る頃だ。
遥には瞬との経緯をひと通り話した。先ほどの言葉はそれを聞いての感想だ。
「二ヶ月も続いてるなんてすごおい。遥なんて、彼氏と二ヶ月続いても奇跡なのに」
「それとこれとは違うっていうか・・・ただやり取りが続いてるだけだよ」
「付き合っちゃえば?あ、ずっと遠距離は厳しいかー」
「そういうんじゃないから」
遥は、すぐそっちの話に結び付けようとする。
「だって毎日やり取りしてて、たまには電話もしてるんでしょ?遥はただの友達とそんなことしないよー?」
残っている冷製パスタを上手にフォークに巻き、一口で食べ終えた遥はごちそうさま、と可愛く手を合わせた。傾ける顔に合わせて揺れるピアスがまた可愛い。細かいところにまで女子力が宿っていて、さすがとしか言いようがなかった。
遥はわかりやすい性格だ。男性との友情は成立しないという考えで、遥にとって男性は恋人か体だけの関係で、恋愛感情もないのに長々とメッセージなどしないタイプだ。
麻衣がパスタを食べ切ったタイミングで食後のドリンクがやってきた。遥はジャスミンミルクティーを、麻衣はアップルレモネードを頼んでいた。
「遥は、あの人とはどうなったの?」
あの人とは、セブ島のショッピングモールで遥と腕を組んでいた外国人男性のことだ。空港に搭乗時刻ギリギリで現れた遥は、飛行機の中でずっとのろけ話をしていた。そのときの遥は、「また彼に会いにここに来るの」と目がハートになっていた。
「それが・・・」
遥の可愛らしい顔にゆらりと影が落ちた。
「結婚してたの」
「それはまた、・・・」
麻衣は言葉に詰まった。というのも、こういうことは初めてではない。
「こっち帰ってからインターネットで彼の名前検索してみたら・・・家族で写ってる写真が出てきて。子どもまでいるんだよ。もー、相性よかったんだけどなあ」
嘆く遥に、麻衣は苦笑いで返した。大方、海外で出会う男性と遥の結末はこういった類だ。
その写真を見た後、遥が彼を問い詰めると『いい恋愛を!幸運を祈ってるよ』とメッセージが送られてきたらしい。最高に煽られた遥は勢いのまま彼をブロックしたという。麻衣からすれば、人生を何周かしなければそんな経験はできないだろう。
「その男の子は大丈夫そうね。ピュア、って感じ」
「うーん、だからね、そういうんじゃなくて・・・でもね、実はその・・・」
歯切れ悪く言葉を紡ぐと、遥は「何よ」と麻衣を急かした。
「実は、再来月・・・・日本に来るんだって」
「ぶほっ」
遥はジャスミンミルクティーが気道に入ったらしく、ごほごほと咳をした。こんな彼女は珍しい。
「え・・・けほっ、セブ島の男の子の話だよね。日本人の。帰って来るの早すぎない?」
「違うの、友達の結婚式があるんだって」
麻衣は数日前、瞬と電話で話した経緯を遥に話した。
*
一度電話で話すと、それ以降電話へのハードルは低くなっていた。最近では瞬の旅の感想や麻衣の仕事の話など、話すことが増えていった。
ある日の夜も、麻衣は自宅でくつろぎながら瞬と電話していた。
「瞬くんは大学では何学部だったの?」
「国際社会学部ですよ」
「難しそうな学部だね」
「聞こえはそうかもしれないですけど、アメリカとかヨーロッパの歴史の勉強をしてました。けどそればっかりで嫌になって、隣の学科に混ぜてもらって教育支援とか、社会復帰支援の授業を受けてました」
麻衣は瞬がつまらなそうに授業を受けている姿を想像して、くすっと笑った。
「部活は?」
「部活は、この旅の資金を貯めるのにバイトで忙しくて、入りませんでした」
「そっか・・・一人で貯めたの?親からの援助もなく?」
瞬は一呼吸置いた後、真面目な声色で話し始めた。
「世界一周したいって話してから、親にはたくさん反対されたので。それからも行きたいって話し続けたんですけど、行きたいなら旅費は全部自分で貯めろって。まあ、当然ですよね。そこで覚悟を見せたくて、大学の授業は全部出席して、空いた時間を全部バイトに充てて、一年半かかりましたけど貯まったので・・・その覚悟が伝わったのか、旅に出ることを許してくれました」
「すごいね、一年半も」
素直に感嘆の言葉が漏れる。
「頑張ってよかったです。大学生の生活としてはどうなんだって感じですけど・・・」
「ううん、立派だよ。大学生って周りの誘惑が多いのに、自分の目標に向かって・・・本当、すごい」
「褒めすぎですよ」
電話越しに瞬が照れていることがわかる。瞬には冗談のように捉えられているのかもしれないが、瞬の覚悟が見えるその行動に感嘆していた。
自分が大学生のときには、何をしていただろう。周りと同じように大学へ行って、授業を受けて、大学生なりに遊んで・・・それが大学生といえば普通なのだろうが、目標がないまま過ごしていただけにすごいと言われるような生活ではなかった。
「今いるインドはすっごい濃いですよ」
「濃いってどういうこと?」
「国柄や人が濃いというか・・・一言で言えば面白いんですけど」
それからは瞬のインドでの話を聞いた。
カレーチャレンジと称して毎日カレーを食べていたが、六日目にして遂にお腹を壊してギブアップしたこと。メッセージでも聞いていたが、ガンジス川に飛び込んで熱を出して数日寝込んでいたこと。
「寝込んだって聞いたときはびっくりしちゃった。元気になってよかったよ」
「無駄に過ごしたなって罪悪感感じてました・・・健康って大事ですね」
「本当だよ。体に気を付けて旅してね」
「そうですね・・・・あ、そういえば再来月、日本に一時帰国することになりました」
「・・・・へぁっ⁉」
驚きすぎた麻衣は、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ウルトラマンみたいですね」
麻衣の気も知らない瞬は、けたけたと笑っている。
「いやだって、え、帰国・・・あ、一時?」
混乱がおさまらない麻衣に、瞬はゆっくりと説明した。
「はい、一時帰国です。友達の結婚式があって、一度帰ることにしました」
瞬の話によると、バックパッカーが一時帰国するのは珍しいことではないらしい。旅の最中に何事もなければ幸いだが、長期間であればあるほど冠婚葬祭など自分ではどうしようもないことも起こる。
海外にいるからとはいえ、大事な人のそのときに立ち会えないのでは後悔するだろう。
瞬は中学からの友人の結婚式があるらしい。
「帰ってくるのは大変だけど、結婚式には代えられないね」
何度か友人の結婚式に出席している麻衣には、その気持ちがわかる。それが大事な友人であればあるほどだ。
「そうなんです。親友なので、出席したくて。このまま旅を続けたい気持ちはあるんですけど、海外にいるって事情は僕の勝手だし、そればかり優先してもこの先後悔するだろうし。でも無理言って飛び出してきたのに、もう帰ってきたの?って言われそうで」
「あー・・・言われそう」
反対されていたのなら、なおさらその声は大きいだろう。ほらやっぱり、すぐ帰ってきた。そんな周りからの言葉が聞こえてくる。
「友達も帰ってくるのが大変なら無理するなって言ってくれたんですけど、そう言われるとむしろ行きたくなってしまって・・・アジアはまだ近いので、一度帰ることにしました」
瞬の様子から、迷いに迷って出した結論だということがよくわかった。
正直なところ麻衣としてももう帰国するのかと驚いていたが、その決意に水を差すことになりかねないので後押しした。
「周りのことは気にしなくていいと思うよ。やりたい方を選んでいいと思う」
ありがとうございます、と瞬は小さく呟いた。
日本とインドの時差は五時間にもなる。麻衣は翌日仕事だったが、深夜まで瞬の話を聞いていた。時差に気付いた瞬が麻衣に謝り倒したのは、日本の時刻が深夜一時を周った頃だった。
*
「・・・というわけで、結婚式に出るんだって」
「それは仕方ないわね」
遥の持つグラスは、溶けかかった角の丸い氷だけになっていた。
「海外に長期で行く人って、そういうイベント事どうしてるんだろって思ってたけど、いったん帰るものなのね」
「程度による、らしいけどね」
「でも、聞けば聞くほど面白い子ね。あのときもう少し話せばよかった」
「会ったときは興味無さそうだったのに」
セブ島でのショッピングモールの場面を思い出す。瞬がいたのに、足早に去っていったのは遥の方だ。
「だってそんなに面白い子だと思わなかったんだもん。こうして麻衣の話を聞いてみたら、すっごく興味出てきたよ?」
疑問符と同時に首を傾げる。自分の魅せ方をわかっている仕草だ。
こんな仕草を無意識にする遥は、同性からやっかまれることがしょっちゅうだ。気分屋で、予定は常に男性の方を優先する。
それでも遥とこうして友人でいられるのは、
「近くに来るのに、会えないってつらくない?」
「え?」
「毎日やり取りして、電話でも話してて。それは気が合うとか、お互いが話してて楽しいからそうしてるんでしょ。今は海外にいるからって理由があるけど、近くに来るなら会いたくならない?」
こんな風に、核心を突く言葉を言うことがあるからだった。
「そう・・・だね」
図星だった。
瞬が日本に帰国すると聞いたときから、心の隅っこで生まれた会いたいという感情にぎくりとして、そして蓋をしてきた。見ないふりをしてきた蓋を遥に突然開けられたものだから、言葉に詰まる。
だがそこを詰めてこないのが遥のいいところだ。こちらの心境に気付いているのかわからないが、すでにその話は終わったものとして、興味は昨日サロンで仕立ててもらったばかりだというネイルに移っている。
「夏だから青系の色に、オレンジも入れてもらったの。きれーい」
うっとりと遥は指先を見つめている。ミントグリーン色をメインに、淡いオレンジ色を重ね合わせ、金色のワイヤーパーツを散らした指先は、熱帯魚が水の中を泳いでいるような色合いだった。遥が注文したのかネイリストが提案したのか、夏にぴったりなデザインだ。
「ねっ、麻衣も今度の合コン行かない?」
「この前も行ってなかった?」
遥が合コンの写真をSNSに上げていたのは記憶に新しい。
「出会いは自分で起こしてくものよ、どう?」
「うーん、遠慮しとく」
合コン自体も苦手だが、このところ仕事が手いっぱいで気が乗らなかった。
ざんねーん、と遥はがっかりした顔をする。遥は交友関係が広いので、麻衣が駄目だったとしても誘う相手はいくらでもいるだろう。
遥とは二ヶ月に一回ほど、こうして近況報告をしている。同じ大学のよしみで、もう五年ほどの付き合いだ。たまにランチをしたり旅行に行ったりを繰り返している。男ができた途端に付き合いが悪くなるのが玉に
「じゃあ、またお茶しようね」
ばいばーい、とひらひら手を振る遥は女性の魅力を詰め込んだような可愛らしさだった。揺れる手に合わせるように、ワンピースの裾がふわふわと舞っていた。
遥と別れた帰り道、携帯を見ると瞬からメッセージが来ていた。
【日帰りトレッキングに行ってきました。エベレストの存在感やばかったです!】
そのメッセージとともに送られてきたのは、大自然の中にいる瞬の写真だった。
ネパールといえば、かの有名な山・エベレストがある国だ。それに登るとなればハードルが高いが、トレッキングコースなら片道二時間ほどで体験できるらしい。
トレッキングしながら撮ったのだろう、ふもとの村や森が見渡せる景色を撮った写真も送られてきた。まるで雲の上にいるような、瞬とそこにいるような気分になる。
【トレッキングお疲れさま。すごく綺麗だね!】
これが今日初めて送るッセージだった。
セブ島を離れて少しの頃は、一日に何度もやり取りをしていた。それが今では二、三往復が限界だ。それは少しずつ開いていく時差のせいだった。
麻衣には仕事があり、瞬には旅がある。互いの隙間時間が限られている上に時差が開いていけば、自ずとやり取りが少なくなっていくのは明白だった。
その間隔が広がっていくたび、瞬との距離が広がっているのだと実感させられた。これからどんどんその差は広がっていくだろう。
対面して会っていたセブ島でのことが、遠い昔のようだった。
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